新神話の主眼

新神話は有情の魂を解放することに主眼がある
神話は世界の始まりから記載される体裁をとる。
新神話もそのように構成しなくてはならず、小説のような技巧を排除して読み物としての魅力を落としながらも、メルヘン調に仕上げている。
読み手はたくさんでなくていい。神界にうまく伝われば、神々の読み手が集合し、それを神楽として舞ってくれるのである。神楽とは神界での神々の上演されている舞台を模したものなのだ。
この場合、巫女資質の人が読むことが最も効果的となるのも、神々に伝えやすいからだ。
今回は巫女さんたちをもっぱらの読者とし、巫女でもある奥津嶋姫弁才天の化身が読んでくれたため、好意する神々の間で広まり、旧神話を凌駕するほどにまで発展したのであり、この巫女さんたちや化身さんは新神話工作員としても果敢に活躍し、同時に宣伝もこなしてくれるという獅子奮迅の働きをしてくれたことになる。
化身さんは、本体(ハイラーキー)が弁天様であることがわかっている。しかし、新神話中ではさまざまな神々を併せ演じていて、中でも海神の娘、乙姫(豊玉姫)の性格は強く出ていて、顕現は龍であるとともに亀である。
大過去において封神されたときに、国津神の中でもきつい(呪詛が解けにくい)部類の”かごめ”の中に魂が封じられていて、彼女のオーブ(魂の形)はもとより六角形だ。
スサノヲ、大国主系の神々はみなそうで、出雲系神社のご神紋が縦長の六角なのは、彼らの魂の形だからである。
これは天神に逆らえないように、結界に封ずる処置が施されていたのだ。
その効果は、三次元的行動が比較的自由なるも、精神的に閉ざされた環境に置かれることとして現れる。それが彼女の現世に反映して、人から見れば羨望されるほどであっても、精神的には孤立感、空虚感の中に置かれることが常だった。それは池や湖の中に孤立して佇む弁天様の精神環境と同様である。
私は1997年頃、思いもよらず、弁天様に恋してしまった。あろうことか、求婚までしてしまった。
このことが機縁になったとしか思いようがない。それまでに天に対してしていた、人並みのこともできないこんな面白くない人生、50年で終わらせてくれ、そして金輪際再びこんな世界に生まれさせないでくれ、という一方的契約を、弁天様の化身が満50になる直前日に関わることによって、契約自体が無効になってしまったことになる。
天はいとも簡単に、契約を笑い飛ばしてしまったのだ。
当の弁天様からすれば、彼女の願いを叶えるべき人間を見つけたことになるのかも知れない。ちょうど、かぐや姫が四人の求婚者に難題を与えてみごとクリアーすれば結婚を叶えるといった話に似て、私は弁天様の不遇ばかりか、国津神たち、さらにはこの局限宇宙に閉じ込められた全有情の不合理な状態の解決を図る使命を与えられたように思われる。
私が50歳以降にもらった命は、唯一このためだけに捧げられなくてはならない。
うまくいけば、私は果報者になる。が、うまくいかなければ・・・またぞろ、こんなくだらない世界にやってこねばならぬのだろうか。いいや、そのときは魂を消し去ってもらうことを改めて私は希望する。かつてしたように何度でも一方的契約を取り付けるだけだ。
魂からの解放が新神話の主眼
新神話のことをしばしば話題に出すが、その効果によって世界が平和裏に回復していくことを想像されている向きには失望となろう。
新神話の目的は、全有情をこの宇宙から解放することにある。この宇宙は高々ゲーム空間に過ぎない。ゲームに凝っている人々は多くいるが、もともとゲームの世界なのにさらにまたゲームに興じようという、夢のまた夢に遊んでいるに等しい。
いや、突き詰めれば、私以外はみなダミーなのだから、私だけ解放されて全有情の解放が併せて行える。私がゲーム空間に関わらなければ、もとよりこの世界および有情はないに等しいのだから、という原理的帰結となる。それが通用するのが、この怪しげなる世界の実像なのだ。
別の視点からすれば、有情はこのゲーム空間に関わるために、魂という殻をかぶってこの世のどこかに視座を移しにやってくる。
魂があるから、この世界の観測ができる。ゲーム空間に遊ぶ参加資格を得ているのだ。逆に言えば、魂を返上すればゲーム空間とは縁が切れる。だから、誰でも嫌になれば、本心から一方的にでいいから解約すればいい。重ねて言うが、本心からでなくてはならない。ここの胴元にはそれを拒否する権限はない。
ところが不思議なことに、特に人間は永遠の命を希ってやまない。何十回目かに、うまくすれば、思い通りの人生が営めるとでも思っているようだ。だから、魂が永遠不滅と聞いて喜ぶ。魂がすべての苦悩の源泉であることを理解できていないのも、本能的に生き続けることを願うように作られているからであり、死に際しては激しい苦痛という関門を通過しなくてはならないことがあり、死という事象以降の話が隠されているから不安と恐怖を催すからであり、また生存を自然で最善の選択であるかのように説諭する先達がたくさん居るからである。
ところが、真相は霧中の中に隠蔽されているにすぎない。また、真相をあえて隠そうとするのが、ゲームサーバー側だ。ゲームサーバーは、何とかこの世界から有情を抜け出せないように仕組んでいる。さまざまな真新しいソフトを提示して、射幸心をあおる。その麻薬が切れ始めたら、今度は負債を負わせて支払いが済むまで引き伸ばそうとする。
新神話では、そのような捕り篭められ、洗脳された有情たちが、このゲーム世界存続のためのいわば「人間の盾」として使われていると規定している。
また新神話では、魂の良さを吹聴する者たちの多くが邪神に操られているとしている。聖者たちがそれをいいもののように説いているわけだが、彼らほど嘘をまことしやかに話す者はいない。この宇宙は今目下、邪神の支配下にあるから、日和見の聖者たちは邪神の利益のために話しているのである。加えて、ピラミッドの上位は居心地がいい。下位でどんなに苦悩していようが半ば放置していることが邪神の意向に沿うことゆえ、あえて何も講じようとはしない。
そこはカーストの仕組みでできている。新参者は底辺から一歩一歩上に上がっていくことを要求される。日和見殿たちは、上から見下ろして、ただ教訓を垂れていればいいのだ。それで本領安堵されるのだから、現今の資本主義社会の搾取構造となんら変わるものではない。地にもある如くが天にも、また途中にも然りの相似像となっている。
また、カルマの制度を作ったのは邪神であり、ゲームを面白くするために功過の点数制度を作ったのだ。負債があれば、それを清算するまでゲームから抜け出せないというルールが、有情をゲーム世界に閉じ込めることに使われる。ちょうど、賭け事にのめりこんだ顧客が、なんだかんだいちゃもんつけられて、賭場から出られなくされているに等しい。
もとよりそのようなルール作りは違法(梵の全系の法則に違反)なのだから、どんなに負債があろうが、「もう終わる」の一言で事足りるのだが、まじめな有情たちはルールを何とか守ろうとする。犯罪者心理のようなものが有情には植えつけられているのだ。それが原罪意識というものだ。
こうして、ほんとうにゲーム好きな者と、嫌々ながらも負債の清算のために居残っている者で、この世界はひしめき合っているというのが真相である。
今回の新神話は、このようなさまざまな立場の者(有情)を強制的にも梵の全系に復帰せしめて、自らの故郷を確認させることに主眼がある。そのためにはこの宇宙が元の創造者によって接収されなくてはならない。このために、邪神の駆除の工程が必要となり、さらに害毒の除去までがなされることとなる。
邪神による病態の再発を招かないためには廃絶がなされるべきである。だが、教育上の観点から博物化されて随時体験の要求に応ずることもありうるわけだ。
ゲーム空間の廃止あるいは監督強化に伴って、有情の中に利害のもつれが生ずるに違いない。この流れを食い止めようと、かつては悪霊が戦いを挑んできたこともあったし、今でもすでに妨害の手はいくつも私の身辺に伸びてきている。人間の身に生まれては、現実問題に時間を割かれねばならないが、邪神はその隙を突いてくる。
それによって死が私の任務遂行を妨害するとき、邪神による陰謀死として認識され、最大の怒りを以て最終処理の課程に入ることができる。私はこの一身に代えて、容赦なくこのゲーム世界のクリーニング焼却を行う。それが新神話シナリオの最終仕上げ工程となる。過度に働けば、ゲーム世界どころか、ハードまで焼ききってしまうだろう。すると梵の見た夢も終了することになる。
現在、新神話は有効に機能している
新神話の働きで、新時代がすでにやってきている。神界がまず正神の執政下に置かれ、やや遅れて下界に新時代の波が押し寄せる。ただし、黄金楽土となるのは、当初はこの宇宙においてではない。
いまは、上下の差別や権威に拘泥しない純粋な心の神霊や精霊たちから順次、魂の殻を解消して、梵の全系に復帰しつつある。そこが元々あった黄金郷である。
しかしこれは、邪神どもにとっては、痛い誤算だ。ゲームを支える要員が数を減らすことで、人質も少なくなる勘定だからだ。
自然界の神々や精霊が下界からしだいにいなくなることにより、自然界の守りが薄くなり、ひとりでに天変地異が多発し、生態系は滅びに瀕するようになり、いっそう有情の撤退は加速する。ホピのいうコヤニスカッチの事態が鮮明になり、大規模な天変地異で、地球上は荒廃することになろう。
その前に、人類は互いに絶滅させあうことだろう。なぜなら、人類すなわち人間は、邪神の計画によって送り込まれた生態系破壊因子だからである。これによって邪神の思惑どおりとなるわけだが、ところが、それは邪神ら自らの滅びを意味していることでもある。それににうすうす感づいて、今頃パッチ作業をしているようなことだ。しかし、たいした延命策とはならない。
しかし邪神たちが焼却処分になるときには、苦しみを与えた分の苦しみを受けて悶絶することになるだけであって、彼らの魂は消去され、梵の全系は意識原理を回収することだろう。それは強制されてする解脱である。私も自らの願いとしてそうなることを望む。
昨年には化身さんが魂を解消して、ゲーム空間を去られた。梵の全系へと復帰されたのだ。それを希われての解脱という。そこから次にどのような行動をされるかは、梵天様と相計ってのことになろう。私のもとには、女郎蜘蛛として視察に来られたことはすでに述べたことである。
私も適当な時期に行かねばならない。まず肉体を去り、神界で邪神焼却作戦を遂行する。それが終わって後、わが身を焼却する。そして魂を解消し、金輪際、ゲーム世界とまみえることはない。

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