古代日本謎の中東思想渡来考のこと

アクセス解析で判明したリンク画像で、畿内の五芒星形が人気を博しているようだ。もしかすると、これは古代日本の謎に取り組む際の関門になると思われているからだろうか。参照先はおよそここである。私の説を引用される例はそれほどないから、きっと独自の解釈を練っておられるのだろう。
この五芒星の魔方陣は洋の東西のさまざまな思想的下地を形成しているシンボルであるらしく、私の親しい旧知さんは中国の陰陽五行説が元になっているとされていた。私は同説に造詣がないのでコメントできないが、もしまったく同じ図形が得られているようなら、これもまた洋の東西の学問のシンクロとして、根源同一といった展開も得られるかと思ったような次第だ。しかもこの時期、すべての隠された秘儀が明るみに出るというこの時期であるから、その意義は大きいと思われる。
ただ、日本の畿内の場合は、シンボルだけで終わっていない。これの形成する正五角形は、一辺が111Kmすなわち、同緯度帯域の1緯度長になっており、その他の発見図形とも総合すると、地球の諸元を織り込んだものとなっていることが明白で、古代オリエント文明の知識の応用の可能性が色濃く残っているわけである。
しかし、あまり秘儀に関わることはしてはならないのかもしれない。インディー・ジョーンズが古代文字の謎解きをして鍵の照合をすれば、大地が崩壊するといったのもあった。それだけ、驚天動地のことがあると思って懸からねばならないのだろう。
その図形を表紙に使った著書を1995年に出版したわけであるが、おりしも阪神大震災がその第2校直後くらいにあって出版社は全壊し、版は危ういところで救出されるといういわく付きのものとなった。その全部掲載HP版がこれである。
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私はその内容に神の領域を震撼させるほどのものがあったことを感じ取り、出版社にそのままGOさせるとしても、販売の自粛の意向をほのめかしていた。ところが出版社は、私の知らぬ間に全部流通に出してしまい、私の手元には見本の一冊もない事態となった。このとき私の制御できる手元を離れたようで、非常に心もとなかった。
これはまずい。出だしが阪神大震災。そしてオウム事件と続いていた。私の仕事場の眼前は瓦礫と更地ばかりの神戸市内。いたるところが終戦直後の焼け野原の有様のようであった。このままでは、日本が崩壊するとまで思い込むに足るほどに、この年の出版を取り巻く環境は深刻に推移していたのだ。
確かに、ここでも記したように、秘儀を表ざたにするときは、秘儀が終わりを告げるとき以外にないという法則の顕現を見た気がしたが、まさか土台まで振動しようとは思ってもみなかったことであった。私は、この本の一次流通で売れなかった返本をすべて回収するよう強行に出版社に申し入れて、3割5分が回収されて手元に戻った。
それは全部売り切れば、日本が10割崩壊するとの思いからそうしたわけであったが、実際、バブル崩壊などの経過を含めて、日本の資産の6割5分ほどが失われていなかっただろうか。
最近、ここのコメンテーターP氏から、般若心経は非常に啓発に満ちたありがたい経文ではあるが、その最後の偈の文句に死者の霊魂をこの世に呪縛する力ありとのご教唆があった。私は、母の菩提を弔うために毎朝昼晩これを唱えていたが、確かに母はすぐ隣の世界にいるかと思うほど、夢を見れば簡単に現れてくれた。ここの記事にも、死後の世界はすぐ隣にあるとまで書いたこともある。家の中から母の去った気配もなく、たえず身近に居るような思いがあった。
ところが、この指摘があって以降、唱えなくなり、そのとたんに母の夢を見なくなってしまった。家の中における気配もなくなった。それはもう、とても淋しいもので、一人住まいの寂寥感には激しいものがあった。
なぜこんなすごい経文の最後に、謎の呪縛の偈を置いたのか。それは作者であるクマラジュウが、虐げられた生い立ちをしたために、経文のすばらしさとは裏腹に、呪いの呪文を置いたものだという。その効果を自分の体験で確かめたために、その説を私も信じるほどとなっている。
実は、それと同様のことが拙著にも言えている。
私は非常に不遇だった。学校時代から社会人になってからも、ずっと幸せであったという感覚がない。それもこれも、日本という国、日本人というものの冷酷無残さに帰因すると思っていた。欺瞞だらけで人を縛り付けて、徒に競争を激化させストレスばかり多大にして、狭い心の島国根性丸出しにして苦しめる。だから、この本が神々を戦慄させるほどにすごいもので、また秘儀の功績を明るみにしたゆえに、これが世に流通したその割合だけ、秘儀組織の邪な計画で成り立った日本が崩壊してしまうに違いないという確信を篭めたのだった。
かくて、まさにそのような経過となった。このため、私は逆にびびってしまったわけである。
もはや手元にある本を一部として売るわけにはいかない。売れば、日本はまた崩壊し始めるだろう。だから、今は神への捧げものとなるよう、廃却処分と書いた段ボールに入れてある。売ってはだめ。寄贈してもだめなのだ。ただひたすら保存するのみなのだが、まあいいやと親しい人には贈呈している。
ただし、私はこの本を出すことに関し、至高の神々の印璽を受けていると信じている。唯一無二の役目でこのようなことをしているのだと信じている。至高神と縁を持った直後の作品だったからだ。だから、自分では書いてあることに嘘偽りのないものと信じている。ただし、ものすごい魔力を持つものになっているとは思う。できることなら、その適用は私の固有の時空の中だけで十分だ。
それゆえ、発見図形を誰や彼やが流用しようとして、それ以上の深みに立ち入らせて魔弾のレバーを引かせないために、私は発見図形のオリジナル性と著作権を主張するように心がけている。
そのためには、本の中身をホームページに掲載してしまえばいいと踏んだ。その効果は、本で公開するのと変わらないではないかという向きもあろうが、これが日本に何かを起こしている形跡はまったくなかった。神々の世界では未だにネット情報というものに重きを置かない旧い体質なのかも知れない。その理由も分かる気がする。
ならばこのままでいこう。そういう次第で現在も掲載しているようなことだ。
この作品をご覧になった出版企画会社の方や篤志家の方が、本としての出版を薦めてこられたこともある。しかし、経緯が以上のようなわけなので、理由を詳しくはしていないが、申し訳なくもお断りしている。
童話や物語、古事記解釈などのその他の作品ならば、いつでもOKして差し上げられるのだが、そちらはあまり魅力がないようだ。このミスマッチ、難しいものだ。

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