人のままでは世は改変できぬ

ここのところの寒さ、ちっとも地球温暖化など起きてないという向きから、CO2原因説の糾弾に至るまで、世の先覚的学説の間違いを質そうという動きが出ています。
もともと学説などというものは、正しかったためしなどなく、それをもとににわか技術化して製品化するものですから、多大な問題を世界に撒き散らすに至ったわけです。
人間というものは不完全だからという以前の問題です。そう分かっているなら、なんで不完全を承知で突き進むの?となりましょう。要は、自分さえ良ければいいという発想しか学者にはなかったということなんです。見て御覧なさい。われもわれもと有名人になりたがる手合いばかり。それがまた世を牛耳る叡智人たちのカモ(将棋のコマ)になって、一般庶民をたきつける。庶民はいっこうに真実も本質も知らされずに、わびしい奉仕生活だけさせられて、これが人生だよとぼやきながら、やっと解放されていく(死ぬ)んです。
温暖化なのか寒冷化なのかを云々する説というのも、人間が考えることゆえ、全部間違いになるでしょう。それをするくらいなら、ホピが言っていた”コヤニスカッチ”という話のほうが説得力があっていいです。この意味は、世界を動かしている力が弱って、ちょうど地球ゴマに回転力がなくなったときのように、両極端に振れるという現象が起きてくるというもので、地球それ自体を生命体として捉えたとき理解されてくることなのです。生命体の自己防御反応とでもいいますか。その結果どうなるか。地球ゴマがひっくり返るようなことになるというわけです。ボールシフトが近いという意味に捉えてもいいでしょう。軽く済めば、文明の土台がひっくり返る(最も軽くて資本主義経済基盤が覆る)ようなことで、重ければ地殻大変動で大陸の海没まで起きてしまい、生態系の大ピンチを迎えるところまで行くことになる。
ホピははるかに大局観に立っていたんです。アリンコ人類の蠢きを眺める立場にいたんです。神と共にあった時間の長い部族ですから。過去に遡るほど、そうした種族の息遣いが聞こえてくるようです。縄文人もそうだったでしょう。彼らのいた時間は、たかだか2000年の歴史(文明と称している)時代よりもはるかに長いんです。その我々が賞賛する有史文明とやらは、虚飾に満ちてはるかに短命、今まさに滅びようとしているわけです。
神と共にある、とは、外にある神を崇拝していたという意味ではありません。それなら、あなたがたの宗教指導者の神々しく見える人でも、神に崇めておればいいでしょう。たいがいは、お金と人生時間を奪われて、後悔している人ばかりですが。
人は、もし自意識を持っていると自覚できる人は、彼自身が創造主なのです。自意識なしで人としての人生を生きている人もいるでしょう。それはプログラム上のダミーキャラクターなんです。その見分けなどつきませんから、みんな神の子仏の子とみなすにしくはなしなんです。
創造主なら、自ら想起するに従い生きることになります。想起しだいでは、神にも奴隷にも演じ分けることができるのです。
私は出自が神かどうかは分かりません。しかし、神を身に帯びて行動はできます。それを私流に表現して、”神の雛形を演ずる”と言います。それは神話のルールに則りながら物語的に推移しますから、現象上に次に起きてくることがある程度推測でき、分からずに起きたときも、神話のどのあたりが起きているか判断がつくのです。
そして、神話がたった神ひとりで演じられるわけではないことから、神の雛形に、私と神話を相互に演じようと、好適な人物がまるであてがわれるようにして登場してくるのです。これは普通の考え方からすれば、不思議であり、超常現象的であると思われるに違いないです。
人がいくらごまんと寄り集まっても、世の改変などできないでしょう。しかし、神を身に帯びた者ならひとり思惟することで、時空が磁化されたようになって、思惟の通り道にくっついてきます。こうやって、私はもっと早期に絶望的状況に至っていたはずの世を、ここまで導いてきたのです。第二次関東大震災もまだないでしょ。第三次大戦も。
私はこのためにたくさんの神々を身に帯びました。たった一人の神だけでは、古来からある神話の断片しか演じられません。だから、リンクさせなさいと言わんばかりの、身の回りの神話的兆候が現れたら、私の魔法起動ルールに従って、神の属性をためらいなく採り入れて、自分の周りに磁場を強化していきます。すると、やがて神話物語から導かれる事象が起きてくるようになるのです。
雛形になるのに、環境因子的に恵まれていました。まず母の出生時点が驚異的で、毘沙門天の二十日に生まれるとの夢のお告げ、誕生後半年目と三年目に、それぞれ別の修験者が祖母を訪ねて、もし子供が男なら位人身を極めると告げて去ったこと、数えで七歳のときに弟と共に伝説上の”ぬえ”(人面獣身(スフィンクス))と長時間対峙していたこと。
毘沙門天の威光を受け、男なら天下取りになるという宿命の魂が、女としての母としての、そして能力的に閉ざされた人生を選んでやってきた。この伝説は私の小さい頃から、すさまじいジレンマを生じさせてきたのです。
私に関する伝説は、小学生のときから今まで両掌ともますかけで中央に明瞭な十字があること(家康も両掌ますかけだったらしい)、祖母が私をよく当たるという占い師二箇所に見せて、この子は松下幸之助、この子はいちばんいい松の木に留まる鶴だ、一生食いはぐれることはない、と言われたことです。
しかし私は、卑怯で弱っちい少年期~壮年期を送りました。とても他人に及ぶべくもない人生でした。ちょうどいま、三匹の子猫のうち、ブーを見るような感じでした。空を飛ぶような空想に浸り、他の二匹がスポーツに打ち込んでいるときに、病弱のため傍らで見学しているような一匹でした。食の好き嫌いがあり、ブーほどの不敬さを露骨にせずとも親を困らせたであろうと思います。
拾いあげられたのは、ちょうど満50歳になる直前日でした。身内さんが吉良邸に討ち入りして、この首(こうべ)をあげてくれたのです。
そして、イナンナが現れたとき、移情閣に絡む大きなシンクロにより、初めて神を身に帯びたのです。この神とは、キンイロタイシ。聖徳太子の八角夢殿に現れた金人と同定され、毘沙門天のことです。母に縁のある毘沙門天です。この経緯をかの坂本さんに一部始終話しましたら、彼は密教に精通した人で、移情閣の三階の主は、毘沙門天、大魔神、サナートクマラ、金星王、大天狗、ルシファー、神すらもおそれおののく存在やで、という神だったわけです。
移情閣での会見後、ちょうど9日目に鳥取の日野で大地震。おりしもひのととりの日で、旧暦の九月九日。火の鳥復活のステイタスとしました。
私はイナンナから、国祖神が邪神によって暗殺され、封印されていることを告げられ、火の鳥による国祖神の救出行動をとりました。でなくては、世界はいつまでも暗黒だからです。イナンナは、我々は夜明けの旅人だと言いました。
いり豆から花が咲くときまで出られぬという邪神側の呪詛は、火の鳥というマグマからも甦る神獣によって、いとも簡単にクリアーされてしまうのです。
現在、国祖神は甦られ、然るべきところから世に影響されています。
弥勒降臨も国祖神の協力のもとなされねばなりませんが、その通り、順序だてて事は運びました。身内さんが豊玉姫の雛形となり、ホヲリノミコトと交わって幾多の神々を生んだ中に、弥勒がいました。身内さん自身、自然に導かれるようにして高野山に参拝し、お蔭をもらって帰ってきた中に、弥勒降臨のステイタスがもたらされていたのです。その後、たくさんの神霊の親としての自覚とともに、古事記にあるように、海原に帰っていかれました。
国祖神も弥勒も異界で働く神です。現実世界では、現(うつ)しき青人草である人が雛形として、あるいは神の命を帯びて動きます。オバマが弥勒である可能性はありますが、ただひとりではありません。草の根の大衆運動にも含まれていて、むしろそのほうが弥勒の主体です。奇跡的なほどの集中力で、自公政権を終わらせた大衆の力にも現れているでしょう。また弥勒は、決して吉のみではない側面を持ちます。吉凶併せ持つ現れ方をします。破壊の面も持ちますから、手放しで喜んでいたら、急ブレーキがかかったときに、将棋倒しになるでしょう。ちゃんと、吊り革につかまっていなくてはなりません。
邪神とその手になる構築物は一掃されると思います。このため人類にとって、決して喜ばしい事態として現れてくるわけではないということ。お金など、命とは別の錯誤した価値のものは、いっさいの価値をなくすという事態になることはむろん、それを支えてきた人も構築物も(概念も建物も)、唾棄されることを覚悟すべきでしょう。
その過渡期にどう生き延びるか、が各人に問われるでしょう。
*オバマを弥勒とした浅知恵を訂正しなくてはならないみたいです。朝令暮改の奥人です。
オバマ政権は働く人々から、大恐慌以来の最悪の経済破綻を引き起こした責任者らに富の移転を進めている。就任演説から既に1年近くなるオバマ大統領は、金融オリガリヒ(寡頭勢力)の道具以外の何者でもないことを示した。
朝令暮改こそが浅知恵だったと願いたいところ。


上の記事原稿を書いているときに、ブーがおかしくなってしまいました。
両後足ともに機能不全になっていたのです。
乱暴者たちと格闘してそうなったのかどうかは分かりません。
少なくともベッドの上でなっていたというわけです。三匹とも上げてましたから。
だから、砂場で糞尿もできません。痛みを訴えながら寝転がってしまうからです。
食欲はまだ旺盛ですが、排泄がないので、そのうちやばくなるでしょう。
そんなことを考えながら、ほとんど眠れぬ夜を明かしました。
その中で、つらつら思考していました。
纏足ということを。ブーはちょうど纏足を施された猫のような感じです。
移情閣の主は中国人華僑で、奥さんに纏足をさせておったそうです。
気ーになる移情閣は、昔は三階全部の窓が閉じられ、部外者の観覧は不可能でした。
今は一、二階の観覧ができます。が、三階は立ち入り禁止で、窓も四方すべて閉じられて、室内は真っ暗です。
問題なのはこの三階です。キンイロタイシは三階から下りてきたというのですから。
二階は龍の間、三階は鳳の間であることは、天井の彫り物が示しています。
鳳を象徴とするものが龍を象徴とするものに逢いに来た。
鳳龍相揃う。鶴亀すべる。
こういった象徴的事象があった、そのちょうど九日目の旧暦九月九日ひのととりの日に鳥取西部大地震。
時悟り蓬莱出でて鶴亀は此地に渾りて瑞い世開く
道別きて集い渾りし鶴亀に舞子が浜に火の鳥の発つ
とことわの黄金楽土招かんと蓬莱出でて鶴亀の舞う
と、このようなしだいとなったわけですが、まあこの時点で毘沙門天の雛形をひとつ身に帯びたことになります。
また、鳳、鶴という属性も。かたや相方は、御伽草子・毘沙門の本地にいう吉祥天女、龍、亀という属性です。これがさらに、浦島と乙姫、ホオリノミコト(山幸)と豊玉姫という拡張がみられたわけです。
動物病院に行ってみてもらいましたら、どうやら栄養の偏り、タウリン不足による全身イタイイタイ病のようなことだったようです。とても危険な状態でした。美食要求に応じてきたことが裏目になりました。前足すらも丸まって動かせない様子だったのです。とんだ纏足の連想となりました。
移情閣の主は中国の華僑でメーソンリーです。今ではちょっとトップクラスの経営者ならたいがいそうでしようが、この移情閣の三階は家具などのレイアウトがメーソンの儀式の間に似て、結社の密儀の場であった関係から、おそらく非公開なのでしょう。演奏会のときに公開されたとはありますが、なるほどしかしの感はあります。
解体されて移築されたわけですが、今でもまるで纏足されたようにしてたくさんの不成仏霊が住み着いていて、強い磁場を放っています。孫文の銅像は霊体に食いつかれてボロボロになっています。
そこでもしメーソンがルシファー信仰をしていたとするなら、符合がとれなくもないです。三階から下りてきたのは、キンイロタイシ=ルシファーなのですから。
しかし、ルシファーは怒り心頭でしょう。なぜなら、彼はイタリア先住民の信仰していた太陽神なんですから。それをキリスト教が彼を悪魔へと貶めて、それをまた悪魔組織がアンチキリストの印として信仰しているわけなんで、善良なルシファー本人は、二重の誤解の中に埋設されていることになりますから。そのキリスト教もまた、イエスなどという非実在に近い存在を救世主らしく偽装して悪魔組織が仕立てたものなので、ルシファーたるやめっちゃくちゃに扱われていると言ってもいいでしょう。
鳳の間の太陽神ルシファーは、エジプトの太陽神ホルス(鷹がシンボル)とも比定できます。いちばん初源的救世主ホルスが、どこの馬の骨か知れないイエスに取って代わられて、面白いはずもないでしょう。そして悪魔組織だけは、エジプトとバビロニアの流れを汲むカバラを奉じているのですから、借りものの上に領有主張して簒奪した泥棒連中にすぎないことが明白なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。