どうせこの世はそんなとこ

うすうすは感づいていたことであるのですが、なぜこの世界がコンピューターによって運営されていなくてはならないのか。
それはすでにこの時空が再演されている時空だからであり、最初の一度だけは実時空における歴史時間が存在しただろうという漠然とした思いがあります。

では、その実時空では何がありえたのか。
その最初の実時空がすでに、邪悪にまみれて滅亡という終了の仕方をしたのではないのか。
その一端が、今の再演時空に表出していると見られるわけです。
滅亡したはずなのに、どうしてコンピューターのマトリックスの中にあるのか。

性善説的に捉えればこうなります。

滅亡した実世界を見事に収めきって、善一筋の実世界を実現した者たちがいて、かつての失敗した歴史を作ってしまった魂たちさえも、善一筋の世界に入れるべきとの思いから、魂たちの再起と浄化をはかるべく、コンピューターで、かつてあった歴史を再現して、世界滅亡の原因者たる邪悪だった加害者たちの配役をそっくり被害者と甲乙入れ替えて、被害者側の演技を、実世界の被害者が辿ったとおりを加害者側がシミュレーションすることで負わせるという、魂の学びを通しての矯正をさせようというシステムができたのではないかと思われるのです。

再演用のコンピューターは高性能AIで、実時空にあった実際の歴史をプログラム的に改変しても良いようになっており、被験者の魂の要望に応じて歴史の成行が、被験者の個々に固有のシミュレーション時空として与えられるといった具合になっていると思われます。

やはり実時空というのは必要不可欠です。最初から最後まですべてがAIの制御下にあったなどは、むしろありえないことで、AIは元の世界にあった素材から組み合わせ加工するなどして、新しい環境を提起しているものかと思います。

聖者はなぜ世のカーストを許しているのか。それは邪悪な神におもねているのではなく、いま我々が見ている世界は、矯正用の時空だからという、高所からの達観があるのかもしれません。

かつて加害者だった邪悪な者たちを被害者側に置いて、傲慢や怠惰や無慈悲だった魂をカーストの低いところでその立場の苦しさや哀しみを体験させ、魂の性向として再び同じ動機を催すことのないほどに教育している、そのシステム下なあることを達観しているのかも知れないというわけです。

だから、現状直視して、どうしてこんな差別相が存在するのか、不合理極まりないのですが、低いところにいる者ほど善良で聖人に近く、トップにいる者ほど邪悪ということの矛盾を、個々の魂が感受して、何が問題なのか理解することで魂の目覚めが促進されるという狙いがあるように思われます。

こうすれば、私もいままで、聖者ほど日和見主義で鼻持ちならない存在はなく、厳しく詮議されるべきと考えていたのですが、この世界が矯正用と考えれば、聖者のしていたことは達観であり、なんら咎められるべきことではなかったかと思い至ります。

サイババさんも言ってたように、この時空にあるすべての人は、滑稽な操り人形であり、すでに与えられているプログラムに従って思惟し行動しているだけの、矯正課程にある受講者ということになります。

おそらく、個々別々に、成り行くさまは異なっていて、結果もそれぞれに違っているのでしょう。
はじめ滅亡した時空環境を、みごとに存続のほうに辿り終えたなら、その魂は矯正の教程を大幅に躍進したりもするのでしょう。
何億年も矯正の時間を必要とした者も、何万年といったオーダーにもできるのが、矯正の質の進歩次第といった見方もされているのかと思います。

だぶん、そんなとこだろうと納得して、私のみならずみなさんの首尾をも祈りたく思います。
南無ぅ~ チーン♪

どうせこの世はそんなとこ。そうじゃないかえ、皆の衆。

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