叩けよ、さらば開かれん、とは

葛藤とは、左脳による何度も繰り返し行う思考実験のことと捉えております。
その繰り返しの中で、右脳からの天啓の横槍が決着をもたらす場合もあるかも知れませんが、多くの試行錯誤が脳の中で繰り返され、それが現実行動になるときには、ベターと思われた思考実験の結果であろうかと思います。
しかし、左脳のすることは試行錯誤が主であり、100のうち1つでも正解(ベスト)であればオンの字です。左脳は三次元世界に関わるための脳。世界のあらゆるシステムがこの試行錯誤の中に置かれているのも、この理由からでしょう。
政治、経済、人と人との輪、何をとっても完全なものというものはありません。
しかし、なぜか黄金楽土とは異なるも、すばらしきろくでもなさを感じるのはどうしてなんでしょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/33616006.html
誰しもがひとつやふたつそれ以上経験することのありがたさ。
いやー、三次元世界って、いいもんですね。
叩けよさらば開かれん、という言葉はこのために用意されていたと思われます。
左脳思考の問答の繰り返し。そのとき、何度も扉を叩いている。そして扉が開かれ、解答が塊になって渡される。
そこで人は、えも言えぬ快感(快感物質の分泌)と、おおこれだ!!という判断をえるのです。扉とは、右脳の天啓情報ルートのこと。
しかし、天啓とはいえ、完全なものではありません。叩く者の求めに応じたものにならざるをえず、また邪神側とつながることもあるからです。一種のチャネリングですね。
また、議会制民主主義というものが、いかに天啓からかけ離れたものになるか、思ってみてください。議会に天啓がもたらされるのではなく、個々人にもたらされるからです。良い政治は、天啓がしのぎを削りあってなお、幾多の妨害を乗り越えて成立できるわけですが、これは難しい。
必ず天啓担当の参謀(つまり軍師)が要り、独裁制が望ましくなります。今もそうでしょう。結局は、ロス茶さんとかが独裁してるんです。彼は邪神とつながって天啓を受けてるということ。