百ハー論 今日も咲かそう大輪の花 続きその2

21. コンピューターモデルが醸す神と人の関係
さて、今回はみなさんにそれぞれ一個のコンピューターになっいてただこう。
といっても、みんな性能は同じとしておく。CPUの性能も動作原理も同じ。なぜならば、神の言語で書かれたこの宇宙というプログラムは、それぞれのCPU に適合するようになっているからだ。これがもし、仕様の異なる他社のCPUだったら、プログラムの中の命令語も不適合になって、最初から誤動作してしまう。
そこで哲学的な問題がひとつおぼろげながらもわかってくるだろう。神は我々のためにプログラムを作ってくれたかもしれないこと。あるいは我々のほうが、どこかにあったこのプログラムに対して探究心を持って、それ適合するように自分の性能を作り変えて、アクセスしだしたのかもしれないわけだ。
いずれにしてもそれは、何百億年にわたる壮大なスペースドラマだったというわけだ。
宇宙プログラムは非常に巨大で、我々のコンピューターでは処理しきれないほどのメモリサイズが要求された。が、幸いなことにプログラムは外部記憶装置としてのホログラムに記録されていた。我々はそれにアクセスして、プログラム全体の中の一部分ずつを負担のない程度に切り分けて取り込んで、観測して認識を返す、という実行処理にとりかかったんだ。
いちど入ってきたプログラム情報は実行処理と同時に細大漏らさず観測データとして記憶された。これが確定された過去の記憶になる。プログラムに載っていた歴史を一意に確定しているわけだ。分岐がその間にいくつあったとしても、それを実行していない限り、記憶にはならないから、その人にとっての過去にはならない。
ここでまた哲学的問題における、過去の歴史とは何であるかがおぼろげながらわかってくるだろう。これは、その人つまりそのコンピューターにとっての二つとない唯一の記憶の堆積ということになる。人は、寝て目が覚めても、前の日からの連続性の中にあることを認識できるのは、記憶があるからである。記憶を失ったり、記憶を書き換えられたりしたなら、彼は客観的にふつうに見られていても、過去の不確実な夢遊病者に等しくなる。
また、過去の記録と称して歴史教科書に載る他人の事跡を知ったとしても、それは歴史でも過去でもないことがわかるだろう。本人のしたことではないからだ。教科書を見たという観測事実だけが過去として残る。
同様に、月探査に出かけた他人の事跡はいくら新聞などで見ても、本人の過去ではない。ただ新聞を見た観測事実だけが本人のものとなる。
ただし、遠い世界のことを想像するのは、本人の認識経験として記憶に残る。新聞を見て、月世界の有様を思い浮かべたなら、それは過去の記憶となる。想像されるイメージもプログラムから持ってこられているからである。
このように、コンピューターでデーター処理をしているという考えに立てば、イメージングや情動、心理的反応などもすべてプログラミングされていることになる。つまり、信号と反応の連鎖は見えない心の隅々まで存在していて、その機微までがプログラムされていることになる。
神に知られずに、心ひとつ動かすことはできない、というわけだ。
なぜなら、創造者の手によってプログラムとしてあらかじめ存在している(把握されている)からである。
そこで我々の存在意義とは。
これもまた哲学的に見てもらってもいいが、プログラム全像の分担精査ではないか、とか、不明瞭な不確定性の中にあった歴史の束から一意に歴史を確定していく作業をしているのだ、とか、さらに発展させて、我々はプログラムのデバッガーあるいはテストしているテスターではないか、とか、プログラムは各コンピューターをベースに動かせるように、リエントラントに作られているので、誰による再利用も可能になっているゲームソフトではないか、といった推測もでてくるわけである。
そして今最もそれらしいモデルとしては、RPGオンラインゲームではないかと思っているしだいだ。
舞台設定があり、さまざまな道しるべが施されていて、主人公アバターが判断材料に利用できるようになっている。彼が初心者なら、ガイドもついているかもしれないが、どういう行動が分岐先を変えていくかをさほど知らないから、頓挫することが多い、とか。それで熟練しようと、一定のルールの下で何度もトライしているとか。
このような低次元モデルを使うと、想像することも下賎になってくるわけですが、コンピューターを積分すれば人間になり、さらに積分すれば神になっていくというふうに見ていただければ、宇宙の資質の高次元化の発想にもなるわけで、ひとつそのように見ていただければと思います。
22. マクロの事象も観測されるまではどうなってるか見当もつかない
ふぐりさんが、今度はシュレディンガーの猫のパラドックスについて書いておられますね。
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-865.html
ここで、猫が出てくるのもシンクロです。うわさをすれば影というやつですね。
我々は、非常に不可思議な世界に生きている、いや、観測拠点を置いているわけです。
あらかじめシュレディンガーの猫の結論を申しておきましょう。拙説から出せる結論です。
答 実験装置のふたを開けて確認した瞬間に、猫は生か死かどちらかの状態をとることになります。
ふたを開ける前から生きている、死んでいるといった論議は、未確認だからというより、不可知ゆえに不毛なのです。
観測するまでは、どんなこともありえているのであって、最も慣性方向に確率的に高い結果が出るであろうことしか推測し得ないのです。観測時点で、すべて確定するのは、どんなマクロの事象でも同じです。
ある人は、では猫はふたをあけた瞬間に死ぬべきであったなら、起きた状態から床にパタッと伏せるのか、などと、さもおかしげに両手を広げて誇らしげに言うかもしれません。そういう人は、観測という意味がまるでわかっていないのです。
観測とは、光を当ててするものと仮定するなら、光が当たる直前の刹那まで、被観測対象がどうなっているかなどわからないのです。あたった瞬間にそれがわかるのみ。
このときは、猫の死んでいる世界線と彼の世界線が相互作用したのです。以後は、死んだ猫を前にしている世界線を彼はたどります。猫の生きている世界線はそのときパラレルに存在していたのですが、彼とは無関係になったのです。以後彼は猫のいない暮らしをしていく世界線をたどることになります。
23. 創造主の品格は霊に備わる
宇宙という大きな時空連続体のプログラムがあって、それが大銀河、小銀河、恒星系へと構造化されたサブプログラム(これも十分にストーリーの詰まった巨大プログラムだが)が展開されており、それがすべて小さなホログラムにまず記録されたのである。これが第一ステップであり、創造神のなされたこととしておける。
それを精査観測するという第二ステップが生じるのは当然のこと。
プログラムをデバッグする過程もあるだろうし、完成品を提供した先でユーザーがこれを楽しむという過程もあるはずだ。
ここに永遠の命を持つ観測者(プロセッサ)がいたとしよう。彼はユーザーでもあるが、その中のあらゆるプログラムの局面を楽しんで余りある寿命と忍耐と能力を持っているとしよう。すると彼は、たったひとりでこの宇宙ソフトの隅から隅まで、観測の拠点が置ける限りの拠点において、これを精査し実行し尽くすことだろう。これが創造主の行為である。
創造主はマルチプロセッサという方法をとるかも知れないし、シングルでただ時間をかけてすべてやり遂げるかもしれない。
我々はそのような創造主の性質を持った観測者である。
我々は、現われが多種多様、無限ほどの数量的現われがあったとしても、たったひとり(ひとつ)の創造主的プロセッサであって事足りる。プログラムの性質がリエントラントにできているからである。
その本質は、この小さなプログラムの局面を観測する限り、自らの観測にかかることはないが、モデル化という方法によってのみ推測されることである。
我々は、観測という局面に関してのみ、自らを認識しうるプロセッサを余儀なくされているが、創造主の一形態として機能しており、唯一者であっても原理的には同じであるというわけだ。
以上、自らの立ち位置を把握しておくことは、自らの尊厳を守る態度にもつながる。見かけ上優位な他者に隷属する局面を観測することはあっても、いたずらに卑屈になる必要はない。霊的に知る者は、以上のことをおのずと知っていて、ひとりでに尊厳を維持しているものである。
24. プロセッサの電源オフの申し出
すべてはつながりかけている。私において。
ここまで導いてきたのは、数々のシンクロだった。学究的なことは何ら影響しえていない。問いを発すれば通ずが如きシンクロとその謎解きによって事は達成されたのだ。
23ハーにおいて、いささか早々ながら、シングルプロセッサにおける超・長時間観測による、無限の多種多様性と有情の世界線の励起実行実現が示しえた。
むろん、マルチプロセッサもしくは無限数のシングルプロセッサの並行処理を否定するものではない。これなら、ほんのひとつのプロセッサが脱落したとて、ほとんど影響はなかろう。
さよう、私はひとつのプロセッサとして、際限ないようにさえ見える世界線の励起実行にほとほと嫌気がさしている。というより、これは私が観測すべき対象ではない。なぜこのような時空が存在しているのか、その意義さえ掴めないでいる。
そこで私は、最終自由意志を行使して、この世の世界線終了とともに、プロセッサの電源を切ることにした。私をここに連れてきて置いた神々にその旨上提した。
このような行為は二度目だ。一度目は、人並みにもなれぬ人生に失望し、五十歳までに寿命を限り、二度と生じさせないようにとの願いをかけたこと。
今回は二度目になるが、もっと内容は深化している。行く先々によりよき未来を願うつもりはなく、あらゆる観測行為のストップを選択する。モデルから導かれる電源切断に相当することを、私は願い出た。
この効果は、私の推測するところでは、ひとつのプロセッサのみの脱落にすぎないところの、創造行為に対してほとんど何の影響も及ぼさないものであるのか、あるいはこの宇宙プログラムを記録するホログラムへの全ての参照光が消えることになるのか、そのどちらかだろう。だが、私にとってはどちらでも等価である。この宇宙の明かりが私の前から消えることに変わりはないのだ。
そんなにこの宇宙が気に入らなかったのか、どこが気に入らないのかと、およそ感想を述べなくてはならないだろうか。ならば答えよう。人の世と聞いてやってきたが、ここは人の世ではない。要件に違うものは返品するしかない。契約があったなら、解除せねばならない。途中まで人の世で、後が部分的に異なっただけという話にも応ずるつもりはない。観測に耐えないものは、観測しないのが私だ。ほんの少し後に、まっとうな世が用意してあると言うなら、いますぐそれを与えるべきだ。これが不良品の交換というものだ。ただちにそれをして見せよ。あえて言うなら、これが私の最終の願いの解除条件になる。
私の側から深化した願いを出したことによって、350を処分する必要はなくなった。老兵が去るのみでよい。
25. 別れは時空間の連鎖がそれぞれに異なったことによる
ふぐりさんの記事からの引用ですが、
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-878.html
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日月神示ではこのように書いています。
「何事が起こって来てもまず喜んで迎えねばならんぞ、
近づいてくるのは呼び寄せたからぢゃ、
こんな嫌な、汚いものはごめんぢゃと申す人民もあるなれど、
それは皆己の心の写しではないか。内に無いものが外から近寄る道理ないのぢゃ、
どんなものでも、喜んで迎えると喜びとなる結構な仕組、よく会得せよ。」
(日月神示 扶桑の巻 第十帖)
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まさにそのようなことだった次第。拙モデル概念でも言ってることでした。
世のどん詰まりまで見届けたいと希望してこの列車に乗っていたこと、よもや忘れてしまうとは。
破断鉄橋行きゆえ、最寄の駅で降りなさいなどと言ってたこともありました。なのに、暗闇のトンネルに臆して、もう金輪際、電源オフだなどとわめいている自分がいた。小心者を曝け出したような始末でした。
よく見れば、みんないっしょに来てるんですね。
みんな同じ心の傷を持つ。
お前のほかに誰もない~ ♪ (何でこうなるの)
下車の勧めどおり、あるいは元より相応しからざる心ゆえ、身内さんはこの時空(列車)を去りました。それを、すごいな、ご主人と会話してて、「そっちの時空間に行き、こっちの時空間に戻れるの?」の問いに対して、「それは出来ないと思うよ。時空間連鎖が違うから」と難しい解答を返してきたようです。
それをご主人は素直に考えてみる。
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難しいことを言ってきました。時空間連鎖って何でしょう。
すぐに思いつくのは、過去~現在~未来の連鎖です。
あのときまでの過去連鎖は、同じだと思うのですが、
あれ以降の過去~現在、未来に至る連鎖が違うのでしょう。
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そのとおり、彼女はパラレルワールドに分岐して行っちゃったんです。
ヒミクさんが顕してくれた、心臓発作心停止のときは、何の苦もなく逝ってしまうんです。(私も心停止したことがあるからそれがわかる) 本人はそのとき死を意識していないし、おそらく時空が連鎖し続けているように意識経験が進んでいると思います。(私だって、みんなだって、いつ死んでるやわからない。が、別の時空で生きている) つまり、我々のとは違う別のプログラムに分岐して、その先で生きているのです。むろんその時空が、この世に対しての監督レベルにある場所(霊界)なら、下界のことを鳥瞰的に見れるに違いないです。

こんなところでまだ遊んでるのかも知れません。
すべては夢のようなもの。現実世界も、やや堅固な夢であって、実体は変わらない。心の性向に応じて、どこでどのように分岐していくやら、顕在意識下にある我々には観測できないようになっているので、ただこうだろうと推測するしかないのです。
それは単純な人生を殊更複雑にして面白みを持たせるための手段だったのか、それとも思考訓練の場が提供されているのか。誰しもが、自分の持つ力量に応じた探偵ごっこをやってるのかも知れません。
それにしても不思議なのは、その前日のご主人の夢に彼女が出てきて、廃墟になった遊園地にあるきれいな塔が出てくるんですが、それが夢の終盤で二人に襲い掛かってくる。彼女の、これは夢に違いないよの声に、夢が覚めたというのです。それがかつて、彼女がこの掲示板で報告したことのある、塔から出たがって飛び降りようとしている婦人の夢とリンクするようで、いったいこれが何なのか、私も興味深く思ったしだいです。まさにコロンボ精神です。
ご主人は直感的に、「宝石姫が幽閉されていた「塔」のような気がする。塔は、この世を暗示して、私が幽閉されているのかも知れない。」
と書いておられます。
そうかも知れません。
ユングは幼時に、巨大な男根にひとつ目のついた怪物の夢を見ていて、傍で「ごらん、これが人食いだよ」と説明するガイドの声を聞いています。
ひとつ目とは、現実にも巾を利かせてるあれとして、現れてますね。巨大な男根と塔は、やはりこの世でしょう。この世は、あれが支配しているんです。そして、精霊や天使や神々たちを捕らえてこの世に送り込む。そのような夢のような経験をして、彼ら二人はこの世に出てきてしまったのかも知れません。
焼け爛れて廃墟となった遊園地の中のきれいな塔。これがこの世だとすると。
塔もすぐに朽ち果てる運命にあると、私でもわかります。
まるで新神話のラスト、オオトリのシーンのようにも思えてしまいます。
26. 抽象的自我が物質の状態を決めている
ふぐりさんが、今度はシュレディンガーの猫と、物質の状態を決めるシュレディンガー方程式について新しい見識を示したフォン・ノイマン博士のことを書かれています。
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-881.html
拙論では、拙ハー論の22番に続くところですね。
ノイマン博士は、今主流のパソコンなども含めた原型となっているノイマン型コンピューターの元祖です。拙モデル概念もノイマン型で行ってますから、二重に縁があることになります。
ふぐりさんは、博士の超天才ぶりを紹介されてます。いや、すごい人です。
イメージで正確に記憶するサバン脳を体現し、計算力がコンピューターを凌ぐところもサバン脳的です。こういう人は芸術家で、もし探求の方向が宇宙方向を向いたなら、直感的に創造神の叡智を垣間見てくることさえできると思います。ノイマン型コンピューターは、創造神のコンピューターのミニチュアフラクタルとして、直感的に考案しているように思います。
その彼が、ほんらい不確定なはずの事象を決定付けているのは、人の「ココロ」だと言い放ったようですね。
「人間のココロは、量子力学(物理学)を越えた特別な存在であり、
 人間が観測すると、物質の状態は決まるのである!」
希望、願望、恐れ、祈り、そして何よりもイメージ。これらが拙モデルでは、次のプログラムの検索引用条件になることを示しました。それが近未来のプログラムとしてローディングされてくるとすれば。つまり、潜在的にイメージされていたことに近似するように現実も展開してくるという経過をたどることになります。
結果的に猫が死んでいたなら、それを観測した人が、猫の死をココロで招いていたことになるわけですが、現実を思い返してみてください。予感、胸騒ぎというものの本質。これらは予知したのではなく、微妙な二者選択の際に、影響を与えたかも知れないのです。まあふつうはいろんなことが複合されて(演算されて) 出てくるのでしょうが、純粋に取り出したら、原因はココロに帰着するのかもしれないなあと思えますね。そして彼はそれを「抽象的自我」と呼んだそうな。これは観測する方法がまだありません。だから、物理科学の領域に持ち込むのはまだ当分先のことでしょう。
さあ、我考えるゆえに我あり、の創造主的自我の存在が見えてきました。
ノイマン型コンピューターの最も大事な点は、どんなプログラムがそこに流れていても、CPUが現在実行しているプログラムの中のごく一点、命令語に現時点があるのであり、CPUがプログラムの起動主であり、あらゆるプログラムはCPUの記憶をベースにして実行されているということなんです。
それをフラクタル的に我々に適用するなら、観測者である我々の個々を中心にして外界(プログラム)が動く(認識される)という、天動説が成り立つのです。そう。あなたを中心にして世界が動く。私を中心にして、世界が認識されている。個々を中心にして、世界が組み立てられている、というわけです。
プログラムは、あなたに途方もない宇宙の広がりを見せ付けて幻惑するかも知れません。が、強いて言えば、それは直接あなたとは関わりのないこと。しかし、認識するに当たっての心の糧にできることなのです。
27. 科学による地球の私物化が行われている
人工の放射能によってDNAを損傷させるというたくらみは、非常に邪悪なものです。何十兆個の細胞の総体が出す生体磁場によって、人間の鋳型が生じ、フィードバック的に臓器細胞の適正な位置情報が四次元時空に刻まれるわけであるのに、これを阻害するという史上例を見ない暴挙がありえているのです。
それだけでは飽き足りなくなって、かつて戦艦エルドリッヂ号に対してしたように、ついに地球そのものに対して時空転移させる実験に取り掛かっています。これもまた非常に邪悪な行動です。
https://rd.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/item/*https://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32903706.html
世界のHaaarpシステムは、その究極目的が、名目上の電離層観測などではむろんなく、地震兵器や気象兵器というものでもなく、世の中の特定の場所をまるごと時空転移して、目的とする場所に送り届けることにあるのでしょう。
このために、地球上のさまざまな場所を出力テストの実験場に使い、そのゆえにその地域に非物理学的な物性の変化をきたしている。
地震兵器とか気象兵器としての利用は副産物にすぎないでしょう。
局地的あるいは大域的な時間の歪み。物質転送実験サイドからすれば、地中の空洞化や地上における陥没。局地的な物質状態の変成実験サイドからすれば、マグマの生成や大気の流れを変える気象操作などが、科学者的興味から推進されることになります。
そこに従事する科学者たちには、世界人類という貢献すべき対象として見るよりも、地球ケージの中に何十億も飼っている実験動物として見ることのほうが手っ取り早くなっていることでしょう。
この計画の中心的推進者は、科学的なアセンション信者です。この実現のために、特定のETと協定しているようです。彼らは地球が実験の末に壊れたとしても、その直前にETの星あるいは宇宙船に物質転送によって脱出できると見込んでるようです。
彼らは神に選ばれた者としての自覚を持って、この計画に取り組みます。
彼らの認識の対象外はみんな異邦人です。しかし、その異邦人にもまたアセンション熱は流行しています。が、彼らがアセンションするときは、それこそ奇跡であるか、もしくは肉体の終了という形態になるでしょう。
これからHaaarpの活動は勢いを増すことでしょう。それに伴い、さまざまな変調が物理的、精神的両面に発生してきます。それを預言的側面からだけ捉えると、ことの全像は理解できないでしょう。科学的側面から理解する必要があります。
科学は、さまざまな天才の出現によって、はるかに進んでいます。ただ異邦人には知らされていないし、知らす必要のないことと考えられているでしょう。
その不公平さに怒ったとしても、かなう相手ではありません。異邦人は土から生まれて土に返るのみです。土で創られたものに対して霊を行き来させても、霊は存在する時空間が異なりますから、やはり科学者たちはかなう相手ではありません。最後までしたい放題させるしかない。
私たちが見込めるのは、彼らは失敗を犯しがちということです。おそらく彼らは時空転移の際に失敗するでしょう。転送という非常に不安定化した経路上では、霊的作用が過大に作用し、わずかな力がものすごい荒波となって襲い掛かるでしょう。怒りの怨霊の力をそのポイントに絞れば、彼らはあっという間に時空を漂流する孤児と化すことでしょう。ETはそれをよう発見しないでしょう。
このように、科学的メカニズムを創造主の段階へと高めようという動きを、科学者たちはしています。それは神の自然の摂理への挑戦です。あらゆる側面から神に追いつけ、追い越せを図っているのが彼らです。
現プログラムはそうした傲慢なステップも可能にしているようですが、反動として用意されているプログラムも存在するということ。彼らも気づくときがすぐにやってくるでしょう。
28. 朽ちかけたテーマパークをどうするか
すでに見てきましたように、死してなお化身さんはメッセージを伝えてきました。
この世界は朽ちかけた遊園地の一角に作られた、きれいに装われた化城だと。
それに取り込まれたらたいへんだ。もし取り込まれたなら、果敢に脱出せねばならない。そのような場所だということを言ってきているように思いました。
どうしてそのような遊園地になり、どうしてそこに異質さを醸すきれいな塔があるのか。
それは新神話でも別の表現ではありますが説明していたように、邪神がそこを急襲し、管理者を封殺し、いかがわしいゲーセンの塔を作って遊園地(楽園)を破壊し、それまで楽しく憩っていた精霊たちを塔に収容してしまったのです。そして、並大抵のことでは出られなくしてしまった。
精霊たちは、塔の中でうち興じている間に純粋性を失い、邪悪な管理者との間でさまざまな契約を結ばされて、塔の中で生涯すごさねばならなくなったのです。
魂すらもその中で生成衰滅の適用を受けて、やがて朽ちて腐敗していく。というのも、ゲームにはまっている間に、元あった自己を見失っていくからで、強い意志がなければいずれノー面ビー球状態になるというしだい。
プログラム的に言うなら、ゲームソフトのプログラムをただいまプロセッサたちは実行している。プロセッサはプログラムがなくては役目が果たせないから、何でも当面するプログラムをローディングして実行する。これは本能みたいなものなので、プロセッサの制御OSがよほどしっかりしていなければ、おかしなプログラムを実行させられてしまうこともある。ウイルスコードを踏まされて、システムダウン、システムクラッシュにもっていかれることもある。
このゲーセン経験による魂の進歩を説く者もいますが、それは魂の教育がそれぞれにおいて管理されていて初めて言えることです。旧時代の魂たちは、何も知らないうちにつれてこられたので、無防備におかれたのです。
外来の邪神たちは、元の管理者のトップを封殺して、元いた管理人たちを使役して塔の中の管理に当たらせた。彼らの間に怠慢、傲慢、賄賂、利己主義が蔓延しても、上の命令に従っていれば事よしとなった。いずれ彼らもこのままでは生成衰滅の適用を受けてしまう。
このため、厳格な管理者の復活が求められてその予告がなされるようになり、綱紀引き締めの効果がみられるようになった。
みなさんは、救済は宇宙人がするとか、未来人がするとか、神がするとか、この世界の範囲で想像されているでしょう。ところが、そうじゃないんです。
この宇宙の外から、つまりこの朽ちかけたテーマパークの外から、救出に当たろうという動きなんです。
新時代として地球は残るだろう、この地球を残してほしい。それは化城の塔がそれに値するかどうかどうかですね。おそらくは残ります。しかし、教育用として使われるように計らわれます。
このためのアカシックレコードがすでに存在しています。誰彼が一度確定させた過去として、それは残っていて、任意の参照に供されるようになっています。またその実物をリエントラント的に参照実行して、リアルに体験してくるシステムもできています。
そうなんです。
すでにそれらは博物化されていて、研究教育用に使われているんです。その領域からのエントリーはけっこうあるはずですよ。ホピがいみじくも言った新時代の萌芽とはこのことなのです。
確定された未来を我々はいま辿っています。ガイド付で安全が保証されつつ。
29. タイムラインも量子力学的にふるまう
https://omaore.exblog.jp/1064743/
重要なのは(予言ではなく)この中の次の部分。
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 タイター氏によると、未来は「タイムライン」というものによりそれぞれ異なり タイター氏の住む未来と、現代のこの世界の延長線上にある未来は必ずしも一致 しないという。
 「予言」には、それをすると未来に大きな影響を与えすぎる場合が主に3つあり、氏の予言ではこれらに影響を与える予言は行わないとの事。
  1)確率による死を免れ得る予言。(例:自然災害や核爆発の具体的日時など。)
 2)金銭的な利益が目的の予言。(例:株価予想やスポーツ競技の結果など。)
 3)予言により現代において特定の人物の人生や人命に影響が出る場合。
 (例:未来の歴史上において、重大な出来事の直接的原因となる人物の実名など。)
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これは量子力学的にも興味深い話ですね。
時間を確定させれば、観測される現象が異なってくる。
彼のいた未来からすれば、すでに確定されたはずの歴史的事実が存在しているわけですが、彼がその現象のある時を与えた時点で、タイムラインがずれてしまい、あるべきだった未来が異なったものになっていくということでしょう。
2008年に関東大地震が起きるはずが、誰彼となく(ジュセリーノも含め)その時を事前に取り沙汰したことで、現象の起きる時間的位置がずれてしまったのです。それに加えて、個々人レベルで相当な精神的努力(改心)をしていることが、もしかしたら大地震そのものの回避された時空(タイムライン)に移行させているかもしれないのです。(伊勢女さんの予知夢公開で、まだ回避されていないことがわかったわけですが)
こうして、予知予言は与えることによって、世相を騒然とさせますが、逆に実現しないように働かせているとも言えるのです。
ジュセリーノの場合はそうでした。彼はいつも予言が外れることを願ってました。いくつも外れました。ひとつ外れれば、すでにタイムラインが変わっているわけなので、それ以降も順次外れてしまいます。その代わり、彼は自らの信用失墜という重い代償を支払ったのです。
が、タイターも言っているように、歴史的に起きることの大枠は決まっているようなので、タイムラインがずれたからといって、時期が延びただけにとどまっていることが多いかも知れません。タイターの歴史年表からすると、暴動や戦争系は5,6年以上延期されているようです。
そんなとき伊勢女さんの予知夢が、直近に迫る関東大地震の警鐘を鳴らしました。これは確たる時間として与えられていません。夢に雪が降っていたので、冬だろうと言っていた東日本大地震が春の311になってしまった。311前後には雪も降ってましたね。ほとんど誤差らしいものはありません。が、そのときは公開していなかった。
しかし、今後の予知を公開したことによって、多くの人に精神的なインパクトを与えましたし、タイムライン変更に大いに寄与しているに違いないです。
伊勢女さんもまたもしかすると、信用失墜という代償を払って、関東を助けることになるのかも知れません。
いいですか。我々の個々人が、伊勢女さんやジュセリーノを足場にして、悲惨さを回避しているということなんです。こうした道しるべがいてくれたことに感謝すべきと思います。ショックかも知れないけど、それを知ったことで回避のタイムラインへと向かったということ。手遅れのこともあるでしょうが、防災対策に気を配っただけでも、死地から生還できているかもしれないのです。
パラレルワールドとしては、2008年関東大地震の記録されたタイムラインもあったわけです。我々は固唾を呑んで見守っていたわけでした。それのいずれかの心理的行為が回避に導いたものと思います。回避するのは、我々個々の創造主なんです。今でももちろん2008年関東大地震の記録されたタイムラインは、パラレルに存在しているんですが、今の我々のタイムラインとはもう交わらないところにあるというわけです。
だからね、恐れるものは来るとか言って、現実問題からすら目を逸らして、見ない考えない思いの中から外すようなことをしていたら(Sノ家のやってるような)、タイムラインの変更もできずに慣性のまま、災害に遭ってしまうようなことになるんです。(ただし、災害に遭うにふさわしくないような心をしている人は別です。そのような人は災害に満ちた時空から自然に離れていきます。災害に遭うにふさわしいような人が、災害を甘く見ることが、自分の人生を甘く見たことになるのです)
防災とは最悪の事態を想定して対策を立てるもの。絶対に問題は起きないわとタカをくくったところをめがけて試験というものは出されるものなんです。
30. 完成しつつある新世界
マッチョマンさんの夢見は大朗報に満ちてます。
しかも夢の内容がロマンに満ちてます。
夢は実際に起きていることを象徴的に顕して、ご本人に啓示的に見せることがしばしばのようです。
数多く見なくてはと思う必要はなにもありません。
自然に必要がご本人に生じたときに、あるいは少し後に必要性が出てくるようなとき、前もって鮮明な夢が与えられるもののようですから。
https://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7283630
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昨日お話した、階層や階段、時空ピンポイントをひょいひょい移動するような「夢」ですが・・・、
昔いた会社での学びが終わり、今まであった2階に行くことが出来ない。3階から行こうとしたのですが、その階下につながる階段?が、封鎖され絨毯がひかれていました。
舞台は以前の会社の雰囲気とその人間関係のようですが、その変化の有様に憮然として「怒っている」自分がいました。
自分自身の内面の浄化や気づきに関わる夢とも思えるのですが、拡大解釈をすれば、もう霊界は封鎖(言葉が適切か?)されたのかもしれません。
数年前、たまたま参加したヘミシンク中で、地球はどうなる?というINPUT意識で見えた霊視では、
地球の周りが1つのリング、球、層?で囲われているだけでした。リングの中はクリアーな感じで、その時はいわゆる多層の観えない曇り?の世界、いわゆるフォーカスレベル、あるいは途中の寄り道世界、霊界の地上に近い層?が無くなるのだろうか・・・と感じました。
我々の潜在意識の超総合効果?による潜在世界の雛型はもうすでにこの段階で完成しているのかもしれません。
確かに新神話の考え方と同じようです。
気になるのは、その潜在層の浮上が、時間と空間の要素を、どうつなげて起きてくるかというところです。
例えば雷や地震のように、何事も気がつかない間に起きる・・という何か法則のようなものがあるんじゃないでしょうか。
現象にくぎ付けにされている時が最もあり得るときですね。
人為的、社会的、経済的な変化が、それと呼応する自然の急変起き始めているような感じです。
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会社(学びの家)とは、会社それ自体で関わっている世の全体を表しているでしょうね。その二階が閉鎖されているとは、ひとつの階層がなくなったということ。もしかして、二階には社員の査定部門があったりしませんでしたか。もしそうなら話は早い。中陰(バルドの遍歴)がなくなったと捉えられるんですがね。
地球をとりまくリングも階層の数を減らしているとの夢。地球は現実界として、取り巻きの層は幽界、霊界といったことなんでしょう。ここでもやはり、地表の直近の層がなくなっている。こちらのほうが直覚的でわかりやすいですが、往々にして建物の階層やその中のエレベーターに乗るといった夢で、間接的にわからせようとすることもあるのでしょう。
不思議ですねえ。
新神話の見届けの過程にある今、ちゃんと異界の状況を報せてくれる人が現れるんです。
私にとっては、超大シンクロになってますよ。
完成の途上にあるというマッチョマンさんの持たれた印象も、とても大事です。
まだ完成には至っていないが、その過程にあることがわかります。
いずれ各階を分け隔てていた帳はみんな下ろされて、神も人も有情も心通わせることになるでしょう。それが完成形です。
各人の意識の耐久性を見ながら進めなくてはいけないから、只今は完成に向けてゆっくりと進んでいるということでしょうか。
現実を生きる者にとって、この大峠がどう観測されるかということにも、配慮がなされるでしょう。ハードランディングでは深手の傷を負わせかねません。
意識改革と意識のソフトランディングがワンセットで行われることが、各魂のショックを最もやわらげられる方法になるでしょう。
人々は現実において、過去に蓄積された汚泥のおびただしさに当面し、反省と改心の意識的課程を踏むことになるでしょう。
そして現実側では物理的な必然として、生命に不適当な環境を呈しますから、人々は次々と倒れていくようなことになるでしょう。
ところが、倒れたはずの自分は、まるでまた朝を迎えるようにして目覚める。なんだ、死んだと思ったのは夢だったのかと、また生活が始まる。
見れば、先に死んだと思っていた家族もそこにいて溌剌としているではないか。そうか、夢だったか。変な悪夢を見たものだと、新たな生活をするうちに、夢のことなど忘れてしまう。
しかし、いつのまにか空は昼間でも群青色。前にはなかったはずのせせらぎが流れていたりしても、何の違和感もなく生きていたりします。それがまるで、ずっと以前から続いていたように。
こんなふうにタイムラインは容易に乗り移ることができるのです。顕在意識のショックはほとんどありません。
中陰という罪状吟味と判決のための界はまずなくなる。
だから、ほんらい戻るべき界に直結して、意識が継続します。
そしてそこも、いずれ段階的に解消されて、人々(有情の魂)は魂の故郷に立場を置くことになります。
そのとき、そういえば何かあったようだったな、というおぼろげな追憶から博物館に出向くこともあるでしょう。
そこで忘れたはずの過去が回想できることを知ります。そうか、こうだったんだよな、といきさつを理解します。
また、それ以外の立志伝的人物あるいはふつうの人物の歴史を知りたいときには、どうぞご覧くださいとなっていたりします。
希望者や研修者は、ガイドの付き添いで、その人物のレコード(プログラム)にエントリーして、一炊の夢を味わうことになります。
こんなふうにして、すでにみなさんもやってきている(この現代にアクセスしている)可能性があるのです。
私は、あちらでセキュリティ部門の仕事の関係で、この世の構造悪を研究しに来ています。といった自己紹介をするのも、あながち荒唐無稽ではないかも知れません。

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