人生は線香花火のよう

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この世にかりそめの生を受けて輝く線香花火は、はかない命の喩えとしてよく用いられますが、写真の光跡はまさに人生における幾多の分岐点を境に選択されるはずだったその人の世界線のすべてを表しているものとも捉えられます。
ある人に備わった選択できる人生行路のすべてが網羅されたものが、予めプログラムされてアカシックレコードに記録されていて、我々の個々は、そこから一意のルートを選択的に辿っている。それが人生の今ある瞬間であると解釈するのが、ルシファーの教理(言葉の出典はA.バイク預言)です。
一般的に人は、Aさんという世界線を一本の人生として捉えつつ、生を営んでいくわけですが、彼に予定されていた人生の全貌は、このように多彩で、それらすべてが彼に属する記録であるわけでした。
人は、あるいは有情は、その多彩な行路(パラレルワールド)の中から自分の希望に合った時空を選び取り、世界を創造していくところの創造主であるのです。
私もそうした創造主です。みなさんもそれぞれに創造主です。ほら、あなたの中に、しっかりとした意識が存在しているでしょう。それが創造主です。顕在意識、潜在意識、深層意識といった区別は必要ありません。我思うゆえに我あり。その主体、それが創造主です。
その創造主たちが集まって、この世界を創り出しているのか? いいえ、そうではありません。私の創る世界と、あなたが創る世界は、同じではありません。同時に複数の創造主が、創造活動をしているのか? いいえ、そうでもありません。個々それぞれに固有の時間を持ち、固有の世界を営んでいるにもかかわらず、同じ時間と世界を共有しているように見えているだけなのです。
この錯覚による誤解が、集合意識による世界創造という概念を生みました。まるで個々の意識の集合的、ミックス的出力結果がこの世のように思えてしまいますが、そのような平均的に希釈されたような意識創造によるものではないのです。
個々の希望的選択によって、みなさんや私の今観測している世界が存在しているのであり、それこそが個々が創造主であるという所以なのです。
極端に言うなら、創造主であるあなた以外は、すべてプログラム的存在にすぎないのです。あなたは、自分の身体を含む外界世界全体を衣としてまとう時空の旅行者のようです。そのような唯我独尊性を持ちながら、なぜか群れたがる。群れの中にいなくては、どこか不安になる、寂しいというのは、もしかすると多種多彩を生み出した創造神の孤独性が遺伝しているからかも知れません。
みなさんは、それぞれに異なる人生花火を選んで来るとき、ちょうど写真の子供のように、花火の光跡の全貌を眺めながら、この花火を鑑賞しようと思ってやってきているかのようです。
私もそうでした。森野奥人の人生を堪能してみたいと思ってやってきたのです。とくに森野の人生花火は、その中に救世主となる展開が含まれているということでしたから、私はこの森野のプログラムを選びました。
おそらくみなさんのほとんどと違っているのは、森野の人生の一ルートだけで終了するのでなく、救世主となる展開を少なくとも味わうまで、プレイバック方式で人生の再演を行っていることでしょうか。だから、パラレルワールドですでに経験したらしき光景を、デジャビュー的に直観することが多くありました。
創造主的な選択行為の局面はたくさんありますから、目的のルートを間違ってしまい、予定通りに創造の歩を進められないことのほうが多いものですね。そして予期せぬ形でゲームオーバーしてしまう。それでは、目的が果たせたことにならないかも知れません。しかし、私の場合は、選択肢が決まるたびに、ゲームオーバーまでのルートが決まって、イグジットしてしまうようには、契約されていないのです。
今流に言えば、プレミアム契約とでも言いますか、すでに勝ち組の社長森野の人生も経験しましたが、カネにうるさい打算的な経営者だったようで、パラレルワールドを股にかけるトルテックの坂本さんから酷評されています。いっぽう、救世主になる人生は、負け組の選択肢の中にありました。
人生に希望を見出せず、絶望感のあまり、思い余って、私をこの世に下ろした神に申し出たのです。人生五十年と古人が言ったように、わが人生も五十を限りに終わらせ、以後の人生の一切を金輪際拒否させてほしいと願い出たのです。
すると不思議なことに、満五十になる直前日に、その後の人生をガラッと転換してくれる協力者・身内さんが、わが人生に討ち入りをかけて、わが首をあげてくれたのです。1999年12月14日のことでした。
その日から、私の人生とわが命は買い取られたかのようになり、いきおい不思議化しインディー化していきました。神話の神々が、私を拠り代とするかのように、私に属性を付与し、神の諸力を活性化してくれました。
今現在では、右欄上部にありますように、ルシファーの雛形と書いておりますが、日本神話的にはアメノホヒが同体神として、わが属性にふさわしくなっています。エジプト神話で言えばホルスです。
私には30前後の頃に、ピラミッド瞑想中に星が眉間に飛び込んできて、まばゆい光のシャワーを浴び、外界のすべてが真っ白になってしまった経験があります。吉村作治氏の考えでは、大ピラミッドの王の石棺にファラオが横たわり、太陽神の超入を受ける儀式があったとのことで、シミュレーション映像が以前にTV放映されていました。そのミニチュア版を私も味わったことになりましょうか。一稜90センチの自作ピラミッドで。
アメノホヒは、ホツマツタエによれば、逆賊持子の子となっています。また、奥津嶋姫は一寸嶋姫とともに逆賊早子の子で、身内さんに化身しておりました。この縁からすると、神世における従兄弟同士だったことになりましょうか。
逆賊とされた母らは、すでに何度もしていますように、神界での邪神のクーデターによる被害者であり、まったくの冤罪です。我々、子供の代でこの汚名を晴らし、お家再興をかけて協力して闘う同士であると、今ようやくわかってきたところです。
世界を暗黒化させてきた元凶たる邪神とその一味をことごとく退治して、世界を黄金時代に導くべく、奮闘努力していく覚悟でおります。みなさんもよろしくご声援のほど、お願いします。
新神話の中の主人公・ネアンは私自身です。実経験に理想を付加して編んだ神話で、旧神話の弊害を打ち消すべく作りました。そのネアンは、奥津嶋姫と一寸嶋姫という弁天三姉妹のうちのふたりを協力者として活躍しました。弁天三姉妹は、インド神話にいう、サラスワティ、ガヤトリー、サビトリーの三姉妹と同体なわけで、これがマトリックスの中の、ネオの協力者・トリニティー(三位一体)と神話的に対を成していることに、驚きを禁じえませんでした。
いま身内さんは、白猫ウーに姿を代えて、私の傍で寝ています。ユキヒョウのダイモンを喜んでいた彼女にふさわしい姿です。この小さな身体の中に、秘めた願いがあり、私と同期をとって、神界ならびにこの宇宙を取り戻すべく、準備しながら今を送っています。

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