活躍の場を異界交信掲示板に代えて・・・2012年10月記載分(1)

2012/10/01 (Mon) 08:24:16
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1400.html
みんなもヒャッハーしましょう。
よく思うことは、自分は創造主でありながら、なんでこんな条件付けされた世界に自分を置いてしまったんだろう、ということでした。
だって、生まれてくる者に世界を選択する余地などないように思うではないですか。特に私など、物心ついていきなりびっくりしたのは、ここが魑魅魍魎の支配するお化け屋敷だと直感したからでした。もし事前に知っていたなら、あるいは想像さえもしていたなら、来るはずのないところのように思えたのです。
しかし、今ようやくわかってきました。私は崩壊寸前の王国を救いに来たアトレイユではなかったのかと。
小六の頃にできて変だなと思い始めていた両掌のど真ん中の十字形。感情線と頭脳線の作る河(ホー)にはさまれてあるはっきりした十字。啄木は貧窮ゆえにじっと掌を見詰めたといいますが、私はいじめられっ子ゆえに両掌を見詰めたのですた。これはいったいなんじゃろな、と。
それは、私が救世主たるべく定められたゆえに、そうなっていたということを、小六当時にもうすうす感じていたようなわけでした。それが高学年から社会人になってからは、忘れてしまっていた。だって、救世主とはキリストのような立派な人でなくてはいかん、という周りの思いに合わせていたからなんです。
しかし、不良ほど、すごいものはないのです。むろん、不良でないにこしたことはないのですが。
今ははっきり、左と右、左端と右端の両方とも、ということは、その間にある有情のすべてをも救う定めにあるということを認識できています。
私はアトレイユとしてここにやってきた。だから、わざとお化け屋敷の敷居をまたいだんだ、と。誰か悪魔や閻魔によって、ここにかどわかされてきたわけではない、と。
そして、このファンタジア王国のお姫様には、巻末の付録的ではありながらも、すでに出会いました。そのお方と王国を救いに来たのです。たとえ命尽き果てるとも、王国を救い切るまではネバーエンディング。
みなさんもきっと、アトレイユしにやってきているはずなんです。こんな一方的に不利に見える世界であっても。ぜひ思い出してみてください。
2012/10/02 (Tue) 07:46:00
さて、この世の設計書の話。古事記にそれは概略が書かれていると申しましたように、このような精緻な体系をしております。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/kojiki.htm
この宇宙の開始から終わりまでの歴史展開、つまりこのソフトがどのように設計されているかを示すものです。終わりといっても、宇宙の終わりではなく、文明の末端までのことであり、およそユーザーがひととおり経験すべき、ひとつの世界線を表していて、それを表現しきっているのです。
そこには播種・生・成・開花・枯死衰滅・種の保存までが、あらゆる事象にかかる方程式として与えられていることを示します。
この世界はそのような世界として設計されているのです。それを作ったのは、映画マトリックスでいうなら、次元を隔てて暮らしている神ということになります。ネオはこっちの世界から、その神に対して物申しているわけです。
私は古事記の神話を、元原型を誰か有能なシャーマンが異次元に行き、入手して、伝承として残したと捉えていました。実際に、シャーマンでなくては関われない話です。異次元には、この原型がかかって作られたパラレル時空が無数にあるのです。それを統括的にインデックスしているのが元原型。
だから、シャーマンにそれを見る力があれば、インデックスを拾ってくることは簡単ですし、無数にあるパラレルのひとつを拾って、予言として示して、信者たちを右往左往させることもないのです。
世界各地には、パラレル分岐していく時空の逐一を追っていく愚を冒さずに、原型に近いものを提供して、世の教訓としてきた例がたくさんあります。古事記もそのような教訓として用いられるべきものだったのでしょう。
そして、設計書が出てきたなら、次は仕様書が書かれるのが、ソフト開発の工程です。それが私のしてきたSEの仕事だったんです。仕様書は、設計の意図を反映して、プログラミングにつないでいくための、具体化作業なんです。
設計段階で、黄泉の国というテーマが出されたなら、どうやってそれを実現するかは、SEのアイデアになります。ここはこういうふうに展開させれば面白いじゃないかといったアイデアが盛り込まれます。
ここでは腐敗堕落した世相と、それに対して何もできずに地団太踏んでいる人々がいて、やった邪悪もろともに腐敗に呑み込まれていくところの、ドツボ(肥え溜め)が演出される。これぞ雪隠。ドツボ。トイレのないマンション状態。世界いたるところに蛆がわいて這いずり回っている。ばい菌うようよ。そうして、肥えとして熟成していくんですね。最後はきれいになった肥えが焦げたようになって残る。それをどうするって? それ以上は知りません。想像もしたくない。SEの仕事じゃない。
このSEの仕事をやってるのは、誰か。初代はたぶんヒラム・アビフでしょう。そして最近のSEは、アルバート・バイクだったのではないか。つまり、秘教組織がその部分を担っていたのではないかというわけです。
神が秘教初代のアビフに命じて、現象展開のシナリオ作りの役目を与えた。いまバイクが、終局のシナリオを書いて、それを秘教構成員たちに実行させている、というわけです。
ほら、この人たちの微妙な心の動き、見えますか。ほんのわずかですが、心の動揺が見られるでしょう。ほんとうにいいのか、と。しかし、それを獄卒(地獄の鬼)としての役割意識で凌いでいる様子がわかるはずです。
設計者である神は、現象化のパラフレーズにあたっては、その次元の者たちに任せるのです。そして、プログラミングして、それを計算機にかけるときに、デバッグというのを行います。そして、ある程度問題ないとなれば、ユーザーに譲り渡します。
マイクロソフトのOSなんか非道いですね。バグだらけなのに売り出して、ユーザーに迷惑かけながら、デバッグして改善して更新かけさせてるんですから。私らがやってた頃には、バグひとつ許されなかった。もしそんなことで、長時間ダウンでもすれば、多大な損害と迷惑に対して平謝りでしたもの。
まあ今の秘教のやってることも、マイクロレベルと思いますよ。
ここで、肝心のことがわかっていないのです。設計書の前段階である企画書が見えてこないのです。いったい、ユーザーになにを提供しようとしたのか、という思想の問題です。
おそらく、神々が会議の席で集まって、今度はこんなソフトを作ろうと思うが、いかがだろうかと話し合われているはず。それがOKされて、ようやく設計以下に移れるからです。
また、神がほんらいなら、それをユーザーに明らかにしておかなくてはならないのです。このソフトは、みなさんにとって、こういう意味がありますといった話ですね。それを元にして判断し、ユーザーはソフトを買うわけですから。それがまだ私にはわかってこないのです。どこかで、開示されて然るべきものでしょう。それがないようなら、邪神縁起と思わざるをえないですね。サニワ探偵の目は誤魔化せないですぞ。
2012/10/03 (Wed) 08:48:04
去年の2月でしたか、セオリツヒメさまのことを悪しく解釈してしまい、どうやら怒らせたらしく、翌月の東日本大震災を形而上世界から惹起してしまった感がありました。
地震や噴火とは、神話的にヤマタノオロチの仕業と、私は解釈しております。また、そのように形容されるに至った神さまとは、セオリツヒメさまそのお方と解しています。
ホツマツタエによると、ヤマタノオロチは、神界で謀反を働いた持子早子姉妹のうちの早子のこととなっていますが、これは秘教がでっちあげた冤罪であるのみで、もともと秘教は正神に対して、罪状をでっちあげた神を対極にすえて崇拝しているふりをするということをやっておりましたから、もともと信頼するに足らない根拠のない話であるわけでした。後世に忌み嫌われたルシファーもそのようなしだいでした。
だから、秘教はいささか手の込んだ二重の偽装をやっているわけですが、何事も為政者を介したプロパガンダでなるのが巷の噂の常というものですから、庶民が惑わされても仕方のないことではありました。
私の調べでは、持子早子は正神であり、当時の神界における太陽神アマテル男神を封殺した邪神の側によって冤罪を着せられたところの、北の政所たる最愛の妃であったと解釈しております。つまり、持子早子は、簒奪して擁立された新来の太陽神にとっての邪魔者であり、セオリツヒメはそれに対して擁立された敵対者であるにすぎなかったのです。
しかし、神名にはいろんな証拠が隠されて示されているものです。秘教はあえて、知る者ぞ知れと言っているようでもあるほどに、隠滅しきっておらず、どこかにヒントを与えているのです。セオリツヒメの言葉にも、その冠する名のサクナダルにも、また別名のヤソマガツヒにも、それぞれ隠された意味があります。
そのまま神棚に祭り上げてしまえば、後世の人々が与えた属性を持つ神として讃えられるのみです。庶民はそれで十分によしとしてきました。しかし、一歩踏み込めば、そこから未知への推理の階梯が続いていることに気づいたりするのです。
あの謎の大ピラミッドも、膨大な知識が詰め込まれた、知らぬ者には知らしめずの思想の徹底した遺産であります。ところが、研究者にはいまや一世代では到底解決のつかない魅力の尽きない遺産となっています。
先ほどのセオリツヒメの三種の名。いずれも水に関連した言葉です。瀬、津、ナ。セオリツには、川の流れが屈曲しているさまが形容されています。
サクナダルは、ホツマによると、清らかな流れのさまを思わせると形容されていました。しかし、もしそうなら、サナクダルではなかったのでしょうか。
サナ(狭流)・クダル(下ル)だと、小川の清い流れが下ってくさまを想像できます。しかし、サク・ナ・ダルでは、水の流れの勢いよさはなく、ポタポタ垂れるさまを示すものとなります。サクは咲く、狭くする、分割するの意味。ナは、灘、流れ、魚の意味。ダルは足る、垂る、垂迹の意味。そういうわけで、ホツマの言い分は言語解釈的におかしいように思います。もっとも、咲くほどの水の流れの充足とするなら、ホツマ表現に近くはありますが、もっとも悪くすれば、流れを割いて、溜まった淀みからポタポタ垂れているさまを思わせてしまうのです。
また、後者の解釈が、瀬・折・津(川の瀬を折り曲げる)という解釈と重なりますし、流れが乏しく淀んだ水は腐りさまざまな病気のもとにもなりますが、
ヤソマガツヒ(八十曲津日)の示すたくさんに屈曲して禍事だらけになった日々(時代精神)の意味とも重なってきて、三重の強調がなされてもいるわけです。だから、そのほうが、ヤマタノオロチ(たくさんの分岐分節をもつ大蛇)の形容に似てこないかと思ったしだい。
秘教は、二重の偽装をしています。明らかに、邪神系と思われる神を正神にすえて、その正体を庶民の目から隠しながら崇拝させているのです。これと逆に、正神であったはずの神が邪神に貶められているということも、同時並行的に行われているのです。
私は、サクナダルの言葉の「ダル」に、違和感を持ち、何か共通する言葉を別に感じたのです。それは、マグダル(ミグダル)です。この方向からも、もしかしてイエス・キリストが暗示されているなと感じました。
マグダラと日本で言われている、マグダラのマリアのことです。マグダラとは、昔あったガリラヤ湖北西岸の町のこと。このときのマリアは、聖母ではなく、マグダラ出身の聖妻です。
元あった太陽神からその座を奪って太陽神となったイエス。その妻マリア。イエスなきあと、マリアがイエスの事跡を継いだとされています。
もしも、伊勢に太陽神アマテラスありとすれば、それは簒奪した側が擁立したアマテラスであり、男神なきあととすれば、その妻が跡取りしている可能性。なるほど、アマテラスが、古事記が禁忌として戒める、女先立つことは断じていかんと言っている矢先の最高主神の女神であることの矛盾が、みごと解決するのです。
どうしても日本の最高主神が女神でなくてはならない理由とは。それは、最後の審判によって再来するキリストの復帰を待つマリアの姿だったのですね。
2012/10/03 (Wed) 18:17:07
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1257.html
うん。これはそう言えるんだけど、自分独自のルールが必ずあるから、それを発掘して、それにこの引き寄せの法則を適用しなさいということなんです。
もしも、自分にふさわしくない方法でこれをやろうとしても、絶対にうまくいきません。
その考えがいかんのだと仰るかもしれないけど、自分の心の奥底が反対意見を唱えているのに、無理やりやろうとしても、うまくいくことはないです。
私はルールを持っています。そのルールとは、浜辺に出て、毎日のように自然に集まってくる貝殻を拾い集めるというルールです。そうすると、ちゃんと、最も良いデザインの首飾りができるように、あつらえられているのです。いわば、自分だけの魔法だね。
そこには、何の無理もない。神か誰かが用意してくれたものを、丹念に拾い集めるだけなのだから。
それで何ができたのかって? 私自身が十分満足するものができています。
それは、誰か別の人のためのものではないから、きっと誰彼はそれを見て、当てが外れてがっかりするかも知れないですね。しかし、別の人は、また別の方法があるはずだから、それを見つけなさいというしかないのです。よって、私には誰彼のためにという負担感がない。それがまた、自然の流れをスムーズにすることにもなっているように思います。
ジム・キャリーさんは、すべてにおいてネガティブマンだったのですよね。そういう方は、反動として現れた場合、端的に出てくるのです。彼の心が、もうこれではあかんというところまで追い詰められていたから、心の奥底の反動が端的に現れたのです。
そういう意味では私も、人生50年でけっこう、50歳までで終わらせてくれ、もう絶対に金輪際、こんな世界に来ないし、無理に来させるくらいなら、魂を消し去ってくれと、40歳を過ぎた頃、自分の神さまに強い決意で嘆願していました。以後も、折に触れ。
しかもその頃、人と等身大の弁天様のお姿を見てうっとりし、居並ぶ七福神の像のうち、毘沙門さんと弁天様だけにお線香を捧げたのです。毘沙門さんは母の御縁ですからね。そして、弁天様には、あなたと結婚したいですと告白。ああーっ。
すると49年を満じようとする日に、身内さんがメールをくれたんです。そんな決意表明も、その日その年にはまったく忘れてましたけど、神さまはちゃんと憶えてくれてたんですね。
50歳以後は、もう人生が転換してインディーなものに。ハリウッド映画の比ではありません。自分が主人公になったのだから。
主人公なら、有名人や大金持ちになれるのに、というお考えなら、一言。私は、昔から雲水のようでありたかったのです。悪くても、陶淵明のようでありたかったのです。どうして有名人などを志ましょうか。たとえば、毎日が講演会の日々なんて、負担感ばかりでうっとおしい限りではないですか。
ただね、軍師として三顧の礼を尽くして請われたなら、赴いてもいいかなと思ってます。というのは、独裁的に政府と軍を動かしてみたいからです。
ここまで不利な戦況になった日本でなら、一億三千万玉砕を前提にした排水の陣容で、欧米と渡り合っても面白いかと思ってます。そして必ず勝利に導いて見せますとも。日本を世界の盟主にすべく。いっさい秘教に組することなしに。
それから、もひとつだけオプションつけときますよ。ちょっとしたサービスね。天ソだけではナンだから、ひとつギョクつけとくよ、の気持ちだね。
人生に何度か大きな絶望や激怒を経験されたらいいと思います。むろん、そんなことがないに越したことはないというのが普通の考えなんですが、これらの契機がないと、心の奥底からの転換というか、空気の入れ替えのようなことが起きないと思います。
ただ、絶望があまりにも深すぎると、自殺したりします。欝やアルツハイマーにも。それらは心の中でする自殺です。また、激怒を他人に振り向けると殺人や傷害になったりします。これは振り向け先が見えてないから起きる錯誤なんです。
激怒は、神に対して向けるものなんです。我々をこの世界に置き、考えようによっては閉じ込めている神に対して、どういうことなんだと食って掛かる必要があるのです。
それをようせずに、弱い者に向けるといじめになり、しまいには殺人を犯すことになるのです。しかし、相手が高次元の神なら、掴みかかろうとしても雲を掴むようなものであり、結局は食って掛かるしかなくなります。
そのときに、理路整然としてわけを話し、正当に抗議しましょう。抗議は罵倒でよろしい。ただし、意味もなく抗議しても無駄です。そんなことしていたら、やれやれまたかの狼少年ケンになってしまいます。
要は、自分側にしっかりとルールを作って望むということなんです。それがなかったら、祈りも叶えられたりしないでしょう。
神は、罵倒されることを喜びます。それだけ、こちらが全幅の信頼のもとに意識していることの証拠であり、受け取る側も、圧倒的に強い神にしかできない心の許容量があってのことなのです。
もしも、人が罵倒して怒る程度の神なら、人と同列程度かそれ以下の、程度の低い邪霊なんでしょう。そういうのは、やたらと崇拝を求めたりします。ちょっと優位にある程度で。そんなのには関わらないことです。
さて、武山さんが復帰されるようです。
https://takeyama-y.cocolog-nifty.com/blog/
私はまた、呼べど叫べど、届かぬ思いに、あとはUFOだけが頼りだと、この世の成り行きを見切ってしまわれたのかと思ったのですが(そこまで絶望されて)、移動のために時間をとられていたとのこと。いやいや、決してそうばかりではありますまい。何とかして差し上げたい思いでいっぱいになります。
清く正しい絶望のありかたが、時空を開く鍵になります。ぜひ試していただきたいことです。

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