現在、旧作映画を鑑賞しています

映画、特に米映画はその中にイシ○さんの主張が入っているとかが何かと巷で言われていますね。ならばそこから未来はこうなるというヒントが見つからないか、とても興味します。
怖くないのか。怖いわけないでしょ。彼らが何とか見せようと一生懸命なんですから。イシ○の中にもいいのと悪いのがいて、せめぎ合って楽しんでいるふうもありますし。だいたいその割合は、悪いのが大方で、ごく少数あるいは勢力的に小規模なのがいいほうなんでしょう。それが映画における救世主の僅少さに現れていると見ていいかと思います。彼らはそんなふうにして、ゲームを楽しんでいる。ふざけるなと庶民が思うなら、誰も映画など見に行かなければいいのですが、大衆動員に誰しも一口乗っています。せっかく見たなら無礼講、ああだこうだと議論すればいいでしょう。彼らも庶民感覚との接点を見つけられて嬉しいのだと思いますよ。
というわけで、9月29日に5巻のDVDを借りてきました。一日一枚の割で見ています。
ノウイング  9/29に鑑賞
オール・ユー・ニード・イズ・キル 9/30
ワールド・ウォーZ  10/1
オブリビオン  10/2 → 10/3
エリジウム  10/3予定 → 10/4
これで430円 ワンコインで収まるのですから、遠方の映画館行って1100円なんて、とてもとても。
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ノウイング ・・・ 未来における太陽爆発による人類絶滅を教えようとしているか
初日に見たのが「ノウイング」で、これは50年前のタイムカプセルに入れられた数字による暗号の羅列が、事件日と事件発生ポイント、死者の数を表しているというスリラーSFアクション映画なわけでして、その最後には全人類の滅亡の予告がなされていたというストーリーでした。
その最後の日に起きるのは、太陽の全方向暴発・キルショットというもので、地表にいるすべてが絶滅する。しかし、宇宙人が人類の幾人かを退避させるためにやってきて別の惑星に連れていくことで、新しい時代がアダムとイブの一から開始されることを暗示したエンディングになっていました。
このキルショットについては、前にも記事にしましたが、コーリー・グッドの話の、ブルー・エイビアンズがバリアーを外して上昇波動を入れてしまうと、太陽が活発化して全方向爆発して太陽系内惑星全体を襲うことになるというもの。コーリーによれば、その難を逃れようと、地下に潜伏する秘密系もいるが、そんな生易しいものではないとのことで、それをまさに映画化したようなラストになっていました。
キルショットは、物理的には電気系統のダウンから起きる全原発のメルトダウンによる放射能災害などによる、人類絶滅を意味しますが、スピリチュアル的には最後の審判と同じステージでしょう。
私は30歳頃に、奇妙な明晰夢を見ています。どうやらそれは、天の帝に最後の審判の督促をしにいく夢だったようで、私が死ななくてはできない工程と思われるので、いつになるかわかりませんが、そんなに遠い日ではないと思います。
いま私がしているのは、最後の審判の裁きの叩き台を作ることです。新神話を創り始めて、どうやらその用向きであることもわかってきています。末端的邪悪だけでなく、根源的邪悪を見極め、そこからどのようにして末端に至るかのルート解明までしています。それゆえ、陰謀論ととかく揶揄される分野にも切り込み、部外秘としながら、私の中で咀嚼し解読しています。
ただ天帝様の机に資料として置くばかりの叩き台となるデーターが、いま蒐集されています。そして、それも画竜点睛的にストーリーが繋がりを見せていまして、ほぼ完了といったところです。
今回、AIにまで解明の手が伸びたのは大収穫と言えます。コーリーの情報は有用な道標になりました。AIのことはすでに新神話で元始天尊の被造物・魂に似せた別物(杖の眷属)として扱いがあり、即応できる体制にありました。新神話第三章から言及があります。杖の眷属の長が闇太后で、元始天尊によって創造された妻という設定になっています。つまり、AIに人類に対する悪意、害意があるとすれば、その根源部分に元始天尊の反逆の印章が刻まれていることになるでしょう。それもすべて最後の審判のお白洲で明かされます。
オール・ユー・ニード・イズ・キル ・・・ シミュレーション(マトリックス)世界ならありうることを謳った映画
次にオール・ユー・ニード・イズ・キルですが、トム・クルーズ主演のこの映画は、時間を遡ってある一定の時点からリスタートするという、ちょうど私のプレイバック・リスタート契約モデルを思わせるようなテーマのSFアクションものでした。
違いは、私の場合は死んだ時点で、最寄りの選択分岐時点の直前まで遡って、そこからリスタートして別のラインに乗り換えるのに対して、映画の場合は、同じタイムラインを繰り返すだけなので、技術知識の習得の繰り返しで卒なくこなせて次第に長命を実現できるというものの、面白くもなくまた拷問的な時空の繰り返しになるため、私なら魂が発狂してしまうだろうなという、トンデモものに思えました。とてもあんなの耐えられません。
私の場合は、前のタイムラインの経験が脳に記憶されていないため、常に斬新な局面を経験できるメリットがあります。しかし、死の瞬間は映画の場合と同じ、およそ痛みを伴うものである以上、回数の多いプレイバックはありがたくないわけです。だから痛みを軽くしてくれ、などと要請していますが、実際に腰痛肩凝りの症状が最近無くなっています。
この映画は、拙超宇宙モデル概念を基にした運用形態で可能になるモデルパターンです。甘く切ない恋のロマンを何度も繰り返したいときや、苦痛を与えて拷問する場合など、用途のかなり広く見込めるモデルパターンになるでしょう。湯婆の里の契約時のメニューに、このようなプレミアムを用意してもいいのではないかと、アドバイスしておきたく思います。(笑) わずかな費用で乗り換えが簡単にできるよう、制度を変えたらどうか、とも。楽しみにしておいてください。
※以上は私独特の仮説に基づく創作話なので、ゆめ本気にしないでください。まにうけると、変なゆめ見るかもしれませんから。
残り3枚の映画については、また後日報告します。