新神話のあらすじ・・・蓬莱第一・第二部

前記事・第一部の続きです。
1999年、私はネットの趣味の取り持つ縁で、峰桜さんという人を好きになりました。この人は既婚していたものの、今から思えば最愛の人でした。私は出会ったことはないのです。しかし、心を通わせあうことができました。私はこのとき、自らの幽体を飛ばして、向こうの有様をつぶさに観測して、愛し合いました。しかし、この人の立場を悪くすることはできませんでした。
2000年のこと。やはりネットの縁で、イナンナさんを知り、心のケアーをすることとなりました。そのうち実際に出会ってから、この人の身に急変があったため、峰桜さんと別れねばならなくなりました。私は鶴なもので、一度に二人と付き合うことはできなかったのです。峰桜さんをとても悲しませました。でも、仕方ないことでした。
イナンナさんと私は、まさに鶴と亀の出会いとなりました。それぞれにそのシンボルに関する占い師の見立てや因縁を携えていたのです。
とくにイナンナさんには、その出生にまつわる因縁もありました。この人は、生まれてきてはならないのに生まれてきてしまった人だったことです。
その事実の分かったのは、この人が25歳のころに臨死体験したことによります。この人は、10日間ほどの臨死の縁をさまよい、その中で様々な幻視体験をしてきました。
霊界にいる身内から、なんでこんなところに生まれたりするんだ、辛いだけなのに、といった非難の言葉をあびながら、生まれてきたそうです。それでも探すべき人がいるからという思いから、この世に懸命に生まれてきたそうです。
それを志半ばにして、死神につかまり、連れ戻されようとするのを、鮮烈な中陰の死後体験を経て、生死を差配する霊から矢継ぎ早の一千問にもわたる、生死を決めるためのテストを次々とパスしていきました。そのとき何人もの霊人が、入れ替わり立ち代わりこの人の横に立って解答と弁護のアドバイスをし、その中に私も居たといいます。
しかし采配の霊は、何としても彼女の望みどおりには生かしたがらなかったのでしょう。今後両親のために生きるという条件を呑むという約束で、臨死から生還させました。
この重みを深く心に刻み込まれたこの人は、親があてがった見合い相手と素直に結婚しました。しかし、結婚生活は思わしくなく、三人の子を設けたところで、養育を困難と判断した夫やその実家との間で不和になり、睡眠不足による体調不良と、家庭崩壊してゆく成り行きに思い悩んだ末、そのころ始めたインターネットを手段に、私が開いていたサイトを探し当てて、連絡をしてこられたのです。
---------------------------------
「はじめまして、でもまじめです」という題で2000年6月に寄越されたメール
HPざっとですが拝見し、世間では不思議の一言でかたずけられることを、あくまで客観的な態度で、分析、考察されている態度に安心し、このメールを書いています。
25歳のとき臨死体験をしました。臨死体験をすると奉仕の人生を生きるようになる、なんていいますけど、私は逆でした。
それまで、世間の方よりははるかに精神世界を追い求めている人間でしたので、反動がでてしまい、生き残った人生を唯物的に過ごしてきました。
(せっかく死ななかったんだから、ふつうの人生を生きたいってやつでしょうか?)
普通に結婚し、普通に子供を産み、お金に充足感を求めて・・・でもだめでした。
自分の5感以上のものに、ふたをすると、かえってマイナスエネルギーが、噴出してしまう。
だからやっぱり自然な自分を、あるときから認めて生活しています。他人には変でも自分には、自然だから・・・
木々の声や、オーラの見えること、予知夢、アカシックレコードって言うのかな?図書館に行って、真理を知ってきてしまうこと、そして過去・・・これが私自身のすりきれた記憶なのか?DNAのなせる技なのか?
この頃過去がパズルのピースのように、いっぱいそろって、でも繋がらないもどかしさで、ネットをさまよっていたら、奥人さんのサイトにたどり着きました。
・・中略・・
奥人さんのサイトに出会えてほっとしました。人に言っても変に思われるだけで、理解してくれる人は少ないですから。
でもどうして、私達のような人と、世間で言う普通の人がいるんですか?すごく疑問なんです。私には今の世界観、歴史観っていうのはものすごく狭くて苦しいんです。この中で魂まで満足して生きることは難しいと思うんです。
でも苦しいという声もなかなか聞かないですよね、すごく不思議です。どうしてなのでしょうか?
ご迷惑でなかったら、レスをいただけますか?
---------------------------------
私の論を読み、自らの立ち至っている不思議なことが理解できる人と、私のことを解釈したようでした。とくに童話「たまとしてうまれ」のたまに自分の身の上を重ねて、いたく共感してくれたようです。この物語は、私の身に実際にあったことです。犬以上になついてくれた猫がいました。それに対して私は満足な愛を与えてやることができませんでした。この猫が戻ってきてくれたらとどれほど悔やんだことか。魂の縁ある者が、どんな化身を通してでも逢いに来ていたと信じて作った物語でした。それが、実際の人間として現れてきていることに驚くことになるのです。
私は心理カウンセラーとしての立場で連絡を取り合ううち、この人は、もしかすると探している人物は私かもしれないと書いてきました。
探している?
それはこの人が、不思議な経験の中でも、とくに夢見のビジョンを幼い頃から見ており、10歳のときに繰り返し立ち現れた舞子(神戸市垂水区)の移情閣の夢に出てくる人物のことでした。
繰り返し、魔物から逃げている夢を見る。それは「お前はほんものではない」と叫びながら追いかけてくる。自分の持っているバッグの中身に追われる原因があるらしいが、破れ目から金色の光が時折さしている。「私はほんものよぉ」と言ってなおも走れば、魔物は消えていった。走り続けた先に必ず移情閣が出てくる。そこに一刻も早く入りたいのだが、扉も窓も締め切られており、入ることができないでいるところで目が覚める。
そんな夢を何度も連日のように見ることがあった後、ついに扉が開いて中に入れた夢を見た。中は現存する移情閣とまったく同じであった。行ったこともない移情閣の中をすでに知っていたというのだ。(移情閣は明石海峡大橋の開通に伴い移設されて、日中国交回復記念施設として1999年になって初めて公開された。それまでは私邸であることもあり、すべての戸窓は締め切られて現在地より数キロ東の海辺に佇んでいた)
ところが、一旦入ると、次の夢からは出られなくなった。あるとき、真っ暗な部屋に監禁され縛り付けられて性的な拷問を受けていたようだという。
そんな夢をまたもや繰り返し見ていたが、あるとき明るい部屋にいて二階だと分かっているところに佇んでいた。すると、三階から階段を伝って青年が下りてきて、この人のところに歩み寄り、「長い間待たせたね」と言って抱きしめたという。するとやがて、建物の窓がひとりでに開き、二人して日差しのある外に出て行くことができた。不思議なことに、それ以来、移情閣の夢は見なくなったという。
イナンナさんはこの夢解釈を長い間してきたようです。彼女は私に当然のことながら問います。移情閣を知っていますか、と。しかし、私は移情閣には行ったことがなく、ただ国道2号のすぐ南にあったことから、車で通るたびに朽ちかけの面白い洋館があるなあと思う程度のものでした。
しかし、私もこの夢解釈に参加することになりました。なぜなら、この人にはあまりにもたくさんの謎があったからです。臨死のことといい。私はすでに難しい古事記の謎解きをこなしていましたから、わくわくするくらいの謎解きワークとなったのです。
移情閣は、元の場所から移設されていますが、建物自体は昔のままであり、今では孫文記念館となっていて、観覧料を払えば中を見ることができます。
初めて文通してから三ヶ月たったある日、私がもしかすると夢の中で出会った人ではないかと思うので、私とその場所に行って欲しい、もしそうだったなら、それなりの現象が現れるはずだからと懇願してこられたのです。
夢の青年は、名を「??タイシ」と告げたように思うといいます。私がそれは聖徳太子ではなかったの、と問うと、記憶があいまいなのですが、キンイロだったかも知れないと言います。キンイロタイシ?どう調べても、実在した人物ではなさそうです。
夢の成り行きから、イナンナさんは、この青年が自分の開運の鍵を持っていると考えていたようです。とにかく行って、私が目指す人であれば、象徴的に窓が開く、つまりこの人にとって解放されるか、閉塞された状況が打開されるような展開があるに違いないと考えたようです。
私は、指定された当日(2000年9月27日)、参りました。
非常に大事なことのように思えたため、とにかく行かねばならないと思いました。
というのも、それまでのメールのやり取りで、この人物は何かの神の生まれ変わりではないかと思ったからです。明石海峡に関係した竜神であるような気がしていたのです。精進潔斎はこの一月前くらいから始めていました。粗末なことはできません。
明石駅西口で会い、修理中だった車の代車に乗って舞子に走らせました。お盆の時に続き、ちょうどお彼岸に二度目の故障が起き、多大な出費を余儀なくされた矢先でした。神聖な人との付き合いが始まると、えてしてこうなるのです。贖罪をまずやっておかねば、出会うことも適わぬと感じさせるものがありました。だから、仕方のない、むしろ快い出費と捉えていました。
お昼になったので、舞子ビラで食事をしてから、車を舞子公園に移し、観覧料を払い、移情閣の中にはいりました。中を散策し、お互いについて語り合ううち、不思議な意気投合がありました。建物それ自体は気持ちいいというものではありませんでしたが、中に入ると、私も夢の中で昔のフィラメント電燈のともる古風な建物の中にいる光景を見たことがあり、それに似ている気がしました。
開放された窓からはさわやかな涼風が吹き通り、すかすがしいものでした。お互いが知っているかどうか確かめようと、見詰め合いました。この人は乙姫顔というか、どこかで記憶している人でした。
また、この語らいの中で、私が鶴で、この人が亀という互いのシンボルが確認できたために、不思議なとり合せだなあと言い合ったものです。(私はむかし拝み屋さんから、祖母経由で最上の松にとまる鶴だと指摘されていました)
それまでにネットで調べていたのですが、一階の天井に金龍の彫り物があるゆえに二階は龍の間。二階の天井に鳳の彫り物ゆえに三階は鳳の間と定義できていました。そこで、鳳が龍に出会ったという夢解釈もできていました。これもまた鶴と亀同様、鳥類と爬虫類の対応です。
降りてきた青年のいたという3階は、観覧できない開かずの間になっていて、真っ暗な階段の途中に立ち入り禁止の看板が立ててありました。私は、階段の途中まで上がって、上の様子を見れば、天井からの採光を幾分か受けて、天井額がひとつ目に入りました。そこには墨書で「蓬莱第一」と書かれてありました。
私は手を繋ぎ終始寄り添ってくるこの人に、二階の例の場所で、「キスしてもいいですか」と問いますと、「それはちょっと。いまそれをするとすぐに別れなくてはならない気がするから。手を繋ぐだけにしてください」と言われました。まるで初めて会ったのに、幼馴染のように寄り添いながら、すべての部屋と陳列品の数々を見て回りました。当日のうちに、この人の口から、夢の中の人はあなただったようですと言われました。
その答えとなる現象は、移情閣の二階の所定の位置で、夢をシミュレートした日時からちょうど九日目、216時間後に起きました。(216=2+1+6=9)
2000年10月6日午後1時半の鳥取県の日野町で起きた阪神大震災級の地震です。
また、しばらくの後、イナンナの友人の連絡でわかったのですが、当日は旧暦の九月九日重陽の節句で、ひのととりの日でした。
九という数が並ぶこと。そして火の鳥が二度にわたって暗示されていたこと。これは奇跡的なことでした。
マグニチュード7.3の阪神大震災と同等の大地震にしては、死者が出ませんでした。阪神大震災のときとは雲泥の差です。被害がなかったから、なんだこの程度のことと思われるかもしれませんが、深刻な被害が出ずに、大きな地殻変動があったことは、何か良い神が動いた証拠です。生命を大切にするタイプの神が動いたと言えるかもしれません。
阪神大震災のときには、淡路島の野島断層がきっかけになったとのことで、イザナギの神が世に出現されたという感があり、私はそのことを「山姥の歌」という物語にしました。古事記のイザナギの神は、イザナミの神を黄泉の国から救い損ねて、結局、最終戦争の末、選民だけが汚土からの脱出を図るということで、生命の滅亡という悲惨さが根底に潜んでいるのです。それが確かに被災地を瓦解させ、6000人以上の人命を犠牲にしたと解せます。日本は世界の縮図となら、世界最終戦争という激震時にも同様の光景が広がることでしょう。
だから、神話を作る時は、作り手の思いによって、世界がどうかなることを念頭に置きながら編まねばならないのです。たとえば為政者は、神話によって世相をコントロールさえできてしまうから、こうした呪術性あるものの制作には心血を注ぐのですが、果たして庶民の幸せの側を優先しているものでしょうか。
鳥取地震に関わった神は、旧神話の神とは明らかに違います。現れ方から推測するに、すべての生命にとって優しい処置をするように思えました。
前にも書きましたが、私は平成7年5月に、一著を世に出しています。
この著書は、阪神大震災の瓦礫の下をかろうじて潜って実現したものです。
次に掲げる作品は、その自炊版電子本です。
「古代日本にカバラが来ていた」
その中で目玉だったのが、図形の発見と、古事記の神話部分の預言的解釈でした。
預言的解釈のほうは、日本が原爆を落とされた後の現在進行形のシナリオが描かれているというものでした。そこにはこの時代の終わりまでが網羅されています。解釈をお読みになれば、おそらく日本神話によって世界さえもが動かされていることを感じられると思います。
そもそも私は、聖書の予言などに、この世の終局ばかり説かれていることに対して反駁するような予言であってほしいと、古事記に期待したのでしたが、結果的に同じであることが分かったのでした。聖書も古事記も、この世が終わることを必然のものとしていたのです。聖書は終わりの後に、神の国が来るとしますが、古事記はそれすら書かれていません。ただ、ひとつの文明が終わりを告げ、次の時代への陸海空の舞台設定をした段階で終わっています。
終わることが命題であって、それ以外の選択肢を与えないのが世界の予言であるらしいのです。歴史展開の基本パターンを与えるのは、イザナギ、イザナミの黄泉下りと、イザナギの黄泉脱出という神話です。このどちらの神にも、どちらに属するか性向によって大別された人類を仮定してみれば、分かり易くなります。
価値観の転換は古来何度もありました。しかし、最後のこれは生態系を覆してしまうほどの致命的な破局となるのでしょう。
これを回避する方法は、すべての人の生き方が今までと正反対ほどに変わらねばならないと、ホピ族などは考えました。柔軟な思考回路の人間ならばそれも可能でしょう。ところが、人はみな、間違っていると気付いていても、今がそれで満たされているなら、その状態に甘んじようとするのです。だから変わらないし、変わることに対して、みな極度に臆病であるのです。
集合をなして行動し、その結果が滅びと見えていても、集団催眠に懸かったように、追随するのです。終わりのときは、さぞ辛かろうと思うのですが、築いた財や築いた銅像を、竜巻に巻き上げられるようにして破壊簒奪されるのです。それでも人は、みな一並びだから、仕方ないことだと諦観してこの世を去るのでしょう。良き頃の思い出を胸に。人はそのような合理化の上手くやれる生き物のようです。そう。どこか滅ぶことに対して、諦観というか、憧れというか、美学を持っているのが人類なのです。
成り行きがこうなのだから、何もできない。一個人では特に。だから、大衆迎合に落ち着いて、そこで安堵感を得ているのです。
それが何によるのか潜在意識の底に向かって辿れば、おそらく世界の成り行きを規定しているシナリオに行き着くのではないかと思います。この絶望的なパターンの影響を人は知らず知らずのうちに受けているのです。
そのようなところには、進化の芽など吹いてきません。同じことの繰り返しをしても、それでよしとしている。その先には、またも何度目かの人口ゼロ時期からの再出発という涙ぐましい努力が要ることになる。数千年がまたも必要になります。
ムー、アトランティス時代から来ていた魂がまたも次の時代にお目見えする。ソロモンがいみじくも嘆いて言ったように、天の下には真新しい物など何もないということになります。旧い神話による限り、多くの犠牲を出し、基盤を瓦礫の山と化す阪神大震災のような成り行きとなる。だから、このパターンを希望あるもの、滅亡に至らないものに乗り換えるシナリオが必要となるのです。私はその希望ある見込みを鳥取西部地震に垣間見ました。
次に図形のほうです。これは神話に書かれる地名や古代大型祭祀霊場を巨視的に繋いでできる図形が、かなりの見込みで、古代中東の神聖幾何学を表わしていると考えられるのです。導き出された図形に、およその場合、淡路島の多賀、すなわちイザナギ神宮が含まれていました。
畿内の五芒星や菱十字などでは、淡路の多賀が要(カナメ)なのです。
その場所をほぼ震源とする大地震に、イザナギ神の出現の動きを見ました。この神は選民による人類存続の可能性を表わす神です。そこには世界の破滅と選民の篩い別けが意味論的に暗示されていて、人々にとっては怖いくらいの神です。
世の腐敗に関わるイザナミも怖いが、イザナギも怖いのです。旧神話による限り、避けられない成り行きとなることでしょう。だが、新神話が作られるなら別です。
第三部につづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です