わーお、ハロウィンの日になんてことをしちまったんだ

そういう私は、そう、もうざっくばらんにぶっちゃけましょう、妖怪なんです。(笑)
天の穂日だとか言ってみたり、まあその雛型(つまり神楽の俳優)をやらせてもらってるかなあ、という神霊が私の本体さまなんでしょう。
私が50歳になって初めて彼女が連続して2人できたのです。そのあとの人と2年付き合いましたが、その彼女が霊媒体質(俗に言う巫女)で、10日以上の臨死体験をしたり、来る日も来る日も同じ夢を見たりするという人間離れした人だったのです。2002年のことでした、突然悪霊が彼女にかかってしまって、それこそエクソシストさながらになってしまいまして、その時、私と悪霊が言い合いをしたのです。
突然言質が男のしわがれ声になるや、
「世の中には(悪事を)いくらでもやりたい者が数多くいるのに、わしらのやろうとすることに口出しするな」
私は人生初めてのことだったので、面食らってしまって、しょうもない言い合いしかできませんでした。
なに? お前はいったい何者なんだ
「やかましい。わしらのすることに手出しするなら、この女がどうなってもしらんぞ、それでいいんだな」
まて、この人にはかまうな  決してお前たちの悪いようにはせんつもりだから、この人からすぐに離れろ
「なにおーっ、そもそもどうして人間でもない者がここに居る、(人間界のことに)関わるな」
内心、ええーっ|д゚) ままま・まさか と思いましたもんね。しかし、ちょっと考えて切り返す。
何を言うんだ 私はちゃんと人間の腹から生まれとる お前のほうこそルール違反だろうが
そんなやり取りが何回か繰り返された後、悪霊は抜けました。
しかし、彼女は意識が朦朧。しかたなくその場から彼女を連れ出すことに。
そんな悪霊のランクがどれほどかしらないけれど、脅迫される私など、大した者ではない。
しかし、ショックだったねえ。そのときふと閃いたのは、私は妖怪かもしれないという事実。悪霊退治能力もないんだから、それ以上のものではない。
当時、私はホームページ開設していたので(まだブログのない頃)、メールフォーム出したときのタイトルを「何の妖怪(用かい) どこが怪異(痒い)の」と間寛平モードにしてたくらいです。その頃から、ズッコケが加味されたんですね。
まあそれでも、元の根底的思想が、この世は仮想現実世界だというのがありましたから、むしろ逆に面白い体験ではないですか。不思議な彼女たちと知り合うし、2000年以降、インディー体験が如実になってきたなあという印象でした。
(さて、この記事をDisqusのほうにアップしたのが奇しくもハロウィン当日10/31夕刻。ハロウィンとは悪魔ニムロドを祝う日とか。そんな日に思いついたように悪霊との対決のことを書いたことも奇妙なのですが(私もコントロールされてるんやろか)、ちょうど多分その頃でしょう、一人暮らししていた私の妹が浴室で倒れて意識不明になっていて、関係者の知らせで、11/1に行って異変を知り、119で消防さんが救出に入ってくれて、一命は取り留めたものの意識不明が続いているという状況です。脳に損傷はなく、骨折もなく、頭部打撲がある。持病の難病があってのこととはいえ、脳に問題がなく意識混濁が続く現状というのは、謎めいています。臨死体験をしているやも知れず、またしっかり意識が戻ったときに訊いてみましょう。悪魔の伝言などを聞いてくるかもしれないから。
上記の彼女も生活上、仕事上で邪悪な妨害を連続的に受けたことにより、私に協力していたら大変なことになるということで2002年11月に私と別れたのです。
人間というものは、すでに大きなハンディを負って生活しています。そこに邪悪な悪霊たちが干渉して実害を与え、恐怖を与えして、人間を破局させたり、帰順させて邪悪の道に駆り立てているという実態が理解できたように思います。これもまた邪神悪魔の所作として邪悪リストに大きく載せることになります)

先の記事の彼女との不思議体験の始まりは、2000年9月27日に舞子の移情閣の二階で初めて威儀を正して握手した時です。
というのは、彼女がまだ10歳の頃に、毎夜毎夜見続けた夢が、何者かに追われていつも移情閣に辿り着く怖いような夢だったらしいのです。ところが移情閣の扉は、窓も含めて全部閉ざされていて、入ることができなかった。それを毎夜のように繰り返し見たと言います。
それがあるとき、夢に新展開が・・・追いかけている何者かの実体を掴もうと振り返ったとき、大きな鬼の顔がやってきていて、「お前はニセモノだ」と言ったそう。すると彼女は「私はホンモノよ」と即座に答えた瞬間に鬼は消えた。
そして移情閣の門が初めて開いていて、中に入るや扉を閉めた、すると今度は扉が開かなくなり、真っ暗闇の中に。翌日からは、真っ暗闇から夢の続きを見るようになり、それがあるとき、移情閣の白熱電灯の灯る二階にいて、それでも窓は開放されておらず、佇んでいたところ、三階から階段を下りてきた青年が。彼女のところに歩み寄るや、「長いこと待たせたね」と抱擁したといいます。
すると今まで開かなかった窓が全面開放されて、二人はそこから飛んで出たと言うのです。
その時に、移情閣の窓から見えた光景は、明るい空に大きな橋が青い海を渡して掛けてあったと言います。
確かに、移情閣は当初、もっと東の塩屋にあって、誰知ることなく閉ざされてあり、国道からいつも変わった建物だなあと、眺められていました。
それが明石海峡大橋が掛けられることのために、名所として舞子公園に移設されたのです。
その解体して原型を留めない頃に、阪神大震災があり、大橋の完成も大いに遅れましたが、移情閣の記念館としてのオープンも遅れて、2000年5月ぐらいでしたか。その時には、立派な大橋が淡路島に渡されてありました。
彼女は言います。夢に出てきた移情閣のことなど知らない頃に見た夢の建物が実在していたことを知って以来、夢の青年もどこかに居るに違いないと、通学時や街中、長じてからは通勤時などに、あるいは知り合いなどに該当者がいないか見てきたそうです。というのも、この彼女は厳しい家庭環境などで精神的に追い詰められた生活をしていて、まさに移情閣に閉ざされたような境遇にあって、私が当時、ちょうど創作作品サイトと超常サイトを持っていた時、相談に乗ってくれと頼ってこられたのです。一、二か月、カウンセルのメールのやり取りを生真面目にしていました。
それであるとき、もしかしてあの青年はあなたかもしれないから、一度会ってちょーだい、となったのです。それまでは会ったことも見たこともないお互いです。まったくの初デートが秋晴れの暑いぐらいの日でした。
それまでに、私は根っから不思議好きですから、移情閣のことをネットで調べています。
二階というのは天井画からすると、龍の間と言っていいみたい、三階は鳳の間。そして移情閣は八角三層の風水塔。神霊を閉じ込めてしまう作用をするカゴメの結界。もしかしたら、あなたは龍の化身かなあ、などと話ししてました。私がもしそのときの青年だったら、鳳の化身? うれしいね、などとメルヘンじゃのうのアホですわ。
そして、私は昔グレたと母に思われて、祖母が心配して私のことを青郷で見てもらった。そのときの見立てが、この人は(私のことですよ)最上の松に泊まる鶴じゃ、とのご託宣だったことを、彼女に話しますと、すると、私は亀ですと言うではありませんか。そそそ・そういえばあなたは乙姫さんに似ている。乙姫さんは亀だから、ああこれは鶴亀が一堂に会してますね、となったのです。
では、夢のシュミレーションをばいたそうではないですか・・・私は三階から下りてきて、この場所で、ニコッ。ええ、でも手を握るだけにしてください、そうでなければ早く別れてしまいそうに思うから。ハハハ(;^ω^)そうですね。
ところが三階は真っ暗闇。拝観料とっているのに、三階は開かずの間になっている。それでも階段下りるには、真っ暗な階段の立ち入り禁止の衝立を超えて中ほどより上にいなくちゃ、というわけで上がってみれば、三階の天井書画が採光窓の光で垣間見えました。右書き書体の水墨で「蓬莱第一」と書かれてありました。このゆえに、蓬莱という言葉が最初に新神話メルヘンの中に採り入れられているのです。
さて私は真っ暗な階段を下りて二階の中央にいる彼女に、長い間待たせたね、と言って手を握ったのです。時刻は午後1時半。
これで儀式は完了したのですかね
はい、これがうまくいったなら、何かの兆候が見られるはずです もしあなたでなかったとしても、もう諦めがつきます
わかりました では様子を見ましょう
てなわけで、彼女を自宅のある最寄りの駅まで送り届けて、様子見に入ったわけでした。
もちろん、その後もいろんな情報をやり取りしましたよ。
御伽草子の浦の嶋子伝説は、浦島が玉手箱の煙で灰になってそれで終わりではない。
その灰から鶴が飛び立って、本地の蓬莱島に帰り、そこで乙姫の亀と仲睦まじく暮らしたというのです。
よく掛け軸に描かれる鶴亀の図の背景は、蓬莱島なんです。
元々は、蓬莱島にいた鶴と亀。それが時を悟り、この地上に降り立ち、神楽を舞う。
それ鶴亀統べるの真義なり。
初デートの当日からちょうどまる九日後、手を握り合った同時刻に鳥取西部地震M7.3が起きました。
旧暦でその日をご覧になれば、九月九日ひのととり(日野鳥取)という語呂が得られます。
九という数字、そして火の鳥という言葉が抽出できました。
時悟り 蓬莱出でて 鶴亀は 此地に渾りて 瑞い世開く
道別きて 集い渾りし 鶴亀に 舞子が浜を 火の鳥の発つ
籠の中の鳥は、火の鳥として出てまいりました。
その頃、キトラ古墳の朱雀が助走をつけて飛び立つ姿で出土。
ところで、なぜ火の鳥なのか。
それは、彼女が両親の代からの大本教系の宗教信者で、教祖の方の思いを彼女自身真剣に受け止め、「炒り豆に花が咲くまでは出てはならない」という呪詛を掛けられて封印された国祖神さまたちをお救いしたいという願いを、私に何度も話していたのです。
もともとは大本教の出口なおさまのお筆先から出たこと。その源流は九鬼氏の神話にありました。
そして、不思議なことに、当時私は知らなかったのですが、二人の以後のデート地は中間位置になる高砂市の高御位山の西下の鹿島神社だったのですが、そこは昔、九鬼本陣のあった場所だと後でわかったのです。
そして、火の鳥とは、火口のマグマの中に飛び込んで灰の中から蘇るという不死鳥のこと。
それからすれば、炒り豆ごときやわい火加減など、もろともするものではありません。
この語呂合わせからすれば、百万倍一千万倍、勝っているではありませんか。
なんじゃこれは、フライパンで炒り豆? ええ湯じゃのう、というわけですわ。
国祖神さまは我々の手で、じゅうぶん救出できるぞ、となったのでした。
その後、地上で生きる限り、悪霊も相当量いますから、彼女は初発の思いに背くようなことにもなり、ちょうど2年でのお別れでした。
それからまた2年後、すでに諦めていたいちばん最初の彼女から連絡が入り、それから通算して7年のお付き合いになったのですが、この2対7は、市寸嶋姫と奥津嶋姫の、いわば弁天様の幾何学なのです。
魂を 捨てる気になり それでこそ 浮かぶ瀬もあり ギャリソン中尉
2000年10月6日午後1時半に起きた鳥取西部地震M7.3は、不思議のとば口が開いた記念すべきイベント日。だから私は鳥取で起きる地震には殊更関心を持っているのです。今回の鳥取中部群発もおかしいでしょ。
気象庁は毎日更新している震源地マップのM6.6のあった21日から24日までの四日分だけ表示してないです。それを除いても、また震源地位置は点字ブロックになってますよ。
もう水汲みに行けないかもしれません。水質がねえ。
最初に群発があった頃に水汲みに行って、あちら白山水の業者のかたも、「もしかしたら温泉になるかもしれませんねえ」などと冗談飛ばしていたのですが、近隣の三朝温泉の湯の温度が上がったという情報もあり、まあほんとうにそろそろ温泉として開業するのかもしれないと思っています。

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