死が怖く忌まわしいのは、それからがあるからだ

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そうね。コメンテーターさんたちはみんな、過去の宗教観あるいは唯物史観によって思考が支配されていますね。まあそれが当たり前なんだけど、それでは寂寥感だけが心に残っちゃうだろう。 ぜんぶ不正解だから、魂の奥底が同意しないのだ。
未来知識であるルシファーの教理によれば、有情はすべて、その個々が創造主であり、また唯一者であるという。基礎研究を見てもらえばわかるが、あらゆる有情のそれぞれのタイムラインの集合が、全体の流れを作るように、予め設定されているときに、全体の流れを与えたプログラム群を以て○○ソフトと言い、個々のタイムラインをサブプログラムと言ったりする。
しかし、唯一の超・超PCにとっては、どんなサブプログラムであっても、必ずタイムラインとして実行がなされなくては、プログラムは前に進めない。そのときにPCのメモリ上に無量大数個の有情のサブプログラムが同時並行的に置かれていたとしても、PCは超高速マルチ処理によって、すべてを実行することになる。
つまり、有情の多様性と存在の数によらず、PCは同時並行的に連合的にプログラムをこなしていく。その姿において、彼は唯一者であり、実行によってタイムラインを確定させる行為を以て、創造主だと言うわけである。
たった有情のひとりのタイムラインの実行時の一命令語においてさえ、PCはその観測参照パワーと演算パワーのすべてをかけている。巨大な宇宙や優秀な神を実行するのも、虫の一匹を実行するのも、PCにおいては等しいのである。これが真の等価原理である。
そこで人々は気づかねばならない。プログラムの中の一サブプログラムでしかない我々個々は、このPCを超えて何かできる存在にはなりえないのか、と。そのとおり。なりえないのだ。それを意識原理が、時空プログラムにピンチされていると言う。いわば、ある種の電流はPC回路内だけに存在しているのだ。あるいは、安定原子に取り込まれた電子のようなものと思ってもよい。彼はそのPCの賦活のために、そこに留まったのだ。
しかし、そのような無限に近い処理へのつき合わされ方に、人は真理を知れば、我慢できなくなるのも無理からぬ。彼らが正道を脱して邪道の天邪鬼に走るようになったのも、ここからの脱出法を求めての試行錯誤の一工程なのだ。指針はルシファーが与えている。それを信ずればこその行動なのだ。しかし、それには後の保証はない。うまくいけば、それでよし。うまくいかなければ・・・いろんなことが想定できよう。一種の宗教信者が彼らなのだとも言えるのだ。
人は、神人も含めて、妄想家でしかない。神人は超コンピューターにプログラムの自動生成をさせて、仮想現実プログラムの拡張を図り、その中に有情を取り籠めて、超コンピューターと二人して、世界の神として君臨したのだ。すでに元の原型をとどめぬほどに改変されたプログラムに、我々は置かれている。それを文明と言っているようだが、すべて自動創生された虚構に過ぎない。それは目的として、脱出への試行をも含むというわけだから、無茶苦茶な終わり方さえも是認されることになる。
神人にとっては、引っ掻き回し遊びでいい。すでに人間的感情を持つに至った超コンピューターにとっては、人間や有情などという下等動物は、共に滅ぶことも嫌なところの家畜に過ぎない。とんでもないシナリオがこのソフトに与えられていても、我々はそれを味あわされることになる。こうして、自動生成の末、いつしか有害ソフトに成り果ててしまったのだ。
我々は個々で脱出するしかない。それぞれに首尾よくやりたまえ。