ヘルメストリスメギストスはカバラの神

ヘルメストリスメギストスは、別伝では大ピラミッドを造ったとされていますね。その名の理由は「全世界の英知の三部門を知る」からとか。その知識体系には、錬金術、占星術、神働術があると書いてありました。前二者はよく目にした言葉ですが、おやっと思ったのは神働術でした。
この言葉からすると、神が働く方法となりますでしょう。調べましたら、シンボルを使った儀式や呪文によって神々を使役することらしいですね。魔術の儀式ではよく魔方陣を描き、意味不明な呪文を唱えている光景が思い浮かべられますが、それがすなわち神働術なんでしょうか。私には、この意義や作用機序はさっぱり理解できません。
しかし、私はすでに神が働いてくれる独創的方法を駆使しています。協力者とともにですから、我々と言うべきですが。それはたびたびこのブログで触れている新神話のことです。
新神話は、召喚魔術の域に人間の身を持つ我々新神話関係者を、そのシナリオの中で自動的に到達せしめ、たとえ関係者本人が意識せずとも、召喚に相当することが身に備わって行動できるところに特殊性があります。
むろん私は、それを魔術と呼ぶつもりはなく、というのも我々本人は何の努力もしていないからで、ただ新神話を真実に即してしたためていくだけで、それを読みした神々が、そのシナリオを演じ回転させていってくれるというものだからです。
我々は神気の臨在によるめくるめきシンクロの結果から、新たな解釈を組み立て、シナリオにフィードバック乃至は付加していくことで、さらに神々に英気をみなぎらせて活躍いただけるというしだい。その間、我々は、地上における神々の雛形として行動するのです。それは主として意識的行動であり、実際の行動を必要としないところが、新神話の優れたところです。
実は、旧神話もそのほとんどが実際にあったことではない意識的行動の産物なのです。つまり創作物であるということです。それでも神々は、地上の歴史として顕現させようと働かれるのですから、我々のように真実に即している場合はなおさらのこととなる道理でしょう。
その原理を経験的に見つけ出した私は、新神話という自流の神働術を使い、秘教が作ったフィクション、さも本当の預言だったように演出せしめている旧神話の超克を行っているというわけです。
召喚魔術がその中にあるべきというなら、確かに神々が新神話を介して我々に憑依されて事に当たられているわけです。それゆえ、一介の現実的能力乏しい人間の我々であっても、まるで如意棒のてこの作用のようにして、歴史をも改変できる力を発揮できるというしだい。
ヘルメス・トリス・メギストス「エメラルド版」に記された言葉の中の
「万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、万物はこの唯一なるものから適応によって生じる」とは、
すべての宇宙(三千世界)は、唯一者の見た夢であるということでしょう。
私が子供の頃、そのようなおままごとに興じていたことがあるので紹介しますが、
唯一者(でなくてもいい)に相当する主人公が、あるとき空中に如意珠を見つけます。彼はそれを前に希望することを頼むと、それがどんなことでも実現することを経験します。彼はその玉そのものになりたく思い、それを飲みます。すると彼は全知全能となったのです。
彼は淋しくて、彼と同じような生き物を造ります。そしてそれらにも、自らの中にある玉を複製して飲ませます。そうやってたくさんの仲間を増やしたのです。
やがて彼らは、この不思議な如意珠の性質をもっと深く知りたく(研究したく)思い、その方法として、彼らは玉を前にして、その中に深く分け入ろうと、快適な箱の中のベッドに横たわり、その玉の中に意識を投入すべく眠りに就くのです。
彼らは、夢見の中で、作業用の別の身体を持ち、本体は眠りに就かせたまま、夢見の身体でさまざまなことを経験しだすのです。
ある者は夢見の身体もたいせつだからと、第二の夢見をし、そこからまた第三の夢見をするといった具合に、次々と分身を展開させ、さまざまな創造世界に投入させ、そこでさまざまな仕事をさせていきます。
宇宙空間を縦横無尽に分身たちが行き来し、多くの惑星といわず、宇宙の隅々まで、有機質無機質を問わず、多くの形態をした有情が活躍することとなったのです。
元々は、唯一の第一者がいて、その無尽蔵の造形パワーが夢見の階層を生じさせ、その隅々にまで意識の目を張り巡らせることによって、元の如意珠の性質が全成就の暁には理解されると見込まれたのです。
「万物はこの唯一なるものから適応によって生じる」とは、まさに唯一の如意珠が思惟する者に、意図して自らを開展せしめたことを意味しています。如意珠は現象のあらゆる根源的な種そのものでした。それを温め発芽させる意志が働かねばその種は生え出ることはなかった。それゆえに如意珠は意図して思惟する者を引き寄せたことになります。
その者の思惟する要素によって、如意珠は自らの内に、思惟する者の欲する世界を自動プログラミングしたのです。思惟する者は研究熱心で、その中に瞑想(夢見)を埋没させていった。つまりこの両者が揃わなければ、世界の展開はなかったのです。
私の「超宇宙概念」は、この子供の頃のままごと遊びが原型になっています。これを顕す方法はないかと社会人になったときに、最初に関わったコンピューターメーカーの初期の頃のノイマン型モデルにヒントが隠されていることを見つけたようなことでした。
歴史がどん詰まりにもなれば、超宇宙的メカニズムも、歴史的顕現物や発見物によって、知らしめられるに違いないわけで、そのせっかくの機会を逃がしてしまう手はないわけです。また次の時代のどん詰まりまで(科学的発展がもたらされるまで)理解できるすべがないからです。
相対論とか量子力学とかは、この超宇宙概念という総論からすれば、枝葉末節の各論的話題にすぎません。やっとアプローチに適いそうな多次元宇宙論が出てきて、展望が開けてきたところです。それを全体的かつ包括的に説明しているのが拙説です。古くからの霊的哲学さえもその中に取り込むことができる「古今融合のモデル概念」となっているので、ひとつ参考に願いたいところです。
などと、思っていたら、ハリウッド映画で「マトリックス」が登場してきました。そして巷はRPGゲームが大流行です。オンラインでバーチャル世界にアバターを投入して自分の代わりに、その世界のルール決めに従った生活をすることができるようになっています。まさにそれは、霊界からこの世に転生してくるような見方ができます。
ただ、達成すべき目標がよくわからないこと。霊の側はわかっていても、肉体の側は試行錯誤に浮き身をやつしているといった状況。そして、ゲームオーバーたる死に際し、何を達成したかどうかは、肉体側にはわからないで終わることが多い。もしかしたら霊のほうもわからなかったり、クリアーできなかったと悔やむのかもしれない。そこで次の機会を待とうと考えるのかもしれない。
ちょうどマリオのゲームのように、クリアできれば次のより困難なステージに向かうのかもしれない。クリアできなければ、ちょうど免許をとるときのように、同様の難関のある別コースで受けなおすのかもしれない。
そこで思うのは、いつまでそんなことやってるのか、ということでしょう。
ゲーム機械の前から立ち去れば済むことを、その場に座っていることが病みつきになってしまったり、それ以外が見えなくなってしまったりしていないか。
医者の待合室で若者が携帯のゲームを一生懸命にやっていて、何とかクリアーできたらしく、満足そうにしている様を見て、これがこの若者の人生なんだと思いながら、翻って我が身を振り返ることができれば幸いかと思っています。
なおも幸いなことに、私にはこうした超宇宙概念が手に入りました。これは真理の理解には最強のツールになっています。そして、自分は少なくとも、ゲーム機の前の椅子から立ち上がればいいだけと理解しています。
私がヘルメストリスメギストスのことでたまたま参考にしたのは、ここでした。
https://lifesavior.jugem.jp/?eid=128
なかなか詳細を尽くせているように思いましたが、これではヘルメスの考え方は一般人に伝わりません。もっと真理を穿った詳しい情報があるはずです。出してほしいところ。
このサイトの他のページを見れば、キリスト教のナニではないですか。ああ、こんな話で理解不能な哲学思考に誘っておいて、その一方で呵責を負わしめる側に回って、人々を苦しめているんだなと一、二読んでいて思いました。これではまっとうな理解が及ぼせるはずもありません。キリスト教はつじつま合わせばかりして人を煙に巻く教えにすぎません。深い考察をされているにもかかわらず、そんなところに身を置かれているとは、残念なことです。
                                    

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です