猫たちの果たす役割

昨日あったことから雑感する
昨日、買い物帰りに、Aさんの奥さんに出会いました。私は温かかったので、ついでに下の畑に鶏糞を鋤き込んできたことを言うと、Aさんもどこか下のほうに畑をしているとのこと。当地では果樹園をしたりで、お年の割にはよくやっておられる。前年にいただいたふた房の巨峰のおいしかったこと。
しかし、畑の作物がけっこう高いフェンスがしてあるのに、何かの動物がちょうど真ん中の芯のあたりを食べてしまってと、嘆いておられた。当地は、鹿、猪、アライグマ、テンやリス、雉、蛍がいたりと、比較的温暖で自然がしっかり残っているため、作物栽培には予期せぬ被害も多いわけです。
そして、私との話の話題は、およそがミケのことです。最近は、毎晩、ドアを前足で上手に開けて入ってきて、本人のベッドで寝てるよとのこと。朝になったらさっさとどこかへ出かける。
そう、そのときは、うちにやってきてるんですよ、そして毎朝出るレバー(鶏)の固めのヘタ部分(うちの者たちが敬遠する)を平らげてくれるんですよと、とてもありがたい存在であることを強調し、そしてミケを次のように褒める。
いやあ、ミケはうちの猫よりもよほど俊敏で、ものすごいスピードで駆け回って、まあ猫の魔法使いというか、そう魔女ですね。とても歯がないおばあちゃんとは思えんです。と、奥さんをしげしげと見ながら話して差し上げました。
猫も年功を経ると、”ねこまた”というものになるとか。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%8F%88
伝説ほどの異様さはなくとも、まだ猫たちが子猫だった頃に侵入と襲撃を繰り返していた、石松とミケの夫婦コンビが、私の仕掛けた罠にはまったとたんに、ひょこひょこと帰順の意を表してきたという夢を見た(見たのは私だが、きっと見せたのはこのコンビ猫だった)直後のその朝には、ほんとうに足元まで擦り寄ってくるほどになったあの不思議。読者のあなたにはとても理解できんだろうね。
後で知ったのは、彼らが最長老級の猫だということ。ということは、つまり、彼ら同族の生活圏(活路)を広げておきたいという、けなげな心が、さまざまな芝居(人間をも出し抜くほどの)や妖術まで駆使できるほどにさせていたことが窺い知れるというわけです。
在りし日の石松なんか、我が家の近くの道路上に、わざと痩せて行き倒れたふりをして、車で通る人たちの同情を買おうともしていたのです。私がそんな手に簡単に乗るかよ。
しかもミケはさすが、知らない仲間たちの中にも堂々と割って入り、完全に視線をそらすことで、いつのまにやら居ついてしまう技術も持ち合わせている。メス猫ゆえともいえますが。(これがまだ若いブー(オス)にはできない。だから、ガンつけられたら、最後はどうしてもキレてしまい、いっそう仲良くなれなくしている)そして本当に喧嘩を仕掛けられたら、あっという間に逃げ去っている。その俊敏さは、忍者の如し。そして、いつのまにか部屋の隅に息を潜めて隠れていたりして、いきなり飛び出してきて足元をかすめ通って、私を驚かしたりもして、存在感を高めている。まあ、年功を経るというのは、人にあっても猫にあっても、すごいものだなあと思わざるを得ないのです。私なんか、それからすれば、まだ少年もいいとこ。見習うべきところはいっぱいあります。
まあ、今はミケも我が家との付き合い方をマスターして、A家を心配させないでもいいように、上手に渡り歩いているのです。
うちのトンは、ミケに筆おろししてもらった縁があってか、ミケがやってくると恋慕の声を出して歓迎しています。彼にしてみれば、もはやミケしか心の妻はいないのかも知れません。すでに去勢済みなので。それでも、マウント行為をたまにしているのは、いかに役立たずの旦那でも、奥さん孝行の必要性を意味しているようでなりません。
どうしても我が家に居ついたいミケが、やっと青年になったばかりのトンを、利用したということもあるでしょう。トンはそんなミケに同情心を催し、と同時に下心も催し、自分の食事量を減らして、ミケへの残飯に回しておりました。
私からすれば、また猫分けしやがったかと、食費が無駄になることを嘆くばかりだったのですが、本人は食費や食材の無駄なんてものは眼中にありません。ずっとその傾向は続いて、とうとう少食のトンが出来上がってしまいました。チンやシャンの食事量の1/10もありません。それでも、体格がよくて元気なのも、レバーのお蔭のように思います。
そのトンも、ブーに襲われたときでしょう、どうやら致命傷になるほどの怪我をしてしまいました。ほっぺたを化膿させてそこの肉がごっそり削げ落ちるといったことのしばらくあと、耳血腫になり、それが治ったものの、三半規管がやられたか、頭を振るたびにバランスを崩す後遺症が残ってしまいました。
高いところにも登らなくては、当地では過ごせません。いつでも命取りになる後遺症です。
だから、暴力は絶対ダメなんです。それが我が家の掟。それに背くようなことをするたびに、仕掛けた側に制裁で躾することをしてきたのですが、とうとうまた、昨晩、ブーはあえてせんでもいい襲撃を、今度はチンに対してしてしまいました。それも、ベランダ通路で大声でわめきながら。
チンは通路のこちら側と出口側で失禁してしまい、白い抜け毛を散乱させていました。私はその現場での終わりぐらいを見届けてますから、以来、ブーには飯を与えないようにしました。
グローバリストの賢いブーにしてみれば、あちらのルールに従っただけなのかも知れません。が、ここに出入りするときは、こちらのルールがあるということ。それをしっかりと教え込んだつもりだった矢先の、再犯、再々・・犯ということになります。
チンは夜遅く帰ってきて、今は棚の上で寝ています。いっけん無事な光景なのですが、同じようなことをどれだけの回数されたのでしょう。いじめというのは、いじめられている本人が気丈に装っていることがあるだけに、私としては、いっそうブーが赦せなくなるのです。
なぜなら、チンは外出それ自体を恐れてしまい、閉じこもりがちになっているからです。これは人間の場合にも同じでしょう。その不利益は計り知れません。
この一昨日には、ブーがすでに毎日のようにしていたように、PCに向かう時の私の膝に乗ってきて、抱っこをせがんでいます。こうやって一生懸命に甘えてアピールしていることもよくわかるのです。ブーもせめてみなと同じ待遇にしてほしいとの思いがあって、少しでも私の処遇の優先度を高めようとしているのです。
しかし、どうしても踏ん張りきれないのが若さなんでしょう。また私にもよくないところがあるのです。膝に乗られたら、どうしても溺愛してしまう。それが彼をして、待遇改善を見込ませてしまうのです。自分のいるべきポジションが、甥っこに取られたと思っているから、あそこまでのこともしてしまう。
寒さがこれからますますというときに、彼も部屋の中で憩いたいはず。私も空いている場所はいくらもあるから、寒い夜中にきたときなど、ここに残れよと誘うのですが、他の猫たちが気になるのか、振り切って出てしまうのです。
猫というのは、難しい。下手にプライドが高くて、折り合いがつけられない。折り合いがつかなければ喧嘩するしかない。喧嘩が嫌なら、あるいは喧嘩が差し止められていたなら、どちらかが出て行かねばならなくなる。人間にもそういうのっていますよね。私もその部類だ。そんなとき、ミケの生き方はすばらしく模範的に思ったりします。
新神話に対して猫たちの果たす役割
さて、私は十年以上前から、新神話というものを書いてきました。それは、神話は現実の歴史を誘導する力を持っているという確信から、現在力を持っている神話が、日本では古事記であり、そのシナリオが日本国民にとってマイナスに働いている現実を見て、新しい神話が登場し旧弊を塗り替える必要ありとの観点から始めたわけです。
すると、それを支持するかのような展開が軒並み出てきまして、私は世界救済にはこれしかないとの確信を得て、やってまいったようなことです。そんな中に、今回の猫たちの登場もあったのです。
最初に譲渡者によって連れられてきた猫は白猫二匹と黒猫一匹の合計3匹でした。現在のブーとウー、そして今はもうなきフーでした。彼らがやってきて、一週間ほど後のこと、私は彼らの由来に関する夢を見たのです。
夢の内容は、あの壁画に描かれた白虎と、あとつがいのシーサーの都合3匹の化身としてやってきたことを示していました。しかも、夢の中の彼らはみんな額に第三の眼を持つ三つ目の姿をしているのです。当時、性別がはっきりせず、3匹ともメスと思い込んでいたのですが、夢の対応からすると、オスが二匹、メス一匹となるべきかなと思いながらも、魂の性別なのだから現実の性別は同じであるはずもないと考えていたのでした。
ところが、もう少したってからふぐりが顕著になり、オス二匹いるということが判明。夢のほうが、私の見立てより確かとわかったのでした。
だから、私は未だに、ブーはあちらにおける神のひとり(シーサーの雄)だと思っています。人においても神がけっこう化身しているらしいことは、私の協力者だった人もそうだったから、わかるのですが、猫においてもそうなんです。だから、彼らは何かわけありでやってきている。それが新神話というものなんです。
私は、その三匹に、いずれ新神話上の役割を振り当てるつもりでした。しかし、展開のほうが速かった。夢の白虎と見込んだフーは、新神話での四神獣揃い踏みの項の中で、白虎としての充足を見たのです。それまでに、青龍(協力者A)、玄武(協力者B)、朱雀(私)はすでに充足していましたから、それで完成形となりました。
その後、協力者Aさんは、協力者Bの持っていたダイモンを併せ持った形で、キトラの壁画の特別展示開始日に逝去され、その5ヵ月後にフーが顔面崩壊の夢を見せて行方知れずとなりました。こうしてあとは朱雀が逝去すれば事が充足するところまで行っているのです。
それが完成すれば、新神話は絶大な効果を発揮して、世界救済を完成させることでしょう。ぐずぐずしてはおれない気分です。まあ、そんなに急がずに。機が熟したら、自然に逝けるはずですから。
さて、神の化身のブーがせっかくここにいるのに、無役の旗本であるのみではいけません。ちょうどA家の猫軍団が秘教マフィアのようなふるまいでしたから、彼らを旧約創世記の楽園追放の根本原因を明らかにするための雛形にすえて、楽園追放の真実に迫ることにしました。それは成功し、それを長老のミケに伝えることで、A猫軍団全体に影響を及ぼすよう計らいました。
以後、ブーの首尾を見届けようとやってきていた若頭トラ(ブーの襲撃の結果を毎度のように遠目から見に来ていた)が姿を見せなくなりました。(若頭トラとブーの映像はここに)トラはブーを手下にしてしまっていて、トラもしくはその上司からの命令でブーは襲撃かけに来ていたのです。たぶん、あとはブーよお前一人でやれと、立場的に軍団から切り離されてしまったのでしょう。ブーは主たる棲家を我が家の近辺に移さざるを得なくなりました。
そして食事もむろんこちらでせねばなりません。A家には毎日のように行っていますが、こちらの偵察情報や手柄話を手土産にしていることでしょう。そんな具合だから、白猫たちが受け入れるはずもなく、今に至っています。
ブーには秘教もしくは金融マフィアの手下のグローバリストとしての役付けが自然に与えられることになりました。これがまた適役となりまして、彼の境遇の不幸は役付けからのこととして仕方ないものとなりました。これがアバターというものなんです。アバターを通して、この世での役割(新神話への協力)を行い、あえて不遇の境遇を甘んじているのです。だから、私は彼が甘えて膝に乗ってくるなら、しっかりと抱き止めて、そこで安住と安眠を与えています。そして、彼を通して、この難解な社会問題の真実に迫り、解決法を見つけ出すところまできているのです。人間社会の、ですよ。
彼らを雛形つまりシミュレーションパラメーターにすえたとき、解答がしっかりと出てくるのです。それはつまり、上位も下位も相似像をしているという基本原則を立てた結果であり、猫の世界の有様によって人の世界の有様が、まるでぴかぴかと鏡の中を見るようにわかってくるのです。
いじめ問題、社会の格差問題、世界の弱肉強食の姿、あらゆる問題の根源に、獣の世界の持ち越しが見られるのです。聖書で獣はどうこうというのがありましたね。人はほんとうは、まるまま人なのではなくて、半人半獣なんです。いたるところ、いたる局面において、自らの獣性が出てきてしまうのが人なんです。それが認識できなくて、お高く気取っているのがまた人なんです。それを聖書は表そうとしたんでしょうけど、宗教がまた誤解し歪曲してしまいました。そのアウトプットが資本主義社会ですからね。誤解しているからこそ、そんなものができたんです。
その獣性に引き込まれて近視眼になり、他を支配することでしか安心できないようになっているのです。そのシステムが資本主義社会。命の価値が見直される環境に合わせた法律を作ったはいいとして、法律や獣の価値観で縛って、強いものには敵わないようにできるシステムを作ったのです。
覇権主義というのはまるまま獣の性質なんです。米国が獣と言われるのはその意味であり、何も宗教の新案特許などではありません。猫の世界の有様がそのまま出ているだけのことなんです。人間には知能がある科学があるって。ふん。笑わせちゃいけません。サルに毛が三本余分に生えただけの存在なんです。それが実態。いや、その三本余分のお蔭で、地球は当分使えなくなりそうです。たいそうご立派な生き物だ。そして最後は神頼みUFO頼みときているから、始末に終えない。
いや、それは何も、サル+三本のあなたが良くないというのではないですよ。個々のサルには何の罪もない。ただ、覇権獣主義のトップ、つまりドンが、自分の寿命を限りにこの世のすべてを道連れにしてやればいいという発想でいて、それを実行していることなんです。
その根底に、神とサル世界への憎しみがあるとすれば、ドンただ一匹の独裁でどんな恐ろしいこともできてしまうという道理なんです。
私は、まず神があんたたちを見放したのではないということを、A猫軍団への真の理解の促しという雛形によって知らせようとしました。神は死んだのです。その後を継いだ神があんたたちを捨てた。それが楽園追放だった。そして、その捨てた神が、その安住の棲家をまた別の神に売り飛ばした。別の神は、その棲家だけが目的だったから、あんたたちのことを顧みたりしなかった。
あんたたちの元の神はもうこの世にはいない。楽園に連れ戻してくれる神はもうここにはいないのです。
だから、楽園に連れ戻してくれる神が来てくれることを希望にしなさい。あるいは新しい楽園を作ってくれる神を望みなさい。それがあんたたちにとっての救世主になるだろう。その到来を待たずして暴虐の限りを尽くすなら、救世主の到来なき間に、敵対する神々によって、あんたたちは殲滅されてしまうことだろう。
そして、よく思い返したらいい。あんたたちは、かつてほどのことはなくとも、すでに楽園にいるのではないか。身にふさわしいレベルの楽園にすでにいないかどうか、よく吟味してみなさい。
ここで過去記事の中から引用を。
>実に失敬な話かと思いますが、私は猫世界の歴史から創世記の楽園追放の実態を推理したことがあります。
A家の猫たちの経てきた苦労は、組織的な行動力と魔術か忍術さえ身につけさせるほどの知能を彼らに与えたもようです。
かつて、桃源郷と名のつく山荘があり(今もその名で存在します)、そこの飼い主にこよなく愛されていた血統のいい猫たちがいました。しかし、その飼い主が突然に亡くなってしまい、そこを相続した親族によって、にべもなく山荘は第三者に売却されてしまいます。当然ながら、売却先は猫などを必要とせず、もしくは一考だにせず、追い出してしまいました。こうして突然、漂白することになったたくさんの猫たち。その痩せて徘徊する猫たちを哀れんだAさんが、面倒を見るようになったのです。
創世記の楽園追放は、まさに猫世界にもあったのです。
A猫たちは、すでにAさんという慈善的飼い主のもとで、ちゃんと食事と暖かい寝床を与えられています。その彼らも、先々を心配するあまり、新しい楽園の見込みをつけて、我が家に侵入偵察襲撃をしてきたのです。そして帰順の意を表し、何とか分け入ろうとした。しかし、白猫たちはそれまでの仕打ちの被害がひどくて嫌がった。私も、白猫の主張のほうを優先した。それが、A猫系を排除するということにもなり、今ではブーとミケだけは食事のみOKとしているのです。
あんたたちも、いまそのような立場なんじゃないのかな。大多数の人々は誰もあんたたちを歓迎したりしない。お金でそれを買うなら、人々は魂を売ってでも従うかもしれないが。それがいっそうあんたらの憎しみの元になっていくなら、お門違いもいいとこだ。なんで無条件に人々を暖かくしてやれないのか。それをすれば、人々だってあんたたちの改心を理解するようにもなるだろう。そのためには、惜しみなく公平と分かち合いを実践しなくてはね。
人口削減計画などといった茶番をせずに、ほんとうの博愛精神を発揮してみなさい。

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