活躍の場を異界交信掲示板に代えて・・・2012年5月記載分(2)

2012/05/24 (Thu) 15:06:22
今回の交信と回答のタイミングと的確さがあまりにもだったため、ついまかりこしました。
新神話の延長線になるのか、猫山での出来事を縮図として見たとき、人類史の真相がそこに映し出されているのを見る思いがします。
毛色の白と黒も象徴的に善と悪、正と邪を演じ分けていさえします。むろん、猫たちにしてみれば、民間スタッフながら、この延長戦新神話に参集してくれている感じなのです。だから、彼らの行動の狡猾さや善悪すらも、人類史の原型(雛形)を演じるためのシナリオ(台本)に沿って行われていると見ることもできましょう。
しかし、楽屋裏での和合をここでは云々すべきでないほど、演技は真剣そのものであり、私もすでに我慢の限界がきていて、よそ猫を退治するための仕掛け作りを本気で始めているほどです。というのも、白が主体的な我が家の猫たちは、生物兵器で瀕死の状態にされ、それを耐性のあるよそ猫軍団が波状的に襲撃してくるという事態になっているからです。
これも、シナリオ通りの演劇と思う気持ちと、ここは必死の体当たりでせねばならない気持ちのハザマで演じているようなしだい。俳優ならば、後者でなくてはなりません。よって、ここはすでに戦場。我が猫たちを守るために、敵を撃退せねばならない局面なのです。
それにしても、我が家にいたブー(黒猫)が向こうの傘下に就いて、スパイばかりか生物兵器による自爆テロ攻撃の主体になるという、俗に言えば売国奴、亡国奴がはびこるという状況に、世の雛形としての相似像を感得しております。向こうの猫に風邪引き猫はいないのです。ブーは向こうで主体的に時間を過ごしているというのに。まるで、向こうの兵隊には細菌兵器のワクチンが接種されているかのようではないですか。
ブーがパシリさせられているのなら、我が家系だけを根絶やしにしようというふしすら感じられます。これを被害妄想の言葉で片付けるのなら、世の陰謀論も単なる被害妄想でしかないでしょう。
しかし、我が家の白猫たちは善良です。哀れみを請うミケを擁護してやる猫がいたりして、私をほろっとさせて、それならとミケの食事を用意までしていたのですが、その実は向こうのスパイ、ブーの働きぶりを監視し、その効果をみんな向こうに伝えているのです。必ず、対我が家のスパイを一匹、周辺に張り付かせていて、それが油断しているうちの猫を、物陰から突然襲撃しているのです。
ふつう、猫同士の喧嘩は、口喧嘩と威嚇し合いで終わり、なるべく致命的な怪我をしないようにしているというのが、人間側の観察です。ところが、ここの猫はそうではありません。出産直前期のウーを突然襲い、破水するまでにし、あたりにウーの毛だけが散乱しているというありさま。やった猫を私が追い込んで小突いてやれば、その猫は二度と現れず、その代わり別の手馴れがやってきて襲うというありさま。ウーの心情を察すれば、たとえトンがミケに同情して食事を与えても、ウーには腹立たしいことなので、トンにこの馬鹿者という感じで叱っていたりしていました。子猫時代から、ずっと襲撃をうけてきているからです。
そして確かに、ミケもスパイなのです。私の夢の中にまで、帰順の意を表して現れて、私はまたどこかの縁者の化身かいなと、長く誤解していたほどです。しかし、その哀れそうなおばばの風采に似合わず、動作はいたって機敏。トンなど及びもつかない頑強さなのです。私は何度、足元を脱兎のごとく駆け抜けられて、度肝を抜かれたことか。またやられたか、くそっ、という思いばかりなのです。
そして、トンはミケと交尾したかどで、ブーによって制裁を受けるという始末で、トンがブーの到来を恐れること。チンも何度も襲われて、何日も帰ってこないことが何度もありました。今回、チンは風邪も引いていて、もう三日間帰っていません。もしかすると、疲労のさなか襲撃されて絶命しているかも知れないのです。
こうして、我が家の猫たちは、ブーをはじめA家の猫の侵入に無防備で、半分、命からがらの怯えた一生になってしまっているのです。
まあこれも、世の雛形であり、本人たちには気の毒な役柄を負わせていることになるわけで、いつも、何とかならないのかといった表情で私を見つめることが続いています。それは彼らにとっての神がきっと私なのでしょう。同じことが、人間社会の側にも確かにありますでしょう。神よ、いつまでこんなことを続けさせておられるのか、と。そんなとき、神が私のようでいたなら、何の処置もできないもどかしさに、やがて我慢の限界がきて、計画的撃退手段を講じたとしても、不思議ではないでしょう。
しかし、その神は、我が家の猫たちが全滅させられたなら、報復するぞと思っているかもしれないでしょう。一生懸命に祈願していた人々がみんな殺されてはじめて、事態が進み始めるかもしれず、それでは後の祭りでしかないでしょう。
我が家の猫たちは、無防備で善良で無力です。向こうのマフィア猫のように、戦略的ではありません。戦をしたら負けるに決まっている。だから、神がしっかりしていなくてはならないと思うものの、向こうのやり方の狡猾さに今のところまんまとやられっぱなし。向こうの猫たちは、あんなもんだ、老いぼれまぬけなど屁でもないと、ドロボー猫しても脱兎のごとくすりぬけて、腰を抜かさせてやれといった具合だったら、どうしましょう。それに似た状態なのは確かです。
まあそれでも、新神話延長時間のために参集してくれた民間スタッフですよ、我が家の猫だけでなく、向こうの猫も含めて。しかし、痛みや苦労を引き受けているのも彼らです。この大役をよくがんばってくれていると思うわけですが、いったい何を目的としているのかと言えば、”アルパからオメガまで”を猫キャラを使って映画化したようなことなわけで、彼らの苦労と引き換えにできるほどのことかいなと思ったりもします。
2012/05/25 (Fri) 07:27:44
昨晩はとうとう、ミケのやつ、今までの一線を超えて、隣室に準備していた猫食の皿の中身をことごとく食い尽くしておりました。どの皿もぴかぴかできれいなこと。ブーのために用意していたレバーの深皿も、ラップが邪魔して口が入らなかった部分を除いて、ぴかぴかになっていました。
そこにブーが、私のトイレ起きに合わせてやってきて、レバーをねだります。私は、「お前に用意していたレバーは、ほらこのとおりだ。お前とこのミケがここまでするんだぞ。お前にやれるのはこれしかない。帰ってミケに言っておけ。今度は必ずぶっころすからなと。お前の加担しているA家の連中というのはこんなやつらなんだ。それをお前は口車に乗ってだまされて・・・」となじりました。ブーは風邪によるか、涙目で残りを食しておりました。
これもみな台本がこうなっているのです。私は台本がどうなっているかよく知りません。すべて成り行くままが、台本の中身をさらしてくれているのです。私は一俳優になりきって、自分のあるがままを現実にぶつけています。怒りが生じれば怒り、さりとてこれも役柄よと、怒りの相手にここまでしなくてもいいんだがなと思いながらも、追い回すのです。むろん猫たちも命がけで体当たりの役柄に挑んでいます。
それは新神話延長戦という映画です。サブタイトルがアルパからオメガまで。最近のハリウッド作品の猫キャラバージョンのような感じです。
かつて未知との遭遇という映画があって、友好的宇宙人との遭遇の原型をかもしました。そして、その期待を人類に持たせたままで、何事もなく今まできています。もしかすると、すでに我々は意識体験してしまったゆえに、もう来ないかもしれない。
そのような効果があるなら、まだよくわかりませんが、猫キャラで上映した黙示録時代が、人類の黙示録時代を代わりにやり遂げているかもしれない。それなら、我が家だけの被害で済むことでしょう。また逆に、我が家の遭遇するとおりに人類も遭遇するのかもしれませんが。それをこれから見ていくわけです。
このストーリーは、人類との相似形として見てください。いきなり飛ばないように。
>森野さんがA家の猫を本気で愛することは難しい。それなら、「お前たちは神に愛されているぞ」と伝えてやったらどうでしょうか?
これなんか、飛んでいる典型です。猫たちの神とは、飼い主です。そう設定したなら、A家の猫たちの神も飼い主。が、それはAさんではないです。あくまでも彼らの記憶と伝承の中には、桃源郷にいたときの飼い主がいるのです。
その神はいきなり変節した。そして楽園を追い出されてしまった。彼らにその正確な経緯がわかっていない。だから、愛されなくなった腹いせに、マフィア化して猫山全体の覇権を目指そうとした。Aさんは20匹もいちいち愛撫して、かつての愛を再現しているはずはない。なぜなら、そこで果樹園を営んでいるから。ただ、善意からえさを用意してやっているのです。Aさんは神ではなく、自然なのです。
彼らは神への反抗を、世間を侵略することで示しだした。そこに、桃源郷ならぬ猫猫ニャフランドをやろうという森野がやってきた。それも神だ。ならば、やっちまえってことでしょう。
>、「お前たちは神に愛されているぞ」と伝えてやったらどうでしょうか
これは飛躍しすぎ。彼らに宗教を教え込んでからにしたほうがいい。そうではなく、これと同じことにするなら、私が彼らに公平に食事を与え、かつての飼い主と同じほどの愛し方をしてやるべきなのです。それができますか? やれとおっしゃるなら、膨大なカンパが要ります。猫ケアースタッフも数名必要でしょう。ニャフランドの拡張も必要でしょう。
森野の対応できるのは、我が家の範囲のみ。我が家の猫が全滅すれば、再び猫社会にはかかわらない。あとは自然淘汰の摂理に従ってもらうのみ。
私にできることは、彼らの元の神が決して彼らを裏切ったのではないということを説明してやれるだろうということだけです。人間サイドの周辺情報が私にはわかるわけだから。彼らがその話をもとに改心してくれることを願うのみということです。それがこの映画の目指すところでもあるのです。
人類の闇を作ってきた卑怯組織にも、その話は相似像を通して伝わり、彼らが根本的に改心するだろうことを見込んでいます。それがほんとうの解決策でしょう。
2012/05/25 (Fri) 19:41:43
私が昨今眠くなりがちなのは、心臓のポンプの稼動が十分でないからということが、今日はっきりわかりました。私は、猫たちのかけてくる負担に、応じきれなくなっているのです。一般的には老化したということです。原因はあれのせいもあるとは思いますが、元々があれなので、声を大にして訴えかけていくこともできないのです。
>森野さんと猫たちがいっしょにアセンションすれば、マフィア軍団は付いて来ないでしょうね。
私が持つアセンション観は、少しみなさんのとは異なるかと思います。それは、マッチョマンさんも夢見経験をたいせつにされているように、リアルな夢見からの啓発であり、私への特別なプレゼントのようなものだろうと思っています。しかし、みなさんはそれぞれ理想をもっておかれたらいいかと思います。
アセンションを匂わせる夢を見たことがあります。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-700.html
私が上がろうとしているときに、一塁側スタンドで待機しているたくさんの太目の白銀色の十字架。これはキリスト教徒かな。私がやっていたのは上昇アクションですから、アセンションの象徴化と言えるでしょう。次に控えしは十字架群といったふうでした。
人物などではなく、墓石の形そのものでしたから、彼らは死者になって昇天することになると推測できました。同様に私も、夢の中でまだ逝くのは早いと判断したわけです。
そしてロサンゼルスの球場横で十字架群の昇天を幻視したベティさんという人。このときある人物を介して二つの現象がリンクされたわけでしたが、このような形で昇天がなされるのかなあという思いでしたね。
だから私は、肉体を保ったままのアセンションはないと思っています。だから、
>この頃はやはり眠りの時間が5次元に入ったために・・・
といった説にはあまり関心がないわけです。
けっきょく落ち着くのは、こんなことになるでしょう。つまり、死を経てということです。
>その時は仮の今の体を返さなければならず、新しい元来からの皆さんの本当の体である精身体に戻る事になります。
むろんみなさんはそれぞれに理想を保っておかれたらいいでしょう。独立独尊のみなさんですから。
それと、これにも疑問を持ちます。
>アセンションすれば、マフィア軍団は付いて来ないでしょうね。
つまり、邪系は次元が低いから、上の次元には到底上がってこれないという説ですね。ところが、邪神系は上位次元の侵略もやりたがっているのです。全次元を支配したいのが彼らなのです。
魂がないと思い込んでいる嫉妬種族、つまり唯物主義者のようなことなので、精神性では至れないために、科学力で次元上昇マシンを作って侵入しようとします。UFOにはすでにそのような能力があります。だから正神系は、どこかで邪系を打ち破っておく必要があるのです。
ところが、自ら手を汚したくない人ばかりなので、最後は上位の砦に立て篭もるようなことになりかねません。彼らはいつも逃げてきたので、ネガティブ条件の何にでもリアクションが生じる摂理によって、最後は追い詰められねばならないことになるのです。いつかは本気を出さねばならないときが誰にでもくること。それはすべての有情の責務でもあるのです。
2012/05/26 (Sat) 16:07:38
いま危ないのはシャンです。食べないのです。そして水と鼻水だけを飲んでいます。もっと危ないのはチンかも知れません。食べないに加え、呆然自失状態になっています。そして両名とも、家の中に居場所を作れず、外に出てしまいます。
アセンション後は、食べなくていいという話ですが、チンやシャンはどう見ても病気中です。かつてなじんできた食事を目の前に置いても興味しないのです。飲み薬はむろん無視。口をこじ開けようとしても堅く閉ざします。匂いがしていないからというのもあるでしょう。しかし、生きようとするなら本能的に食べることを選択するものでしょう。
そこには、不信感があるのでしょう。ほんとうに愛してくれているのかどうか。はじめはそう思っていたら、突然ひどいことをした。シャンだけでなく、ウーにもトンにもしてきています。彼らにしてみれば、人生最大の恐怖体験だったに違いないことを。それがチンにも伝えられていて、この人はわからんぞとなっているのかもしれません。自然界自体が、いつ何時の突発性災難をもたらすか、彼らのほうがより多く経験していることでしょうから、いっそう警戒心は強いものがあるでしょう。
人類に置きなおせば、日ごろよくしてくれていると思っている神に対する不信のようなものかもしれません。飼い主に気配りがあれば、その辺を心得ていなくてはなりません。が、人はおよそ彼らをモノかペットとして扱い、彼らの感情を度外視します。彼らにとっては、ある日突然、心変わりする神と付き合っている感じではないでしょうか。
だから、シャンはよく私の足に頭をこすりつけてきます。それを私は甘えているんだろうと思っていましたが、もしかすると、お代官さまあ~あまりひどいことせんようにお願いします、ということなのかもしれません。シャンはトカゲやネズミを捕まえてきては、収穫祭の儀式を行い、私の寝室に生きたまま供物します。そんな気遣いなどするなと言うのに。神に対して人間のやってることも、ほぼ同じでしょう。相似像で見れば、共通点ばかり浮かびます。
食事はまめに出してくれる。しかし油断はできない。匂いが変われば、これは腐っているから食べてはなるまいと思い込む。ほんとうは鼻が利かなくなっていて、匂いも変質しているというわけなのに。
そんな気疲れする毎日、心地よい穴のほうがよほど楽に思えるのでしょう。夢の中できっと何度も誘われたに違いないのです。目覚めたら不快感。くしゃみ、鼻水、それをたえず飲み下さねばならない現実。そして寒気がすればまた咳込みます。外に出ても、よそ猫の襲撃におびえる。さらに飼い主に気を使わねばならないとすれば。どれをとってもいいことはない。そして、生きていても、何をするでもない。死んだように生きることが面白いはずもなく、ただ私の愛撫を伴う交流時間だけが、独占的に愛を感じられたのに。期待していたら、その人がまた恐怖体験させようとするではないか。
人間にもこういう人はたくさんいるでしょう。仕方なく死んだようにして生きていると感じている人は。善人にそういう人は多いです。人間なら、まだ工夫というものができます。しかし、猫だったなら。借りてきた猫という表現のように、黙って置かれた環境に耐えています。圧倒的に弱い立場ゆえ、されるがままに黙っているし、コミュニケーションがとれないゆえの絶望は計り知れません。彼らがバイオレンスになるときは、我慢の限界を超えたときと知るべきでしょう。
我が家の猫たちは、車に乗せられるのを極度に嫌がります。医者に運ぼうと車に乗せれば、ものすごいパニックに陥ります。キャリーを中から引っ掻いて、爪を怪我したりもします。それで外に出せば、車室内を泣き叫びながら徘徊します。まるで白虎が絵画になったような姿を見ることができます。それを見ただけで、私の鼓動は30%アップします。心臓によくありません。猫もたいへんですが、私もたいへんなのです。
よくUFOがいざというとき救出に来てくれるから大丈夫と言っている人がいますが、UFOにいきなり乗せられて環境の激変を味わったら、この猫たちのようになると思います。そのときに発するパニックの波動が、運転手(宇宙人)に致命傷を与えかねないことがわかっていない。だから、いくら宇宙人の到来を待ってると言っても、宇宙人のほうが困ってしまう。この人も宇宙人も共倒れになるから。その点、死んでしまえばバルドの激変の中にありますから、宇宙人がかかわらなくとも、彼は自動的に望む場所に行くことでしょう。だから、そのままに放っておかれるのです。
宇宙人は、麻酔にかけて拉致し、後で記憶をけしてしまうということをするようですが、やはりPTSD的傷は潜在意識に残ります。それに、健忘症になるといいます。それでも命にかかわればということで、猫を乗せてやりたくとも、宇宙人のような麻酔技術も記憶消し技術も持ち合わせていない私には、そのリスクと天秤にかけて、それでもという場合にしかできないのです。よく安易におっしゃいますが、私の苦悩がお分かりになっていないです。同じような理由で、宇宙人も苦悩していることでしょうに。
UFOに乗せるのも、子供のうちから頻繁にしておくべきでしょう。すると、坂本さんのような御仁になれるんです。私も中学校時代、けっこうホーイチ(耳なし法一)されたと思います。記憶消去とワンセットで。だから、UFOには抵抗がさほどありません。
車に乗せるのも、幼猫のうちからなら、慣れてくれるはず。いちばん最初にかかわった「たま」は、車が縁で拾った子猫で、それからもドライブに出ると、私の肩から頭の上に乗って、景色を楽しんでいたものです。後続車から見れば、なななんじゃあれは、と思われたことでしょうね。それが猫というものなんだと、私も淡い幻想を持っていたものでした。
>Q 掲示板への希望はありますか?何を希望?  A 通告・当日
今日が通告の当日になりました。
今朝早く、ドロボー猫に入ったミケをキッチンの一室に追い込み、散々袋叩きしました。Aマフィアのスパイであり、うちの猫たちの病態に臥してゆく様子を、頑強な体躯を忍者のごとく忍ばせて観察するとともに、私の用意していたレバーなどの皿をことごとくぴかぴかにしていましたから。
残り物の処理にはありがたい存在でも、ついに一線を越えたドロボー行為と、ブーの自爆テロの首尾を逐一ドンに知らせて、意気盛んにしていることが許せなくなり、徹底的にやってしまいました。特に朝は、シャンが死出の旅に出てましたし、トンもチンもグロッキー状態でしたから。ミケも私がここまで恐ろしい変貌をするとは思ってもみなかったようで、対面する目は絶望感を漂わせておりました。
私はその間、桃源郷の飼い主の死のことから、我が家への襲撃に関することまで、私が知っている限りのことを話してやりました。元の飼い主への誤解に始まり、今の卑怯かつ常軌を逸した戦法についてまで、非難し倒してやりました。今のユダ金勢力に聞こえるくらいの圧巻で。
そして殺す寸前で、Aのドンに伝える者がいないのではいけないと、釈放してやりました。その逃げるときのパワーと俊敏さは忍者も及ぶところではありません。まさに化け猫。どこか家の中に隠れられたら、何時間も物音ひとつたてずに隠れ通すことでしょう。寝首をかこうと思えば、いくらでもといった感じ。
私の覚悟の程の気迫に圧されたか、今日はまったくA猫は一匹も姿を見せません。ただ、ブーだけが正午ごろ、いけしゃあしゃあと、レバーたべさせてと現れたので、まあ仕方ないと食べさせました。その間、ミケをぶちのめしてやった、これからも絶対に許さんのだからな、お前がいくら仲介しても、A猫には餌の一欠けらもやるつもりはないと言い聞かせ、この伝言を伝えるように言ってやりました。
午後3時、突然としてシャンが帰ってまいりました。そして、ウエットフードのパウチを食べたのです。トンも同じパウチを少しだけ食しました。グロッキーかと思っていたチンがいつのまにかいなくなっています。ウーはかなり状態がいいです。なんだ、みな生きてるのか。
善良な市民の雛形がみな生きていたとすれば、めでたい話ではあるものの、私のいちど振り上げたこぶしがどうにもこうにも。監督や俳優のほうが、私の気迫に圧されて、死なねばならなかったシナリオを変更してしまったかと思えるほどでした。
>Q 今現在掲示板の状況   A 象に立ち向かうアリ
選挙の一票が集まればという意味に使われているようですね。そう思うなら、馬鹿げています。清き一票など、何の意味もないし、役に立つものではありません。
象を一匹のアリが倒せるほどの作戦を立てる技量を持ちなさいということなんです。つまり、軍師でありなさいということ。
小沢一郎は影響力はあっても、軍師ではありません。よく言えば劉備玄徳。彼を慕う者は多くとも、軍師がいない。三顧の礼をしてでも求めていかねばなりません。
>神さまはよく見てます。
言葉尻を捉えてばかりで申し訳ないのですが、いいヒントを出してくださっているので、ちょっとやらせてくださいね。
相似像を通して見たときの神は、賢明では決してありません。よほど真剣にならない限り、見ていたりしないでしょう。
バベルの塔の事件のとき、それまで共通言語(心の会話)を使っていたものを、各地各民族の言語を使わせましたね。このとき、神も各人間の言語を理解できなくなったのです。
つまり、お前らはお前らで勝手にやれとしか言い様のない状態になったのです。すると錯誤が主体化します。世界が闇になった元とも言えます。
猫たちの言葉は彼らだけのものであり、人間が理解できるものではありません。彼らは敵味方同士でもコミがとれる。しかし、人間とは、なかなかそれができない。だから、うちの猫がA猫の口車に乗ったり洗脳されたりするのです。
だから、人間が信じている神というのは、人間が作り出した神なんです。ほんとうの神とは断絶しているゆえに、神も知らない神にされていたりする。しかし、それを確認することもできないのが神なんです。共通言語のときは、神も人もみんなが理解しあえていたのに、どうしてこうなったか。それは。

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