納涼記事・・・夕刊

今晩18時ちょうどに、武良さんからSMSがあり、7月4日にフジテレビの番組で東京に行き、UFOの呼び出しを依頼されているとのことです。
だんだん、引っ張り凧になってきているようですね。実績のコンスタントぶりはもう板についてます。きっとうまくいくでしょう。

さて、恐ろしげな納涼記事を朝にはいたしましたが、
2000年7月に初めてメールしてきた二番目の女性は、霊能者であり、欠点として霊媒体質であった人でした。
この霊媒体質には、悪霊も遠慮会釈せずかかってきましたからね。
私とは彼女を介して何度か対決してきました。男の悪霊と女の怨霊でしたね。

この人は当初、私に精神的に救援を求めてきたわけでしたが、付き合ううちに、私のハイラーキーなのかハイアーセルフのことなのか、「あなたの直上のハイ○○○は、梵天様よ」と言うようになりました。
へーえ、それなら愛人は弁天様ということになるけどなあ、とか、ぼかしておりました。
それで、私のことを呼ぶ時には、奥人さんもしくは梵様と呼び倣わしていたのです。
肉体関係密になってからは呼び捨てで”奥人”だけになりましたけどね。
16歳年下に”奥人”と呼び捨てられるのに、私は”ゆうさん”だったのですから、いかに女は強いかってことです。

そして、彼女ばかり、梵様にときどき夢の世界で料亭に連れて行ってもらって、てっちりなんか御馳走になったとか、梵天宮に連れて行ってもらって、未来世界のプランを見せてもらったりして、アドバイスを求められたなどと言ってるんです。
私なんか、一度も連れて行ってくれてないのに、ちょっと不公平やなと思いましたもん。

そして、梵天さんは私に似てるのかと問うと、似てるけど、もっとりりしいお方よと言うのです。
たしかに伊勢正三がにやけたら、見ちゃおれんわなあ。

私は一度だけ、夢の中で自分の姿を見る機会がありました。
たぶん私のハイアーセルフでしょう、私は彼の視座にいて、ある白衣の研究家の部屋にいて、彼が試作している望遠鏡のような設備を、夢の中の私が覗き込んだわけですが、中のレンズ板に反射して私の姿が写っておりました。
なんだか、ずんぐりがっしりしてて、確かにりりしい感じなのですが、私には似てないのですよ。

梵天さんは三千世界の主であり管理者でしょ。
そしてまた、神の火花たる魂たちの配給元でもある方でしょ。
ハイラーキーが梵天さんということで奇妙に納得するのが、何でもが即わかる便利さです。
だって、彼はすべての魂の行って見てくることを全部把握してるわけでしょ。
まあそのうちのごく一部でしょうけど、求めに応じて見せてくれる。
普通の人では、こんなことは見つけ出すことはほぼ無理と言ったところに目が行って見つけてしまうんです。
ところが情報の大半は読み流し。目的の位置に来ると、ビシッと釘付けになるってわけです。
名前を森田検索とでもしようか、と思ったり。

たぶん必要なとこにハイラーキーが行かせるわけなんでしょうね。
だから、私は最近、自分はジョッキーが乗るウマだと言うようにしてます。
自分が梵天だなどと言ったら、ほんならもっと立派にならんかいと張っ倒されますでね。
ウマならば、ジョッキーが赴かせる先で、見てくるだけでしょ。
それを3次元密度の思考回路に乗せて、組み立てて、3次元密度的な解を得るということ。
その程度なら、ウマでもやれますもの。

他の人が膨大な図書を読み込んで、細大漏らさず記憶して、こんなとこにこんなこと書いてあったな、と見つけてくるのとは違うのです。
だから、こんなのは、知能指数も記憶力も、最低限以上には要らないのです。

私は子供の頃、知能指数を計ったことがあります。たしか、110程度でしたよ。あの天才的頭脳の13歳にして数学博士になったジェイコブ・バーネットくんは180とのこと。それはもう、はるかに程度が高いです。

しかし、私には、情報を行先で示してくれるジョッキーがいました。目の前に必要情報が自然にやってくるというのが実感だったのです。
もちろん、ウマの感受性は研ぎ澄まされていました。いつでもキャッチできることが大事だったのです。
情報は多岐に渡りましたから、専門家にはならず、自然に総合家になりました。全体を一望できるようにするのが私の特技なのです。つまり、哲学になってしまうわけですね。

このウマは、ウハウハのウマ冥利に尽きるインナートリップに心奪われてきました。
繋がっていく魅力は、アヘアヘ体験へといざなってくれます。
ハザマ健一さんも言ってましたね。アヘアヘ体験が脳にはいいんだと。みなさんも、脳を喜ばせてあげてください。痴ほう症なんか、絶対なりませんよ。さて、今晩も、アヘアヘ体験するかな。

しかし、生身のウマは、か弱いんです。
ウマの福利厚生をもうちょっと考えたってほしいと、ジョッキーさんや馬主さんには、しょっちゅう苦情と陳情を申しておりますよ。
いっぽうでは、関羽公が乗る赤兎馬(セキトバ)に対抗して、赤鳥馬(セキチョバ)と見栄を切ってますけど。
ほんとうはおとなしくて、赤面しやすいシャイなウマなんです。

あの彼女も、生身の私に対しては、ウマ扱いして、奥人(号)と呼び捨てていたのでしょう。
そのときは、梵天さんが乗馬くださっていなかったのでしょう。
だから、小気味よい梵様という表現が出なかったのかと。
そんな阿呆なことを思い返してみたりしています。

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