夢見で自分の未来を見た話

幽体離脱をよくした頃の話
もう昔のこと、仕事の性質と、住居していた場所柄によるのかも知れないが、俗に言う”金縛り”から”幽体離脱”に至り、さらに”夢見(夢と意識している夢)”へと入っていくことが、しばしば起きたことがあり、そのころは興味して幽体の性質を調べたりもしたものだった。壁の通り抜け、伸縮自在かどうか、感覚はあるか、など。そして、夢のコントロールへと入っていくところまで。
金縛りが起きるときは必ず、脳の中の周波数変化が感じられ、いつもは潜在している”シーン”音が周波数を落として、猛烈な爆音に変わって異次元的な存在感を一気に高めてくる。
ヘリコプターの近くにいるようなものだが、大概その音に人は異常を感じて恐怖するもののようだ。それに加えて、身体が動かせない。突然の異常事態と、強烈な緊縛感と音による拷問に恐怖するもののようだ。
“シーン”音。誰でも毎時聞いていて忘れ去っているその音は、決して耳石の流動して起こす電気信号などではないことは、脳のコンディションによって周波数の変化が起きることからも推測できる。
しかし、何度も金縛りをしているうちに、爆音もさほど大きくなくなり、慣れのようなものができてくる。
金縛りのままでは、まったく動けない。しかし、意図して力をそれなりに入れて抜こうとすると、まず腕が割合簡単に抜ける。最初のころは、そんなことを繰り返して、幽体の性質を調べる実験を始めたりする、腕をゴームズのように伸ばして、電灯の笠の裏のほこりを被ったざらつきを感じ取ってみるとか、壁を突き抜けさせて、隣の部屋の畳の感触を得てくるとか。
面白いのは、掌を自分の目の前にさらして、どう見えるか調べたときだ。なんと、視野の真ん中よりでは見えないが、視野の外郭で半透明な掌の輪郭を見ることができるのだ。
よく、人の気配がして振り返るというのがあるが、視野の外辺部で霊体の影を捉えたりしているのではあるまいか。
そして、いよいよ全身を抜くのだが、このときばかりは目を瞑った。というのも、抜けたときの自分の目で、何が見えるか怖かったからだ。それに、目を瞑っておれば、そこから幽体それ自体の目による観測、つまり夢見が開始されるのだから、安全に思えたわけだ。
全身から幽体を抜くときには、最初のころは、まるでゴム糊をバリバリとはがすようにして、抜けたものだ。だが、それも繰り返しているうち、粘りつきが少なくなってくることに気づいた。これも慣れなのだろう。
いつものように全身から幽体を出して、いろいろと夢の世界を散策するに、その色彩の度合いは、鮮やかで生き生きしているのが常である。光と三原色が生きているというか。それから比べると、現実のどんよりしていることといったらない。どこもかしこも、どす黒くよどんでいるのが現実だ。
だから、本来、どっちの世界が本物かというなら、あっち(夢見の世界)のほうを私は推挙したい。
夢見世界で未来の自分に出会う
さて、そのような中で、夢というものは自分のコントロールが効かないことで知られている。だが、夢見の場合は、自分で自分の立ち位置がわかっているため、どこへいってみようかというアクションが起こせるのだ。
そのときも、展開はけっこう荒唐無稽にも、妙な登場人物があったりするものだが、それでも自分が保てているだけに、意図した光景も出てくるようになる。
あるとき、私はどう意図したか知れないが、人跡の少ないところに行った。途中で馬かロバに乗った二人連れに出会い、周囲がまるで西部劇シーンのように、夕日が当たり赤茶色の山肌を照らしていた。
さらに進むと、自然そのままの小川があり、ゆるやかな流れのほとりには、チューリップの花のようなのが咲いていた。しかし、空は濃紺色で、太陽が出ているにもかかわらず、現実で見るような薄い青色ではないのだ。
ちょうど、1万メートルほど上空の成層圏から空を眺めたような感じか。エベレストから見たら、そんな感じかも知れない。太陽が小川に照り返してふわふわ揺れていても、小川全体が濃紺を反射していて、まるで夜中に月の照り返しを見ているようだ。
さらに進むと、四角い建物がいくつか建っていて、それが古いせいか周囲に苔のようなものを垂れ下がらせていて、どの建物もそんな感じだった。苔らしきものの色は淡いグレーで、ビルの色のようでもあるが、どれもビルというには小さい建物だ。そこに人が植物の鉢を持って上がってきた。
見るとその人物は、ベレー帽にメガネ、茶と黄のチェック柄のセーターを着て、いま植物をそこに植えようとしているようだった。直感的に、屋上緑化のようなことかと思えた。
私はそこでその人に問うた。「いつごろからここにおられるのですか?」と。
するとその人は、「もうかなり前になります」と答えてくれた。
そこで儚くも夢から醒めたのだが、夢から醒めるときというものは、いちばん大事なポイントを醒める直前に置いていることが多いようだ。
実は、その人物は、私とよく似ていたのである。
それから、二十年以上が経って今があるのだが、数年前から隠遁生活のために移り住んだこの地で、倉庫物置をいくつか作り、その屋根を葺くのに、ホームセンターなどで売っている厚手のUVシート(シルバー)を使っているのである。別のいいやり方はいっぱいあるとは思うが、安価に済むため素人判断で偶然そうしてしまったのだ。
いかに素材が強くて防水性に富むとされていても、劣化はする。が、少なくとも2年の耐久性はあることから、今後もこのやり方にしようと思い、フレームは単管にして、屋根の下地をコンパネにしているため、その上に上れるようになっている。そして、今目下、屋上で野菜や花をプランター栽培しているところである。
下の露地で栽培したなら、鹿や猪が来て、たいがいは食い荒らされてしまう。だが、屋上だと彼らはよう上がってこないから、囲いなどする必要もない。この界隈の民家は、栽培したくとも、動物の食害に頭を痛めているのだ。こうして、この倉庫はマルチ用途を好む私の合理精神を如実に表すものとなっている。他人の目からは奇異に映っていると思うが。
これは車庫の屋上(全体の一部だ)
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ある時、UVシートがあの苔に相当するのではないかと、その奇妙な符合に気づき、夢の人物は未来の自分だったのかも知れないと思うようになった。それに合わせるべく、ベレー帽も購入した。該当色のチェック柄のシャツやセーターはすでに持っていた。
こうして今は、「いつごろからここにおられますか」と問うてくる奇特な訪問客の来訪を待っているところだ。果たしてその人物は私に似ているのだろうか。会った瞬間、対消滅なんてことない、よね。