謎解きだけがこのウマのする仕事です(1)

まず、読者のNさんの只今困っておられる体調不良のことにつき、少し、こうではなかろうかという仮説を立てていま すので、ご覧じください。仮説ですから、本気にしてしまわないようにしてくださいね。

Nさんの現在の悩みは、身体がとてもだるくなるとのことでした。それがいい時と悪い時が交互にやってくるとのこと、それを波状的にと仰ってましたかね。

医学的観点からは、血液検査等に異常はないとのことなので、私などよりもよほどコンディションはいいのですが、問題のだるさはどうしたことからなのかとい うことで、私にわかるかどうかお問い合わせでした。
体内の病気とかは、ないみたいに思います。しかし、こればかりは精密検査していないので、腫瘍とかの存在は掴めているわけではないですね。もしあれば、そ れの原因視できるかもしれないのですが、しかしこればかりは見つかれば見つかったで、○○宣告されるような気持ちにもなって、却ってよく無いと言えます。

そこで私は、彼の最近の趣向から、もしかしてこれではないかという話を一席ぶたせていただきましょう。
あれはもう4月の終わりぐらいの話でした。

これは4月28日の過去記事からですが、
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千葉県在住のNさんから私に、ある宿題が出されました。
「京丸」という言葉に心当たりはないか、ネット検索を使ってでも、その謎解きをしてほしいというものでした。
彼には、私のスフィアビーイングコンタクト体験を話していますから、内的な閃きの度合いを確かめる感じの質問でしたね。
まったく意表を突く予期せぬ宿題に、いったい何の意味があるのかと、Nさん自身の企みのようなものも感じましたが、まあそれも何かのシンクロ事象へと繋が るのかもしれないというわけで、私は熱心に調べてみました。

すると、おそらくこれのことだろうという静岡県浜松市天竜区春野町の小俣京丸という場所を見つけました。
山奥の秘教とも言えそうな緑豊かな山村のようでした。
Nさんも、そこのことだと言っておられました。
私はその雰囲気に、閉鎖的な人々の創った集落というイメージがしています。
このような場所は、土地の古い風習を遺し、よく推理小説の土台になることもありそうな感があります。

京丸という地名をわざわざ用いたというのは、ここに移り住んだ人たちが、京都の文化を遺しておこうとした表れと見ることができるでしょう。つまり、公家文 化です。むろん、戦に敗れた側の天皇家ゆかりの人々だったかもしれませんし、平家の落人というのも、彼らは天皇家と縁戚ゆえに公家文化を伝えたと思われま す。
平家は武士とはいえ、いちばん公家に近かったのです。福原の都は京都に並び称されるほどの都だったわけですから。神社で有名なのは広島の厳島神社です。
京丸の地の発祥の当初は、都人の中でも有名人とその配下の人たちがやってきて、都人風のコンセプトで屋並み作りなども行われたことでしょう。
しかし、いくら公家文化を花開かせようとしても、落人というのは追討される側であり、周囲の目がありますから、ひとりでに秘密主義になり、それが年代を経 れば、過去の意趣も廃れて、雛里の風情になってしまったと思われます。

岡山県の高梁市にも、ある趣向を持った人たちが作った屋並みがあり、ベンガラ吹屋の里と呼ばれています。そこの観光案内にはこのように・・・。
『ベンガラが語りかける、繁栄の歴史』
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に 残した最大の文化遺産です。
豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石 州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想にあります。
昭和49年には岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から国の重要伝統的建造物群保存地区の認定を受けました。
・・・
ヨーロッパなどでは、都市づくりに同一のコンセプトを以て作られたきれいな街がたくさんあります。それと同様に、日本にも様々なところに芸術性を持った都 市づくりをしようとした人々がいたということが大事ではないでしょうか。

私は、吉原で一世を風靡した花魁の京丸(そんな名前のおいらんはおいらはしらんぞ)を初めは思い立ちましたが、なるほど、このような雛里のあることを知る ことができて良かったと思います。
とても美しい緑豊かな山里ではないですか。ぜひこのままで、遺しておいてほしく思います。

その一方で、秘密主義的な因習が様々な因縁のたまり場を醸している風もあり、陰湿さがぬぐえないのが解放感に繋がらない気がします。
Nさんは、過去世の因縁の場所に惹かれることがある方のようなので、もしかすると京丸に過去世でおられたのかもしれないですね。そこにことさら郷愁のよう なものを持っておられるのかもしれません。

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最後の四行にヒントを遺しておりました。
Nさんはちょっとした特殊能力をお持ちで、過去世の記憶を潜在意識の底にしのばせておいでなのです。
ふつう、幼時期において、そうした記憶は簡単に出てきて、長じてからなくなるのですが、Nさんの場合は、持ち前の能力なんですね。
愛知県の猿投に過去世の思い出があり、実際そこに住んでいた思い出があって、今生において現地でそのよすがを発見されて、寸分たがわなかったという話をさ れてました。

京丸も同様なのでしょう。ただし、猿投とは別の過去世だったかもしれません。しかし、彼の感性がそれらと繋がっているため、そこの意識が強いのだと思いま す。
おそらく京丸の当時の住人は、すでにあの世の方に違いないのですが、彼らはその土地に地縛しているため、霊団を作っていて、Nさんはこの世に派遣されてこ られたのかもしれません。
というのも、歴史はどんどん進みます。霊団も時代遅れにならないように、随時派遣していて、その人を通じて今様を知ろうとしているとしても不思議ではな く、いつの時代かの京のお公家さんの落ち延びならば、お家再興を期して、間者を都(この世)に放つこともしばしばだったことでしょう。
ミッションは、都で一番流行っているもの(流行の最先端)を探ってきてくれ、とか、今は天皇家のどのあたりの御代なのだといったことですね。

つまり、Nさんは京丸の霊団に属していた方で、間者としてやってこられたのかと思ったりします。
ということは、情報を随時返して差し上げることが大事で、彼はそれを無事こなしておられたのでしょう。
ところが、様々な情報の中に、世の終末情報がたくさん出てきて、霊団もこの流れへの対処が困難と判断されたか、お家再興を含めてかなり協議がなされている ようなことではないかと推測します。
そこで詳細を聞くべく、Nさんへの召喚がかけられるようになったということもありかと。それがだるさになっているのではないか。

その場合の解決策(これも仮説ですが)は、時の流れがいつまでもその場に居続けることの無意味さと無情さを痛感させるまで放置するか、もしくはNさんが事 態を良く理解して、彼らにメッセージして、真の成仏を目指すように働きかけることが大事になるかと思います。
平家の場合は、後々まで彼らの事績を語り継ぎ鎮魂する法師がいました。そのお蔭で、平家物語は遺り、平家の歴史は隠蔽されることなく後世にまで遺り、現在 の小学校の教科書にまで書かれています。

同様に、Nさんはいっぽうで最新宇宙情報を念頭に置きながら、昔のままで居る彼らを啓蒙できる立場にいるわけです。
できれば、彼らの救世主であってほしく思います。そのためにすることは、霊的交信をして悟ってもらうことでしょうか。それでも困難な場合は、祟りを覚悟で 京丸の歴史に光を当てて、霊団の昇華を促進してあげてもいいかもしれません。
Nさんの余生はそのためになら十分に与えられることでしょう。それが無理なら、召喚に応じることかと思います。あちらで啓蒙してあげてください。

以上は、名探偵・金田一耕助の兄弟、異界の名探偵・明智大五郎奥人の仮説推理でした。

ゆめ、いきなりかぶりつきで信じてはいけません。仮説にすぎないので、その旨了解願います。

開聞に籠められた暗号の謎解き

さて、今日は第二題目があります。

先日はK氏がいきなり切り出した話で、南九州の開聞岳周辺伝説で、ひらきき神社というところがあるのです。
文字で書けば、枚聞神社で、開聞の読み替えでもあるわけです。つまり、開聞岳を御神体にした信仰があったことを物語ります。
ところが、K氏は神武天皇の頃の異民族の渡来ルートのひとつとして捉えていたのですね。
そこでわかったことが、次々と連続的に出てきたのですよ。

それはまた別の機会にでもいたしましょう。
としていたわけですが、次に一部ながら書いていきます。

開聞の「聞」の字とは、「門」と「耳」の合成になっていて、古代の「みみ」という言葉は数字の33を表しています。
よって、つまり開聞の意味は、33階層で成るピラミッドへの門を開くという意味になります。
そもそも、開聞岳そのものも、みごとなコニーデ型火山で、ピラミッドとするにふさわしいものです。

そしてまたその後日には、夢の中に突然言葉が降ってきました。
「開きキと言ってあろうがな」という言葉でした。その言葉の文字も、夢の中でテロップのようにして出てきました。
それまで、開聞が、「開きキ」とも読めることに気が付かなかったわけです。
その夢の中に同時に一本の丸木が横になってイメージとして出てきました。そして目が覚めました。

そこで、「キ」とは何ぞや、となったわけでした。
このときの言葉遣いが日月神示の日月神のおっしゃりように似ていたので、何気なく日月神示をネットで見ていましたら、
日月神がご自分の署名として、「太一二〇大神」とあり、「おおひつきおおかみ」としてありました。
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漢字の「ニ」を英語の「ツー」で読み替えるハイカラさ。これ、日月さんのユーモアですかね。
そして、真ん中の○に相当する記号というのが、○に十の字なんです。それを「キ」と読んでいる。
ヲシテ文字で言えば、K氏提供のヲシテ文字盤によれば「ナ」に相当する記号文字です。それを日月さんは「キ」と読んでいるようなのです。

「キ」とは、生命の木に違いありません。
というのも、日月神示のいろんなところに、数と生命の木の関連性を物語る文章が出てくるからです。
これに関しては、また次の機会に説明しましょう。

マサカキの「キ」も生命の木を表します。
それを根から掘り起こして、上中下の部位に分けて、三種の神器をそれぞれに取り掛ける儀式を、古代天皇家は執り行っていたのです。
マサカキは常緑樹、エバーグリーン、不老長生のシンボルですから、治世の安定的長期であることが祈願されていたのでしょう。
傘下の豪族にも、その儀式を共通の典礼儀式として執り行わせていたようです。
豪族の側から、皇族が行幸の折にはおもてなしの一環として執り行っていたもようです。

「上つ枝に八咫鏡を取り掛け、中つ枝にイホツノミスマルノタマを取り掛け、下つ枝に剣を取り掛け」といった流儀の儀式は、神武天皇から少なくとも景行天皇 の頃までは行われていたようです。
卑弥呼のしていた「鬼道」とはこの種の儀式を行う「キ道」のことであり、「キ、すなわち生命の木に仕える儀式をしていた」ことになります。
キ道に対して、中国官吏は史記を書き残す際に、音読みの「鬼」をあてがっているのです。そこで後世の学者や研究家は混乱したと見られます。
おまけに、卑弥呼とは日の巫女であるはずなのに、中国由来の卑近な表現に据え置いてきたのです。(卑弥呼=下賤な呼び名の者という意味になる)
これも混乱の極みというべきでしょう。歴史学者は俸禄もらいながら愚かな限りです。

キ道の前身は、生命の木の10の局にそれぞれ十種の神宝(とくさのかんだから)を取り掛けるすべのものだったでしょう。
それをしていたのは、神武天皇に国譲りして家臣に退いて物部氏の祖となったニギハヤヒノミコトで、「ひふみよいむなやこと、ふるべゆらゆら・・・」と生命 の木の活性化の儀式をしていて、それにより死人をも蘇生させたと言い伝えられています。
おそらくそれをそのまま踏襲したのでは、神武天皇の直系の独自性が成り立たないため、神武以降には、10の局を上中下三つの部位に大別したことと思われま す。

ピラミッドと生命の木となれば、エジプト文明由来であることを示し、伝搬してきたのはカバラであることになります。
カバラとは、エジプトとバビロニアの知識の流れを汲むとされる古代思想のこと。
つまり、渡来人は中東に端を発する民族だったことになり、その証拠を生命の木活性化の儀式として伝えていたのです。
後の斉明女帝は懐古趣味的に中東のまれ人を飛鳥に招いて饗応接待しています。ペルシャ人ダリウスなどの名が伝えられています。
そのとき作られたとされている飛鳥の須弥山石などは、砂漠地帯ペルシャの運河(カナート)の水利文化とインド神話の世界観の合成であり、もしかすると皇室 の出自の履歴を物語るかも知れません。

では、夢の中に出てきた「開きキ」とはなにか。それを開けたらどうなるのか。
叩けよ、さらば開かれん。
開け、ゴマ。
と、思っていたら、「開く」の「開」も「鳥居シンボルのある門」という合成語ではないですか。
この門は神秘の門とも言えそうです。叩いちゃお。
「どんどんどん。頼も~う」
「どなたですか」
「桑原(クワバラ)和夫です」
「どうぞおはいりなさい」
「ありがとう」
(爆)

・・・というわけで、また後日に、もっと大変なことを・・・ニカッ