鉄壁の守りをくぐってくるのは

暗くなると、不思議な生き物が活気づきます。
真っ暗な中、明かりがこの庵だけとなると、それを求めて集まるのが蛾。
ベランダを取り巻くように備えられた防虫網の網目のサイズは1mmほど。
柱と防虫網との隙間はいくぶんかあるものの、とても1cm以上ある蛾の進入余地はありません。
ところが、昨夜もその前も、蛾が5,6匹、さらにはそれに付き添うようにして小型羽虫もいくつも。
テレポートして入ってきていると感じたのは、窓をたたくあまりの多さに、ベランダに出て網をチェックしたときでした。
外でバタついていたかなりでかいやつが、突然中に入ってきたのを目撃したからです。
網を透過してきた!!
ぞっとして中に入って鍵を掛けました。
ガラスをパタパタたたく蛾がいくつも。
やがてガラスも透過?
それはありませんでしたが、なぜか一匹だけ中に居ましたね。
しかしそれも、蛍光灯にまとわりつくようなことはなく、力尽きたか、飛んだり落ちたりを繰り返してました。
よく墓地には蛾がいます。それは死者の化身と言う向きもあります。
ずっと思っていたのは、これはもしかすると求道者の化身ではないかと。
彼らは段階的に超能力を身につけていくといいます。
光を求めて懸命に生きているが、辿り着いた先は、壁を越えるごとに幾分かずつ明るくなった壁。
その先にある光源に辿り着くことは至難の業であり、辿り着いたとしても、光の発生源には到底至れない。(いちど、蛍光管の中にいる蛾を見てみたいなあ)
また、目当ての光源も、いつまでも燈っていない。目的地はむなしく消えてしまう。
蛾はやがて力尽きて、床に屍骸を残す。
もし、光源がかがり火なのであれば、蛾は身を火に投じて焼け死ぬ。
彼らの彼岸は、結局、死でしかなく、光を求めて生きたとは、まぼろしを追っていたに過ぎないのではないか。
本能がそうさせたというのはまぎれもない。
条件付けされた愚かさを顕わすのが生き物なのか。
毎朝、画や羽虫の屍骸を掃き掃除しながら、その行為が彼らの本当の彼岸行きの供養になっていればと思う次第です。(本心はええ加減にしなと思ってます)

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