年功を経たるおばば猫出産する

4月23日、台所の回廊棚にあるダンボール箱の中で、A家のミケが二匹の赤ん坊を産みました。箱の中には何を入れていたかまったく記憶しておらず、後で見てみると、常備薬として置いていたキャッツクローの入ったプラスチック袋でした。猫がキャッツクローを知って入ったわけではないでしょうが、それを包んでいたクッション梱包用のエアービニールシートがちょうど赤子の保温には適していることを、ミケは見て取ったようです。
(この不思議な取り合わせに、私はシンクロを見てしまうのですが、おそらく流行が兆す鳥インフルエンザにキャッツクローが効くことを猫が知らせたとも思えました。ずいぶん以前にB型にかかったとき、これを服用し、ふつう完治に10日ほどかかるところを3日でこなしたことがありましたし)
思えば、ミケは高齢猫で、歯がないため、硬いドライフードが食べられず、うちで出すウエットフードをよく盗み食いしていたのですが、そのうち、去年の春にうちの猫たちがみな猫風邪にかかったときから出すようになったところの、鶏レバーを狙うようになりました。そして、出産前の二ヶ月前あたりから、日に朝晩二度、室内の外の通廊にちんと座って、鶏レバーばかりを請求するようになっていたのです。そして分量的に満足できるまで居座って帰ろうとしなかった。
これはミケがレバーの栄養価を見通して、妊娠を悟ってからというもの、うちでだけ出すこれを徹底的にマークしたに違いなく、A家で最高齢とも聞くこのミケの知恵を知るような話でしょう。
私は、レバーのうちの突端の固い部分を、うちの猫はあまり食べずに、よく残していたので、その部分をミケにやるようにしていました。といっても、4,5センチほどあるその部位をキッチンハサミでいくつかに切り分けておかないと、歯がないために噛み切れないので、その手間はかけねばならず、しかも冷凍もののゆえ解凍と、食べ頃の温度にまで電子レンジでしておいてやって、ほぼ生食のようにして与えてやるのです。
するとミケは、切り分けられた最突端の部位だけ、どうしても飲み込めないためか食べ残して、あとは全部食するのが毎度のことでした。
それが、回廊棚で、このダンボール箱の上でバタバタ蓋を開け閉めするパフォーマンスをしていたため、まだ意趣を悟れぬ私は、この馬鹿な行為を咎めて、「おまえ、何しとるだー、そっから下りろ、このあつかまし猫め」となじっていたのですが、その翌日に赤子の声がその中からして、はじめて私は今までの経緯の意趣を悟ったのでした。
私はAさんに電話して、いつも来るミケが、うちでお産したと知らせて来てもらいました。回廊棚から箱をおろすわけにはいかず、下から箱の蓋がはたはた揺れるさまと赤子の声を聞いてもらいますと、Aさんは連れて帰ろうかと言います。こんなことは、たびたびあって、高齢ゆえにたいがい育てられずにいるとのこと。
ミケが授乳のためにレバーを食べていたことを勘案すると、ここで子育てさせたほうがいいでしょうと、うちである程度大きくなるまで預かろうと提案しました。というのも、このミケは、かつて石松(オス)とともに、夢の中で移籍させてくれと申し出てきたことがあり、その日の朝から、いきなり馴れ馴れしく振舞うようになったことがあって、年功を経た猫のすごさを見ていたこともあるからです。
二三匹いるような赤子の声はしていました。実際には二匹でした。それを見たのは26日になってからで、ミケが一時間ほど、赤子を寝かせて外出したときです。ミケはA家に帰っていたのでしょう。そのとき、箱をそっとおろして蓋を開けて見れば、すでに一匹は痩せた姿で死んでおり、その上にかぶさるように、もう一匹がうずくまっていたのですが、やはり小さく、授乳が満足でないようでした。
私はホームセンターに行って、猫用ミルクを買い、いざのときのサポート体制をとることにしました。問題はどうやって授乳するかです。市販の子猫用哺乳瓶は口が大きすぎて、赤子には無理。そこで、綿棒の先に染ませて口に入れてやることを思いつきます。
さて、案じたとおり、赤子の声は日増しに衰え、27日についにミケが箱から出てしまい、傍にはいても、中に入っていこうとしなくなりました。私はなじる。「あんたしか、赤子の面倒は見れんのやで。責任を放棄してどうするんじゃ」いや、ミケは私の言葉がわかっているようです。それでもミケはよう入らず、傍から見ているだけ。私はついにキレて、「とっとと出て行け、このヤロウ。二度とうちの敷居をまたぐな」と追い出したもので、ミケは急いで逃げ出してしまいました。私は直感的に、もうやってこれんだろうと思いましたね。
私は箱を棚から下ろし、中を見ると、内臓が食い破られた前に死んだ一匹の上にへばりついたもう一匹がいて、それを取り出して、粘液でべたべたする赤子をチリ紙などでふいてやりました。ミケはよう粘液をなめ取ってやれなかったようです。
さあ、サポートが本格化しなくてはならなくなりました。が、以前に”たまろ”のときがそうであったように、授乳経路が異なることに対して赤子は敏感で、拒絶します。しかも、かなり衰えてしまっている。ミルクを体温ほどに温めて、綿棒のさきにつけて、何とか銜えさせ、そこからすするようにさせました。いくぶんか飲んだかも知れません。その日は、赤子を柔らかいスレート布で包んで夜をすごさせましたが、すでに声は小さく、死ぬに違いないと思いました。
赤子に言って聞かせます。「この世に生きることは辛いことばかりだ。むしろ、元いたところに戻って、幸せにしていたほうがいい。おまえがもしそれでも生きてみてやろうというなら、そうしてもいい。私はそのための援助は惜しまないから」と。翌日にはもう一匹の腐乱死体とともに、火葬にしてやろうと予定していました。
翌朝、さあ火葬してやろうと、それを動かすと、中から赤子は鳴いて答えました。「おお、生きておったか。よし、それならおっぱいやろう」こうして、授乳作戦は継続となったわけです。
綿棒をいちいち口に出し入れしているのでは、赤子にもせわしない。綿棒の先に、丸箸にミルクをつけてその先から補充するようにしたら、これがわりあいうまくいきました。こうして、まあまあの量がこなせたようです。赤子は眠りから覚めるつど、身体をよく動かし、声を張り上げて鳴くようになりました。
さらに私は、小型哺乳瓶の代わりになるものとして、猫用点耳薬のプラスチック瓶の中身を捨てて洗い、それにミルクを吸い取って与えるようにしました。これもまたなかなかいい。そしてまたさらに、スポイトが見つかったので、それも用いました。
赤子はまるで恐竜への先祖帰りのような姿です。ふき取ったつもりでも、赤子の首周りはいつも粘液がへばりついて、死臭を放っていたので、29日に産湯につからせて洗ってやり、丹念にふきあげてやると、ようやくねちゃつきは取れました。
その午後になって、鳴き声を聞きつけたか、ミケが戻ってきたのです。ミケに赤子を見せてやると、自分の子とわかったらしく、赤子を二度ばかりなめました。そしてレバーを請求したのです。そうか、それならと、私はレバーを与え、食べさせている最中に、赤子を寝かせていた猫用ベッドを、前と同サイズのダンボール箱に収容し、ミケにそれを示すと、ミケは悟ってその中に入り、赤子の横に寄り添いました。赤子の鳴き声のよさに、ミケはゴロゴロ言って、喜んでいるふうでした。
なかなか赤子は鳴きやみませんでしたが、夜半にはすっかり静かになって、母子はともに眠ったようでした。私もトイレ起きもなかなかせずに、けっこう長時間眠りました。そして、先ほど起きて、この記事を打ち込んでいるところです。

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