黒猫のブー(8歳6ヶ月)が14日午後から帰っていません

14日というと、朝から雨と強い風で肌寒い一日でした。
そんなときに、ブーは先月の終わりからずっと尿の垂れ流しが続いていたのですが、白猫のシャンとともによく食べること。食べられるということは、回復の見込みがあることの裏返しなわけですが、私は一日おきにマーケットまで車で走り、かなりおカネを使って餌を購入していても、二日ももたないことにいらだって、また昨今のPCのトラブルで時間を食うこと食うこと。そこにブーが尿をたらしながら食事を求めてくるといったことで、臭いやら不愉快やらで、ブーに当り散らすことばかりしてしまいました。

ブーはたぶん医者に見てもらいたいということだったのかもしれません。遠い幼い頃には2,3回連れて行って、すべて治してもらえたので、あてにしていたのかとも思います。
しかし、私は去年一昨年あたりからの方針で、我が家のメンバーは医者にはもう行かない、行こうとして車に乗せたら必ずパニックを起こすから、私の心身がもたないからという理由でした。だから、私もよほど特別なことでもなければ、医者にはかからないという約束を、猫三匹にはしていたのです。

ところが、私は昨年末ごろから、前立腺肥大で排尿困難の苦しみに耐えかねて、医者に見てもらって、その次に今年2月の胸苦しさが致命的かもしれないと思えて、見てもらったところ、急性心筋梗塞で緊急オペになり、約三週間の入院になる始末。

さっそく、自分から約束を破ってしまったわけですが、そんなときブーが膀胱炎か、あるいは腎臓炎か、苦しそうというより、ぼおっとしてぐったりしている様子。本当なら、動物病院に連れて行かねばならないのに、叱咤激励して、自分で治すぐらいの気構えを持てとか、小便が出そうになったなら猫砂トイレにすぐ行けとか、トイレの外にこぼすなとか、床にたまった尿にこれみよがしにチリ紙を撒いて、よほど迷惑なんだぞといったゼスチャーで反省を迫るようなこと、つまり動物虐待をしてしまっていたのです。

食事はちゃんと出してやったにしても、合間のお小言が辛らつで厳しいものだったこともあってか、ブーは上目遣いで、睨むような表情をするのが常だったです。

私はどんな小言を言っても、ブーは理解していないだろうと思っていたのです。シャンはけっこう理解しているようで、反論めいた応答をするのですが、ブーは応答せずに、じっとこちらを睨んでいるふう。いっぽう、私は彼らの言葉がまったく理解できないところに、無応答のブーを思いやる気持ちにまでなれなかったのです。
だから、私はこの家での原則論をまくしたてるばかり。もし、彼が理解できるようなら、ものすごく辛かったろうし、心が傷ついただろうと思います。

しかし、ブー、フー、ウーの最初の三匹が幼猫としてやってきた一週間後くらいに見た正夢は、彼らが額の真ん中にもうひとつ目をつけた神獣で、そのうち一匹は古墳に描かれる白虎であることを物語っていました。それは重々わかっていて、なおかつ不遜かつ高拍子な言動に出てしまったのは、わが身の不覚でしかありません。

私は、口から辛らつな小言が次から次へと飛び出すのを、心の中で、もうやめろもうやめろと声を出していたのでしたが、自分とはまったく別人が勝手にしゃべっているふうで、そのとき、はっと気づきました。
私は、このように確定した時空のタイムライン、すなわちプログラムをシミュレーションしているのであり、私の心は、真の意志は、成り行きに対して懸命に抵抗しているという事実に思い至ったのです。
それでも、意志の力は、悪魔的成り行きを封じるほどにはなれなかったことに、自分でも絶望感が沸きました。
この世にある人の多くは、そのようなことがよくあることに思い当たるでしょう。ほんとうは、こんなことしたくはないのだが、どうしてもしてしまい、たいがい後で後悔するってこと。

ああっ、何てことだと思ったとき、それまでブーは一度として睨むような表情を崩すことはなかったのでしたが、彼の目がほろっと優しい目に変わり、心なしか表情が笑ったように思えたのでした。諦めたというのか、ふっきれたというのか。好々爺のような表情になったのでした。もしかしたら、ブーは何か理解したのかも(悟ったのかも)しれないと感じました。
それが14日の午後2時頃のこと。ブーとシャンに一食ずつ食事を与えたときのことでした。

私はその時間から買い物に出たことはあまりないのですが、明日まで在庫がもたないと思い、買いに出ました。車で出かけたのが午後2時半。
そして4時に帰ってきてから、ブーには出会えていません。
本日17日の今は夜になりましたが、14日からまる三日以上、ブーは消息を絶っています。

監視カメラの実績を調べたところ、彼は14日午後3時10分に地道の通路を上がって、車道まで出ていることがわかりました。そこから消息が途絶えたわけですが、道路までの地道の通路は20mほど。そこに上がりきるまで、3分もかかっていました。彼は地道の通路の最初の石段で、彼自身の儀式のようなことをしばし行ない、意を決したようにして出て行ったことが確かめられました。この通路は、ちょうど北東に向き、最初の石段が広い目で祭壇のように水平なのです。ここで、もしかすると三神獣の家長として、儀式のようなことを執り行ったかもしれません。

私はここで奇妙なことを言いますが、ブーは私の親父の生涯によく似た一生を送ってきたのです。けっこう胆力があり、真面目で苦労性で、しかも冒険を怖がらないため、たくさんの猫のいるA家に出向いて、喧嘩しながらも、向こうでたくさんの子孫を設けているのです。しかし、向こうの掟のようなものがあって、使い走りさせられるようなこともあったようです。向こうの襲撃猫の仲間にもなって、我が家の猫たちと喧嘩もしていました。私は、そんなブーをたしなめるつもりで、当時から小言を言うのが常でした。
そもそも、私がウーの出産の後、すぐに避妊手術をしてもらったため、ブーは自分の役目が果たせなくなり、よそに出向かねばならなくなり、多数の猫を飼うA家に出入りするようになっていました。だから、食事を我が家でするにしても、A家までの約200mの道のりを2往復ぐらいしていたのです。それだけでも大変な苦労です。

彼が8歳になる頃から衰えが目立ち始め、左目を潰してしまってからは、たぶんネズミの捕獲も困難になり、いよいよ人から餌を得るしかなくなったとき、私のもとに戻って食事をするようになり、やがて我が家の中に定住するようになりました。白猫二匹とは対立していましたが、ブーには耐えて怒らぬよう努めさせたので、やがて違和感ある中にも居場所を見出すようになり、昨今ではシャンと仲良く連れ立っていることもしばしばでした。

そんなときに私は、虐待の言葉を浴びせ、それがもし彼に理解できたとしたら、深い絶望感を与えたことでしょう。なんせ、彼は身元が神獣なのです。万事見通す第三の目を額に持った神獣として夢に出てきたのですから。また、私の親父の再臨のような感じもして、親不孝を知りつつ虐待していた感もありました。

親父ならば、晩年は医療機関にかかることが多く、私に医者に連れて行くようねだっていたような気もするのに、原則論を立てて、自力で治そうとするぐらいでなくてはいかんといった叱咤もしていたわけです。しかし、膀胱炎などのしつこさは、私ですらも克服困難でしたのに、猫のブーにそんなことができたでしょうか。ブーは一生懸命に、尿道口を舐めて、自分なりの治療の努力をしていたことを何度か目撃しています。

そしてとうとう、彼は私の無慈悲な言葉に、すべての希望を吹っ切ったか、あのときふと穏やかな表情を見せたのではないかと思います。そのすぐ後、私は買い物に出て、その間に彼は家から出発していきました。

次は、彼が出て行くときの監視カメラ映像の写真です。

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枯れた老木の横でしばし座っていました。
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石段の上に座り直して、しばらく瞑想しているようでした。
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上の車道に出たところです。
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こんなときがあったのです。もう一匹の白猫はシャンです。ともに食事をしているところ。
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もし、ブーがいたたまれなくなって、ここを後にしたとするなら、私は40代に”たま”というメス猫を同様の目に遭わせてしまった二の舞を演じてしまったことになります。⇒ 「たまとしてうまれ」
絶対に二度とそのような不義を為すまいと誓ったことも、いとも簡単に破ってしまう自分に、がっかりしました。
心の中でいくら叫んでも、日頃の訓練のなさがこのような悲劇を招くこともあるということでしょう。
体主霊従のおろかさは、結果が予測できるのに、嵌り込んでいくもの。
私は肝脳地にまみえてもおかしくない不祥事の結果を、心の苦しみとともに享受しています。

ブーよ、もしまだ里心あるなら、どうか戻ってきてほしい。
もうこんなことは絶対にしないから。
そして医者にどんなふうにしても診せて、最善をつくしてもらうから。