母猫の役割

出産後の母猫の役割は、大変だと思います。
人間もそれ以上でしょうけど。
異界からのささやきとも思える”壁鳴り”現象がいっそう煮詰まった8/22の深夜のこと。
私の家の下の作業場兼物置に置いていたダンボール箱に、ノラ猫のメスがお産をして、3匹の子猫を出産いたしました。それが判明したのが、翌23日の朝でした。
母猫は私が表を歩いているのを見て、箱から逃げ出しまして、その際に「ニャーニャー」という複数の子猫の不安がる声を聞いたわけでした。
私は直感的に、壁鳴りの主がもしや子猫に転生したと思ったわけでした。実際、その日から壁鳴りは起きなくなりました。
ならば、あれは予兆だったのか、となるわけですが、これがいわゆる「鳴り物入り」の出来事となったわけでした。
私は現在、書き込み先を、「いつかきっと方式の交信掲示板」にしており、こちらの記事更新は後回しの状態にあります。よって、ほとんどのカレントな経緯については、そちらに載せているありさまで、再度ここにまとめるのは骨が折れるため、そちらを見ていただきたいのです。
簡単に経緯を。
8/23に、私がいないときは母猫が子猫のもとに戻ってくるものの、私がどうしてもしなくてはならないことがあって下りるたびに、母猫が逃げてしまうものですから、こんなことが何度もあると、いずれ帰ってこなくなるのではないかと心配したものですから、町に出て子猫用ミルクやら哺乳器、成猫のえさやマタタビまで買ってきたようなことでした。
ところが、母猫はこの場所では育てにくいと思ったようで、一匹ずつどこかに連れ去ってしまったのです。午後3時には二匹がいなくなっていました。残る一匹はいちばん小さく、兄弟とのミルク争奪戦に敗れたもののようでした。こういう場合は、母親は独自の判断で、連れて行かず置き去りにするという話もありましたから、暗くなる頃までに連れて行ってなければ、私が母猫代わりをしようと決めたわけでした。それに、壁鳴りの主が縁を持ちたくて、このような成行を作っているようにも思ったものですから、なおのことその覚悟を決めておりました。
果たせるかな、残る一匹は、まだ箱の中におりました。もしかすると、母猫が移動行為をとり始めた朝からずっと、母乳をもらっていないなら、これは死んでしまうと思い、決断して家に連れて入り、給餌したようなことでした。
この子猫はオスで、「たまろ」と命名しました。
初日(8/23)、たまろを寝床につれて上がったときは、一晩中微細な痙攣を起こしていて、私は繊細なもので、眠れる間がほとんどありませんでした。
これは子猫が夢をみていたりして多動になるもので、子猫はふつう熟睡にはあまり入らないとのことで、なるほどこれは仕方ないと思ったようなことでした。
ところが二日目は、ミルクを飲まないなどのことで動物病院に運搬などしていて、かなり疲れていたのか、晩早々にきゃーきゃー寝床入りを催促するので排便、ミルクとやって、添い寝したのですが、熟睡してしまって、二時間後には低体温になって、仮死状態みたいになっていたため、タオル巻きカイロで温めて動かし、排便、ミルクとやって寝たところ、さらに二時間後、やはり熟睡で仮死状態。もうこれは駄目なのかと半分絶望しそうだったとき、ふと母猫は、子猫が寝ていようがいまいが、排便を促し、ミルクやりまでやってしまうということを思い出し、そこでなるほどと思ったのです。
子猫が命を早々に落としてしまうのは、この熟睡に延々入ってしまい、仮死状態から本死に至りがちだからだろう。それを母猫は、たとえ子猫が嫌がっても、一連の面倒見の行為を数時間ごとにも繰り返して、子猫の意識を現実に引き戻すことまでやってのけていることに気づいたようなことです。
生きようという意欲に満ちた子猫なら、現実を楽しみたくて、仮死になっていくことは少ないのでしょう。しかし、何がどう個体差となって顕れたのか、意欲の乏しい子猫は、あちらの世界に戻っていきたがるみたいです。
それを母猫は、生きよと叱咤激励していることになります。それすらも功を奏することが難しいのが、生活環境が苛酷なノラの世界なのでしょう。
私はたまたま、断続的にトイレ起きし、熟睡は無論、夢も見なくなった状況下にあって、母猫のノルマをこなせそうなわけで、この母猫は私を見込んで、置き土産してくれたのかも知れないなと思ったりしています。
思うに、母猫はもしかしてわざと、大型の子猫を、とても入れそうにない荷物のあわさいに落としておいたのではないか。そして、自らはもうひとつの大型子猫とこのたまろを連れ帰るつもりだったのではないか。
それを私が、わざわざあわさいから戻しておいたために、助かる見込みの大きい二匹を連れ帰り、見込みの薄いたまろを置いてあいたのではなかろうか。人間だから、何とかできるだろうという咄嗟の判断があったように思うのです。
祖母から聞いた、童話・たぬきの子預けを書いたことで、何となく彼ら生き物の知恵はあなどれないという感を持ちます。
母猫の期待を担っている私、とにかく努力いたします。
と、以上が元記事だったのですが、
ところが、この数時間後、たまろは還らぬ命となりました。
しかし、この経緯の中にも、超常的なものがいくつも散見できました。いずれも、いつかきっと方式の交信掲示板にて、巫女のみなさんがそれぞれに異界から質問回答を得てくださり、その解釈やたまろの写真その他を載せておりまして、このたびのことは、私の心だけでなく、掲示板をご覧になった多くの読者に感動を持っていただいているようなことです。
ぜひ、そちらのほうもまた、よろしくご贔屓にお願いいたします。

ここで、亡きたまろの写真集を掲載いたします。
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「救音玉露」を没後名といたしました。