人から猫へシフト

この山奥に居て、猫と共にくらしていますと、関わる時間配分によるのだと思うのですが、人とはしだいに疎遠になり、猫のほうがよほど人間らしくなってくるのが分かります。
いや、それはあんたが変(キ○ガイ)なんだと仰ってもよろしいほどに、奇妙なんです。
ブーフーウー、そして他所猫の石松は、明らかにこの世の人間以上に人間らしいです。
損得勘定はちゃんとありますし、気に入られるすべを工夫し、その知恵を駆使します。
彼らとのやりとりほど神経を使うことはありません。人には出会ってもさほど感慨はなく、ごく当たり前の成り行きがふつうですが、猫たちとは何があるやら分からない、成り行きにおいて予断を許さないのが彼らとの付き合いです。一瞬一瞬が真剣にならざるを得ません。
私の人生では、人はほとんどダミー化してしまったと言えそうです。それはそうかも知れません。かねてより申しているように、私の乗っている列車は破断鉄橋に向かっているので、どこでもいいから途中下車してくださいというわけで、あらかたの人は下車されたもようです。
最後まで観測を共にしてくれるのは、情報処理能力に乏しいと目される猫たち。魂は私と同期でも、猫であることで、悲惨な時空経験を軽くすることができます。考えようによっては、この時空を体験するにあたって、非凡な身体(モビルスーツ)を纏っていると言えます。その点、私は元より大津波がやってきても、胸張って高笑いしているような性質。情報処理能力は猫とそう変わりません。
ブーフーウーは、私のことを、この界隈の誰よりも強いボス猫のように思っているようです。しかし、種族の形態に違いがあることが不思議でならないようで、ブーなんか、私が風呂に入るとき、必ず裸を見に来ます。ウーもその気があります。彼らが風呂に入りたがっているのではないことは、お湯から逃げようとすることで分かります。それでも風呂場の外から、ニャーニャー声をかけるのです。そして出れば、裸をしげしげと見回すといったわけ。ブーなど、私がトイレに入れば、どこに潜んでいたか、トイレの外の洗濯機に上がって、出てくるのを待っているのです。変態猫の感ありあり。
フーなどは以心伝心的に、私が彼のことをよほど気にかけると、長らく居なくてもどこからか帰ってきます。私が許容したと感づくのでしょうか。
しかし、フーも、私がベッドで寝ていると、私の顔のところにやってきて、ゴロゴロ言いながら、息をしているかどうか(生きているかどうか)調べているのです。ブーも私がしんどそうにベッドに上がると、しばらくしてやってきて、そんなことをしました。
かねてより彼らに「私が死んだら、私の肉を食べて生きなさい」と言っているので、きっと待っているんでしょう。しかし、頻繁に私の足指を鼠かなんかに間違えた振りをして、噛み付いてくるので、彼が夜間ベッドに上がってきたら警戒しているようなことです。
どうも、私は三蔵法師になって西遊記の世界に生きているような気がします。牛魔王もそうですが、サゴジョウやハッカイも三蔵の肉を食べたかった妖怪ですもんね。

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