生き物の不思議(第n+3)

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[猫、河童、ネズミ] 
子猫が亡くなってからも、猫のえさはお水とともに、中くらいのディッシュ皿に入れて、猫がお産した近くに、毎朝並べている。
すると昼のうちに、えさのほうは皿の底がわずかに見えるくらいまで食べられていることが常になった。
子猫亡き後の当初来ていたのはあの母猫のようだったが、そのうち三度ばかり目撃したのは、茶色と黒の二色をした大型の猫だった。ベランダの階段の上から見ると、さささっと逃げてしまう。
三度目に下に降りると、敷地の入り口の階段の上で座って、私のほうを見ていた。その目つきはどこかで見たことのある、座った目をしていた。そう。伏儀神農神の掛け軸の絵。伏儀神農神は猫耳で、私がこの猫に見た二色よりは色あせて描かれているが、まあ似ている。ただ、この猫のほうは、頭は禿げていない。この神の若い頃を髣髴とはさせた。とにかく、その目と目が合った対面以来、その猫が来ているかどうかは、目撃していないので分からない。
その間、何が来て食べているのか分からないわけだ。そして、翌朝になると、深夜のうちにやはり何物かが来て食べているのだろう、初めのころは、少し残ったままで置かれ、中には赤い小さい蟻が群がっていた。
いわゆる、これが猫別けというゆえんの食べ方だったのだろう。
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ところが最近は、朝になると完全に皿の中がきれいになっているのだ。細かいくずまで舐め取って、乾いた状態になった様は、まるで洗って置かれてあるように思えるほどだ。蟻一匹入っていない。これは果たして猫が食べたのか? 猫別けしないエコで食事マナーのある、例外的なお行儀猫でもいるのだろうか。それが今では毎日のことになっている。
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いや、私はそこで想う。ちょうどこの庵は宇宙人交流基地としようと思っていたわけで、これは縁の下の異界に住み着いた河童型宇宙人が食べたに違いないと。
というのも、家の下のどこかから、しばしば、ボコッという音がするからだ。つまり、どろっとした沼から立ち昇るあぶくの音。これはあの「ふにゃふにゃ」がしなくなってからも、必ずしている。しかし、家の下は乾燥していて、沼などはない。が、目に見えないだけ。異界が重なるように存在していて、彼らはここをアザーズとして過ごしているようなのだ。
沼と池の違いは何?  それは河童がいるかいないかでしょ。なんてのがあった。 なるほど、ということは、これは河童だと。
こういう想像過程によると読者に分かれば、なんと言う発想の単純さかと思われるかもしれないが、これが魔法の世界の入り口のようになっているわけなので、ご了承願いたい。
私はすでに、河童という種類の宇宙人と、この家の上下で棲み分けているのである。
私は、彼らに食事を運んでいる。猫や河童、その他に対して。ほぼ一定量しか与えていないが、それでもよしとして、ここの生態系の秩序は維持されている。
ベランダの外とは、下に何センチかの隙間を空けている(防虫網はフリーに垂らしているが)扉だけなのに、中にむき出しの芋などがネズミにかじられていたこともない。ネズミは土地にいくつもの小動物が掘ったような穴があって、そこにいるだろうし、家の天井にも住み着いていたりするのに、食物が荒らされたことは一度もないのだ。
そして、もうひとつ不思議なのは、子猫のたまろの墓が家の下の物置の土地に、簡単に材木のきれで作って置いてあるのだが、それはほとんど埋まってはいない。ちょこ置きなのだ。そこに二週間ほどの間、ミルクを皿に入れて供えていた。それが誰かによって飲まれて空っぽだったことは一度だけあったが、その他の日は、そのままになっていた。しかも、墓が倒れていたことなど、まだ一度もない。
こうやって、人間の形をした妖怪と、彼ら生き物たち相互の間には、何言わずとも分かる暗黙の秩序と、立場の尊重が維持されているのである。
[ミツバチ、アブ、蛾、セミ、アリ]
かつて愛嬌をふりまいてくれたニホンミツバチがいったんまったくいなくなり、このブログで特攻隊出撃さ命じたゆえかと猛省したわけであった。その後、一匹のミツバチが屋上に現れ、私がそこに出て何かしようとすると、どこからかやってきて、私目指して突進してくるのである。初めは、ミツバチの再登場に、私もうれしくて、おおどうだったと、歓迎しようとしたのだが、ミツバチは旋回して、私の服に停まろうとするのだ。
私は、まさか刺そうとしてるのではあるまいなと、逃げて入った。そしてまた出ると、今度も突進してくる。それも前よりいらだっているようで、ぶんぶんやってくる。ここでまた逃げ帰る。そんなことを何度も、その一日はした。
その後やつてきたミツバチは、また以前のように、愛らしいしぐさで、またとんちんかんな場所に止まっては、えさ探しのようなことをしている。屋上に置いたプランターの土の上に止まってミネラル補給でもしているのだろうか。
私には、彼らが姿を再び見せて、喜ばせてくれているように思えた。そのように出てきたのは三日ほど続いた。
アブは羽音のするほどのものは大型以外にはいなかったが、小型アブでも、あの「ふにゃふにゃ」音そっくりの羽音をさせるアブが出てきた。しかし、家の中に、壁の中にも冷凍庫の裏にも飼っていたりはしない。
そこで、これがもし河童と並んで出てきた宇宙人の種族なら、それは古事記に書かれるスクナビコナのことではないかと思ったのだ。スクナビコナは、日虫の皮をまとい、背丈は蛾ほどに小さい。日の光を好む昼好性の羽虫のことである。ミツバチ、アブ、セミ、蛾などはそれだ。
セミにも、私になつくようにやってくるものもいる。蛾もそうである。
古事記の同じ段に、タニグクという河童の種族が出てくる。そしてそこには、足は歩かないが天下のことはことごとく知っているクエビコという老境の賢者も出てくる。私は古事記の解釈本を出そうとするとき、山田クエビコというペンネームにしようと思っていた。ところが、その名前をすでに使った古事記研究家がいて、私は先を越されたと、じだんだふんだことがあるのだ。それはもう三十年も前のことだ。クエビコとは今に言う山田のソホドという者なりと古事記には書かれる。これは山田の案山子のこと。まさに私そのものだ。今の境涯を言い当てて十二分である。
なんとのどかで鄙びた宇宙人との交流時代があったことか。古事記はその辺のことも語っていた。
と、どうだ。私の家の周りは、すでに宇宙人集落のようではないか。いずれやってくる、新時代の宇宙交流の土台作りをいま開始しているところである。
[ムカデ、ゲジ、蚊、ノミ、ダニ]
昼好性の虫ばかりいるわけではない。
この庵に越してきて、最初に面会したのはムカデだった。それはヤバイと思うから、殺虫剤の犠牲になったが、たえずおとなしかった。対面すると、ムカデは止まってじっとしてるのだ。だから、見つけしだい殺すのは簡単だった。しかし、それもかわいそうなものだ。家の隙間という隙間をテープで塞いで、無益な殺生をやめたのだった。そんなとき、大きなゲジが侵入していたりした。いったいどこから?
この原因は、誰かがゲジに化身したというのが真相だったようだ。つまり、テレポート。
次に蚊であるが、これも自然の蚊と、化身の蚊があって、後者のほうは、殺しても殺しても、密閉しているはずの部屋から湧き出し、一晩で十匹を数えたりもした。これもテレポート。
さて、だれの化身あろう。スクナビコナ星人なのである。この宇宙人がどの虫の皮を被ってくるかは、いろいろなのだ。偵察や採取のときは俊敏なアブになったり、見学のときは、昼間ではハチやセミ、夜間は蛾や蚊として現れる。たとえこの庵付近に住んだとしても、やはり異界が本拠である。そこから無難な自然と調和した衣を着てやってくるわけだ。
困ったのは、蚊、ノミ、ダニである。ヤブ蚊は獰猛なことに、皮膚に止まれば、体が多少動いていても、針を刺して血を吸った。ノミは足回りを、何箇所も刺しまくった。
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こうして、いかに秩序ありといえども、自然界の中に混ぜられた毒気によって、楽園には程遠い環境になってしまうというわけだ。毒気を混ぜた者。それは邪神に他ならない。
彼らは配下に命じて、種族の遺伝子に敵対的本能や肉捕食など手間と苦難を生じる種を植え付けた。いまやそれを食物連鎖とかで、生態系の輪の中になくてはならないものとして了解されているが、それは地球という生命育む土壌の寛容さがずいぶんと努力した結果である。それも、邪神の意図で次々と破壊されている。獰猛な外来種が、局限された生態系の調和を破って投入されている。かつては公害だったが、今は電磁波の垂れ流しであらゆる生態系が狂わされようとしている。このようなことは、またも人類のみが生態系から異端視される原因となる。
クロノスが原人や原生命を生み出した頃は、どこにも悪意や害意はなかった。生命の黄金時代を長く謳歌していた。そのふるさとの光景が、いまどの生き物の記憶からも消し去られようとしている。
それはすべて地球を、邪神とその手下どもの見世物小屋にしたいがゆえの策謀の結果である。彼らは今まで高みの見物をして高笑いしていたのだ。
そのような邪神どもと配下は、このたび粛清されていく。ただ残された害毒だけは種の中に残存するため、新時代への移行期にそのような毒気の除去も必要になってくることだろう。それらの毒気の除去作業はまず神界に発し、イヅノメやカムナオビ、オオナオビ、ツツノヲといった神々がプロジェクト率いて取りかかる。下界にも現象化したプロジェクト体制が発足するだろう。ゼロクリアーしてからではなく、ソフトランディングさせるなら、その流れが出てくることになる。
ゾロアスター教の神話には、過去の時代、邪神どもの撒き散らした害毒の除去のために、ティシュタル星(シリウス)に洪水を起こさせた。しかしその結果、海水の塩分が強くなり、普通の生き物は住めなくなったとされている。継続させる場合には、システムの多少の劣化を伴うものとなることが多い。というより、依然として邪神の干渉下であり続けたから、劣化したままだったのだ。
そのような経緯でスタートしたこの時代。やはりいっそう困難を増すものとなった。
ギリシャのヘロドトスが言った。かつて、黄金時代、白銀時代、青銅時代、英雄時代とあったが、そのいずれかに生まれたかった。なぜなら、今はいっそう頑なな、嘆かわしい鉄の時代だからだ、と。
その経過が、そろそろ終局に差し掛かっている。
これから先は、火の灼熱になることは新神話の予定としているところだ。が、それは天界の邪神の居場所だけだ。地球上までは予定していないが、もしかするととばっちりがあるかも知れないことだけ覚悟はいる。
しかし、残し置かれることにより、いっそう綿密な計画が要求されることだろう。それが新時代を継ぐ者への課題となる。おおいに宇宙文明の利器を活用するべきだろう。これからの宇宙人は、みな好意的である。