シュワ蒲田氏の二つのスフィンクスとその雑感

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片足が見つからない。可哀想な事をした。昔を思い出せばこうだ。一体は何処の百均店か覚えがないけど、一体のレプリカを見つけた。百円+8円は安いもんだ。何せ樹脂製でないからこの重みは価値の感触はなんとも言い難い。買いたくなる気持ちはSphinxという問題だけでなくズッシリとくるところが安いか高いかがの問題でなく中身の世界意識だ。ところがその後、何時の日か時が経つにつれ、買った当時の記憶は薄くなる一方、また手にして何処の場所に置物として良いかあれやこれやと考えては、結局はまた箱にしまう前に、あるちょっとした不注意により落っことした。
「折れている、折れているではないか足が」
そりゃそうだ、焼き物といっても磁鉄が入ってるわけないからそりゃー折れるわ、だ。ところが問題はその後に必死になって折れ足を探したけど無駄だった。無駄かもしれない。もしかしたらゴミの中に入り込んだ可能性があるかもしれないが、実際は部屋の何処かに紛れ込み見つからないだけかもと考えた。その矢先に、矢場町の背が高いビルのロフト店で何と全く同じSphinxちゃんを見つけ感動した。感動は何とも言えないもので早速購入。値段はこれでも安く4百円前後の覚えがある。
しかしながら、人間様が作り出す物質には大変な世界が宿っているもの。それはそれは、たとえば一人の職人が想念込めて作る物は、特に仏像であれば、そうした物が仏に掘られるとその飼い主の様に込めた想いは物質に化身が入魂するものだ。昔こういう事を聞かされた、というのをちなんで仏像が鎌倉を模写した国内ではあまり知られてない鎌倉大仏が聚落の丘の上に大正期に建立された。建立はここ聚落丘が古く昔は古墳や貝塚が出土する結構多い霊場で弘法大使空海がの巡礼の地としてある上人の夢に現れた事から此処をとしたらしく、それはその場が霊を弔うのに様々な合祀を此処とした。それが聚落の名の由来にある。
其処をとし今回のレプリカの想いは只者ではない因果関係があるのではないかと、漠然なるレプリカが「猫」の出現は重要にある宇宙を感じてやまないとしている。宇宙なのだ。
恐らくは「エジプトの使者の声」だろうか。それから話を戻し、レプリカの二体目は矢場のロフト店で購入したわけなんだけど、このレプリカを買うその日にどうしてロフト店に寄るのか理由もないところで、敢えて理由となればこうだ。
「足が損傷してるから何処かで手に入れたいね、其れも同じ物って手に入るものだろうかと」
想いとは、想いのしくみには実はこんな事が何度もよくある。それとは「金」であって金は、金を手にするという人類の本能に近因した、つまり宇宙空間での例の星間戦争のスターの啀み合いなる、永遠のリング(環)を連想したい。環への道とは大変な世界で、こうした未知数の巡りは切りがない自己の戦いを意味しているものと思っている。環への想いとは現在の木星軌道にほぼ位置なしてた周期に金星が在った。が、これは最近に初めて読む翻訳上の粘土版によれば、現在の小惑星群の圏内なのだ。そうして現在の金星はきわめて太陽よりにあるんだけど、これ金星は別とし金には火山の層に巡る鉱石上の理由が其処に何らありそうでこの問題はいつかタイミングある時期に文節したいと思う。
それから金という問題とはちなんでいていわば鉱石の場でもある聚落の地は、非常に優れた「光」を指す大いなる鉱石と人が放つ重要な霊場というのが個人意識にあると言いたい。たとえば細井平洲はこの地に、松尾芭蕉はこうしたお地場でして世に伝え人となった。深い深い大地に眠っている「声」を代わりに五、七、五としその漠然たる奥には古代の預けられた言の「語」が綴りのように地表に出てくるものだ。アルシオーネの本質である。役者ではないがアルジがアヌビスとした猫の重要的価値を想いという世界によって 「想念」が猫の祖に気づかせんと巡り巡りしてレプリカの出現があったりするというケースがある、という事もあるわけである。それが1987年だったとし、猫のSphinxとの象徴性は深く、かつ其処にレプリカの写真奇跡が聚落と現在のアヌビスのテーマが因果写真に巡っているのだろうと、個人として記憶を確かに捜している。漠然として何だか分からないだろうがそういう事実を知っていただく。(シュワ蒲田)
ipadによる打ち込みはたいへんなようで、後半はやや疲れ気味の様子が伝わってきました。
しかし、ちやんと心に響くものがあって、それでいいんだと思っております。
今回は、シュワ蒲田氏からの投稿を掲載しました。
シュワ蒲田氏は、先日、エジプトのスフィンクス像をエジプトの神・バステトに比定されたことから、我が家で派生的展開として、飼い猫のタキ(シャン)に驚くような性格改善がみられました。
わずか二日経ったいま、小さく痩せていた身体が一回り以上大きくなっており、積極性と外向性がみられるようになりました。
昨日の記事に経緯を書いているのですが、性格改善が身体能力の改善にもなっているということが、この時点で言えると思います。
シュワ蒲田氏は、40年前の親友で、まだ若かった私をスピリチュアル系やUFOなど不思議系に導いた人で、私のいまあるは、彼のお蔭と言ってもいいのです。
我が晩年に至り、彼との再会、彼との会話の再開ができたことは、ほんとうに良かったと思います。
彼は若いときはイエスのような柔和な風貌をしていて、今の彼はシュワルツネガー氏によく似ています。ターミネーターシリーズはシュワちゃんですが、ターミネーターとは終わらせる者という意味とすれば、なにかキリスト再臨っぽくありまして、シュワ蒲田氏は私における「阿吽」を演じている感もあるわけです。その意味で、彼との再会は、私の大事なシナリオだったように思われます。
人生、こんなに至れり尽くせりのおもてなしを受けている私のような果報者もいないなあと思うわけで、感謝感謝の私です。