新神話のあらすじ・・・蓬莱第一・第一部

この記事は、2003年当時の、新神話の序盤とも言うべき時点までの記録を、ここに再掲するものです。
第一部
私も、かつていろんな予言を解く試みをしました。
総じていい成り行きを語っている風はないように思えました。
だが、もし未来を変える方法を手に入れたとすれば、自ら理想とする未来をそこに投影したくなるはずです。
ここに書くことはインディージョーンズばりの夢のような話ですが、私は今でも信じています。だが、結果的にこの過程は成り立たちませんでした。よって私だ けが自ら生きた証として記憶にとどめればよい話なのですが、誰かが夢を引き継ぐに違いないと思い、ここに新神話概説として書き留めようと思います。
いや、まだ成り立たなかったとは言えない新たな成り行きも兆していますから、これからどうなるか分かったものではありません。誰も他にできる者がいないな ら、私が力を出し切ってでもやらねばならないでしょうが、今のところ、最も可能性のある人を見つけ出しています。いや、ひとりでに彼のほうから来てくれた という感じです。話が続いていくなら、その人を中心にした話になるでしょう。でも、まだ弱含みなところがあります。
誰でも、同じことが可能です。それは、ほんのちょっとした暗示から始まり、それがたまたまわずかばかり積み重なった結果なのです。
誰かが意欲的にしないなら、私が最後までやるしかありませんが、とても危険なことで、体力が要ることです。種々の妨害に遭い、頓挫や挫折や困難の連続にな ることが予想されます。しかし、この世の有情を魂のレベルから救うには、これしかないように思います。私は今まですでにあったことを「蓬莱第一・その一 話」として書き残します。
これは、私が本当に関わった事実です。
その前に、いくつか前提になる私なりの定義と、私の存在環境について申しておきましょう。
これは一般的にそう言われてきたことであり、私がそれを後付して証明しているのかも知れません。この話を紐解くための基本原理として、読み進まれる前にお 心置きください。
私は、宇宙の構図として、天にある如くが地にもあり、地にある如くが天にもあると考えます。また、世界の構図として、日本が世界の縮図となっている、日本 が良くなれば世界も良くなる、日本がだめになれば世界も然り、逆に世界の今ある困難が日本の津々浦々に遍満していると考えます。
世界の巷に神話があり、未来の預言を語っている場合があると考えます。聖書も然り、世界を支配する神話です。主流になる神話はおよそ人類の文明の終結を預 言しています。それも決して生易しいものではなく、生態系の絶滅という最悪の事態まで予見しています。
しかし、神話がそうであるゆえに、世界がそのように導かれるという逆説が成り立つのだということを人々は知りません。誰もそのようなことを考えたりしたこ とはありません。みんなそれを一番良くても預言だと考えるだけにとどめています。
しかし、私の時空論からすれば、 すべてはプログラムだから、先にシナリオありきとなるのです。シナリオというのが神話なのです。神話としてプログラムの仕 様書や設計書が氷山の一角を覗かせているのです。
人々はそれを事前に与えられているのです。シャーマンを介して分かりやすい御伽噺として。ところが、人は意味が理解できないのと、よもやそんな仕組みとは 思わないものですから、その流れに同意しないうちに乗ってしまうのです。人々は、神の下賜した契約書の意味もよく理解せず、めくら判を押しているに等しい のです。
どういう経緯で人類が導かれるのかは分かりませんが、おそらく人類の集合無意識にプログラムがセットされ、神話のシナリオどおりに歴史が進行していくもの のようです。
私は、世界の縮図たる日本の神話「古事記」の神つ巻を訳しました。その結果、文明の末期は、聖書の預言と何ら変わることのない内容であると知りました。し かし、多くの宗教家によって解釈がなされており、神による世界の建て直しという栄誉ある未来像が語られていたりします。それが正しいのかもしれませんが、 私は彼らの予見が正しく適用されることになる時空は、ここではないと思います。
この時空の今の時点は、まさしく「黄泉の国」の 歴史を刻んでいます。この先にあるのは、最終戦争と生存人類の選別という行程です。イザナギ人類になるか、 イザナミ人類になるかという内容の。聖書の預言と何ら変わるところはありません。少数のイザナギ人類により、新しい生活が始まることを建て直しと言うかの ようです。
では、何者が神話を作ったのでしょう。神であろうと皆さんは言うことでしょう。本当にそうでしょうか?神話を書き、語ったのは人間です。彼は神の啓示を受 けて書いたり語ったりしたとは思っているようです。神が自ら筆を執ったものでないのに、どうして神が語ったと言えるのでしょう。それは、人が「日(理念) の扉」としての機能があるからです。啓示を受け、インスピレーションして書いているのです。
古事記の神話は、かなり精緻な預言書の体裁をしています。それを一代で作られた天武天皇は神がかり的です。それは、それ以前のシャーマンが受けた啓示を総 集されたのでしょうか。そうであったにしても、神の啓示があったと思われます。それは世界のシャーマンを介したものとほぼ同じでしょう。
神。この神とは、何者なのでしょう。以上の説明からうすうすお分かりでしょうが、私は決して良い者とは思いません。不幸な現実の中に人々を置き、幼時から 先入観や思想を否応なく吹き込み、一定の時期が来れば根底から考え方を覆してしまう。そして最後が魂の行き先の選別だと言うなら、何のために生まれてきた のかと考えさせられてしまいます。
我々はテストされるために来ているのでしょうか。ならば、何のテストでしょうか。魂の耐久性テストですか。ではテストにパスした魂を次にどこに持っていこ うというのでしょう。もっと厳しい特別な任務があるのでしょうか。それとも神への忠誠心を試す思想テストでしょうか。ならば北朝鮮のトップのような神かも 知れません。怖い話です。それを我々は神と呼べますか?怖いなら、そう呼んで媚びたらいいと思います。神は褒美をくれるでしょう。そのような例をすでに私 は同じ神業に携わった者に見ています。それが彼のできた精一杯の生き残り方だったのでしょう。
しかし、「地」を見れば分かるように、利権構造と利益誘導型の政策は必ず利己主義と非モラル的退廃の温床となるのであり、神の世界にも決してプラスにはな らない ものではないでしょうか。
それが「天」にもある状況です。それを神話は、このように言っています。狭蝿なすものの満ちる高天原であると。アマテラスがお隠れになったために、高天原 と葦原の中津国ともに暗い有様になっていると。そして暗にこう言っています。そこを支配するのは、混沌から成り上がった邪神たちであると。
実際はもっと複雑な経緯があるのですが、かつて宇宙の創造神から管理を委ねられた正神たちがいました。国常立神を肇とする人類および生命全般の黄金時代を 築いた神々です。ところが、宇宙の外の魔の領域からの侵犯が多くなり、その影響を受けて屈折した精神の神々があまた登場してきました。
神話は象徴的にスサノヲの暴乱と書いていますが、実際には支配神国常立神に対するクーデターが起こり、国常立神は暗殺され、それに伴う正神たちが帰順させ られるか追放されるか虐殺される事態となったとされています。これ以降、邪神たちによる利己主義的覇権拡大型の政治が神界においてさえなされる結果となっ たと。
神界は我々の前に姿を見せませんし、我々の世界とは時間軸も異なります。人間界では、神々の振る舞いに仮託した世界のシナリオを、神との仲介者である シャーマンが受け取り、私たちに神話としてもたらしたのです。神話はまさに全シナリオのインデックスのようです。歴史の大枠を伝えます。しかしそれは、正 神が撤退した後にアレンジされたシナリオが、この時代の原初の頃から私たちの幼時から関わる神話として伝えられているのです。
しかし、私はついに神話による人間界創造の原理が理解できました。まず、シナリオありき。しかし、そのシナリオは、人間界からも変更の手が加え得るので す。原理の理解できた心あるシャーマンは、神を見畏んで、変更ではなく、変更の可能性をシナリオに加えました。たとえば、岩戸別けの行程がいつの日かある ぞと。こう してそれの実行に携われる者の登場に期待をかけていたのです。日本神話にも世界神話にも、岩戸別けらしい筋書きはあります。
出口王仁三郎はその変更の突破口を開きました。彼は霊界物語において、神界も現界となんら精神性において変わらない事実を突きつけました。それは世界神話 でも同じです。人間が制作したのだから、神々も人間とさほど変わらないと言えます。神々は、人間の側から脚色されて、その性質が模範とされる。どうして もっと、神々にモラリストであるようにしなかったのでしょう。人々は、神以上の精神性になれないのです。
その上で、王仁三郎が示したことは、世界中の神 話を何とかすれば、神々の性向を改めることができ、パラフレーズされて人類の未曾有の危機も回避できるし、人々の 性向も改めることができるという事実なのです。
これは単なる仮説ではありません。ただそれを、どうやって実現するかです。
大丈夫です。日本は世界の縮図となっています。また、宇宙は、地球で起こるレボリューションを堅唾を飲んで見ています。そこで、日本の精緻にまとめられた 神話を、まるごとすげ替えるだけで、日本に現れたことは世界に反映し、世界に現れたことが宇宙へと拡大するはずです。
それにはまず、乗り越えるべき旧神話を解読できなくてはなりません。
私は、古くから古事記の神話を解読できていました。それに伴う幾多の新発見が、間違いのなさを醸してくれました。
私は、そのことにより神話を再創造する力を得たように思います。現象として、私が古事記の解釈を著書にしようとした時点で、阪神大震災が起きました。神の 戸における大激震。私はこのとき、時期の到来を察知されたイザナギ神が淡路の多賀の御陵を蹴って出られたと思いました。動くはずがないと思われていた地盤 が動いた。超弩級の神が動いたとしか考えられないと。
この思い込みの力が重要であることがしだいに分かってきたのですが、思い込みはえてして別の側面も持っています。この場合、そのような行為を抵抗する側の 邪神が黙ってはいないということです。たとえ私が、宇宙創造神の特命を受けていたとしても、支配階級を形作った者達は体制を崩されることを好まず、どのよ うな狡猾な手を使ってでも、また取り決めを破ってでも、妨害をかけてきます。難しいのが当然なわけです。
大震災で、著書の原版はいったん瓦礫の下に入りましたが、命冥加にも助かっていました。とんでもないことが起きたことを前に、これを世に出していいものか どうか出版社の社長に懸念を申しますと、今なら手付けを放棄してとりやめてもいいとのことでした。しかし、私は世に出すことを決意しました。未到来の成り 行きを呼び込む可能性を承知したのです。以来私は、世の成り行きに責任を持つことになったのです。
阪神大震災は、世界全体の苦悩の縮図を呈していました。多大な犠牲と精神苦、経済苦が充満した反面、相互扶助の良い種の芽吹きもありました。有情に悪いも の はいっさいなく、すべて救われなくてはならないもので満ちていました。それがこの世界にあるすべての有情の実態なのです。
私にもし、決められたシナリオを変える可能性があるならば、一人残らず一匹残らず、浄土への大乗の船に乗せねばなりません。むろん、浄土は未到来の彼方に あるのでなく、ここを土台にせねばなりません。これが私の基本的考え方です。
私は「魔法」を使っていることが最近分かりました。それも西洋ではなく、東洋の魔法です。だから、何らかの規定された図形の書式に従わねばならぬといった 難しいことはありません。「兆」「脈」「境」「見立て」を自由にコンビネーションさせて、その効果をさらにフィードバックさせて魔法を強化していく方法を とります。神々の助力を仰ぐために、神話に自ら超入したところ、神話こそが私の魔法の手段となったのです。
どんな魔法か。それはバトラーも言うように、神の力にあずかることに尽きます。私の上に、神々は彼らのアイデアと力をタイムシェアリング的に落としていき ました。それを私は、○○神の雛形になったと表現しています。
そして特別な力によって作られた神話は実現可能な預言になりうることを、2000年に突如現れた人によって知りました。
それはイナンナさんと言いました。なぜこういう名前にしたかというと、結果的に嘘つきだったからです。しかも、どこからどこまでが嘘であったか不明だった ものを、刻苦勉励してようやくこうであったろうという解釈を得ることができました。しかし、私はこの人の嘘とも真ともつかぬキーワードによって魔法の力を 高め得て今があるのです。となれば、私はフィクションかもしれないこの人との共著の物語によって生かされ、現在進行形のノンフィクションである物語の中に 生きていることになります。
私は、すでに現実世界を離れているのかも知れません。私はイナンナさんと別れた直後の2002年11月21日に、いちど死に掛けました。深夜、仕事から 帰った私は、セーターを脱ごうとしている時点に心房細動による不整脈で失神し、セーターが首を絞めた状態で、どう物音を立てたか、家人が見つけてくれて、いま生存しているので す。いや、生存していることになっています。というのも、死んでいたとしても、まったく分からず往ってしまっていることでしょうし、今ある現実も、本当の ことなのかどうか不明だからです。死後、別のタイムラインに乗って生きているのに、気が付かないでいるといったことも、拙時空論からすればありえます。(何かの役割を持ってきたイナンナとの離別で、役割が取り去られたために死ぬという意味だったかも知れない。この倒れた時から約12時間後に、皇室の高円宮が心室細動で亡くなられている。このように、何かの引き換えで生きているという感じもしている)
同様に考えれば、私はもっと昔に死んでいるのかも知れません。そして、造形可能な中陰にいるとすれば、こんなこともあろうかという不思議な世界を いま生きています。それは私をけっこう映画の主人公にしてくれるような世界でした。
また、私自身、ほんとうは最初からここにいてはならない存在なのです。「鵺は鳴くなる」で書いたように、母がもし男として生まれていたなら、私はここにいなかったでしょ う。そして、世界はおそらくもっと良い時代を迎えていました。私のような粗忽者が登場せずとも良かったに違いないと思うのです。
次の話は実際にあった物語のような、本当の話です。私には若い頃から適切な死期と思っていた50歳というラインがありました。それを過ぎてから起きた、ま さに中陰世界のような幻想的な出来事が続いているのです。
第二部につづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です