プログラム時空仮説から導ける・・・プレイバック

ホピの長老の言葉にこんな話があったのを見た気がする。
今の時代には、新しい時代の種も育っていると。
みなさんはニューエイジ運動の高まりのことと捉えたかもしれないが、私はもっと現実的なものと捉えた次第だ。
どういうことかというと、この世のあらゆる歴史は再入再試行可能型のプログラムであるから、シーケンシャルに歴史を辿る古い時代のオーソドックスなタイプの人がいるとしても、新しい時代から随時に、選択的に来ているタイプの人もあると考えられるわけだ。古い時代からの人というのは、旧態的な輪廻転生システムの中で、カルマの消尽を図りながら進化している魂の人であり、新しい時代の人というのは、改革後の世界運行システムの下からやってきた魂の人である。
表面的に前者と後者を特徴付けすることはできない。というのも、新も旧もプログラムに規定された中に埋没していて、顕在意識のレベルには上ってこないと推測されるからだ。しかし、新が旧に対して改革の促進などの働きかけをしようとすれば、いつの時点でか新人は目を覚ますようにして旧の改革を進めようとするものだ。その人がどこから来たかをほのかに知るすべはその時点になる。
こうしていつしか改革の同士が時計仕掛けのようにして発芽し、新人類の間で仲間が組織され、そこに感化された旧人類が加わって、同時並行的な努力によって、時代が変革されていくという具合になる。
しかし、新も旧もどちらも等しく魂である。一歩や二歩損した得したといった程度のことでしかない。
この時空プログラムは応用すればとても面白い。
もしかしたら、みなさんも私もすでにその利用法を採っているのかもしれないが、
我々は、一意に自分の運命のライン、すなわち世界線を辿っているかのように見えている。ところが、ほんとうは随時に、ミスをした時点まで遡って、リトライしているかもしれないのだ。
すでに個々人に固有の時空があり、固有の世界線を辿っていると言ってきたが、
あるPCがあって、それがプログラム稼動中にOSに支障するほどの異常に陥ったとしよう。
再起動を試みても動かないとき、システム復元を行ったりするだろう。つまり、昔日のチェックポイントを設けたときの状態に戻し、その環境下で再試行して、動く状態にするはずである。
これと同じことが、我々の識域下において随時行われているというのが拙仮説である。
顕在意識は前の記憶に続く記憶の積み重ねによって、時間は破断なく進行していると思い込んでいる。ところが、遠い昔にいつのまにか返っていたとしても、その時点における前の記憶を元にするしかないゆえに、彼は元に戻ったことに気づかず、先の未来で済ませてしまったことに関しても気がつかないままに、彼はリトライとなる人生をそこから歩み出すことになる。
いや、ときおり気がつくときがある。デジャビューというやつだ。魂の深層の記憶は先の未来も知っているわけだから、それと照合の取れるような場面に遭遇すれば、あれ?どこかでこのシーンは見たことがある、となるわけだ。あるいは魂の記憶は知っているから、その問題の時点でミスしないように顕在意識を誘導することだろう。
この傾向はシステムの恩恵を熟知する新人類に多かろうと思われる。知っていれば、それを利用するのが常だからだ。特に困難な時代を演出するシナリオ下においては、何度でも試行錯誤しなくてはならなくもなろう。古いタイプでは人生をいくら繰り返してもゴールは見えないものも、新しいタイプなら、大いに「待った」をかけてトライし直し、このゲームの局面をゴールインさせることが可能だ。そして、何が自分の指し手のまずかった理由かも理解するはずだ。
こうして、新人類の可能性ある者ほど超常現象に遭遇する傾向も出てくることが推測される。つまり、イレギュラー処理が人生の過程で頻繁になるということは、それだけ時空の裏側を垣間見る機会が増えることになるからだ。このシステムは、まったく完璧というものではない。完璧は神の所作かも知れないが、このマトリックスシステムの構築者はやはり科学者にすぎないからである。

母の日からタイムマシンまで

巷では今日は母の日といい、カーネーションを贈る慣わしらしいが、拙宅では種から蒔いたカーネーションが、まだ葉も七八枚の幼苗でしかなく、いったいこの日に合わせて売られているものとは?と首をかしげているようなことだ。
同様に、私にとっての母はまぎれもなく純粋な母であり、同時に伝説多き母であるものの、拙宅のカーネーションのごとく、花をいつ咲かせるやわからぬ、いやこのまま咲かなくてもいいのかもしれない存在となってしまった。
私はその伝説の側に影響を大いに受けて、今があるような気がしている。私が真理探究と超常趣味にはまり込んだのも、その影響と言える。
それは何度もしてきているように、母の出生前夜、あるいはその直後の伝説である。
私はそれを見てきたわけではない。祖母および祖母の話を伝え聞いた母から、あるいは母本人の体験談として聞いたわけだから、伝説ということになろうか。よもや話を膨らますような性格をした人たちではないから、いっそうインパクトがあるわけである。
ひとつは、”毘沙門さんの二十日に子が生まれる”という祖母への夢のお告げと、もし男として生まれていたなら、位人身を極めるはずだったと修験者二人から告げられていた伝説。
もうひとつ、幼少期に弟と共に”ぬえ”と長時間対峙していたという伝説。
母は誰教えることもなく、路傍の地蔵さんや道祖神を見つけると、行って手を合わせていたというから、前世は仏教の篤信家であったことは確かだろう。祖母も篤信家だから、場を選んでやってきたとも言えるだろう。そして、毘沙門天の加護を受けての誕生だったに違いない。ところが、赤子として生まれた当初、後頭部に大きなできものがあって、当時の医療技術で以て手術したそうである。
母は、自分が利発でないのは、このできもののせいかも知れんとこぼしていた。
しかし、霊的な聡明さは今でも驚くほどだ。母が残していった無駄と思える品々が、今私の農作業に欠かせないものとなっている。たとえば、15Lほど入る給水塔。これなど、十年以上前からあるが、今は水耕肥料を入れておくのに重宝している。農業用ビニールの束や、園芸支柱、ブロックなども豊富にある。100Lサイズの大型バケツも、場をとるので重ね合わせているが、7,8個はある。いざのときの水の保存に十分ではなかろうか。
その他、私が決して不自由をしないように、いろんなところに工夫が施されているのを見ている。
そこで思うのは、もし母が男であったなら、亡き後も、国民(いや世界市民だろう)に国家百年の大計と末永い恩恵を与えていただろうと想像するのである。その恩恵をいま、私一人が独り占めしているようで心もとない。
私はそこでひとつの仮説を提唱したい。こうしないと、私も辛い気があるからだが、それは
歴史にはいくつものケースがありえているのであり、しかもそれは後の祭りなどではなく、今もなおパラレルワールドとして実在し稼動している、というものだ。
ジョン・タイターが未来世界からこの世界にやってきた経緯として、時間を遡り世界線を遡り、ある地点からこちらの世界線に入って、未来へと辿って目的のアイテムを見つけに現れたという話があった。彼は、それを元来た道を辿り、自分の世界に持ち帰って、世界の助けにするという。
ちょうど私も、真理探究の過程で、プログラム時空仮説を考えていた。タイターの話はほんの最近に知ったこと。(マトリックスのほうがまだ早いくらいだ)そこには、拙仮説を支持する話が盛られていたのにびっくり。タイムマシンがもし真にあるのなら、このように運用されなくてはならない。
z4_6.jpg

z4_7.jpg

z4_9.jpg

タイムマシンはUFOが時空連続体(プログラムの塊)上の空間軸を移動するのに用いる原理を時間軸側に適用しただけのもの。とうぜん、UFOには両軸に移動するものがあっても不思議ではなく、要は現象の元にあるのがプログラムであるという性質を見れば、その性質を逸脱しない限りどんなマシンでも可能になる道理だ。
またこのマシンは、なにも物理次元の金属物体で構成される必要はない。異次元の物質(霊質)で構成されるものであっても良い。霊魂、霊体とは、このマシンのことである。
そんなとき、マッチョマンさんたちが紹介してくれたこのサイトを見た。
どうだろう。霊魂は過去に遡って、時空を体験しうるという話があるではないか。プログラムはリエントラント(再入再試行可能)なことは、誰しも知っていよう。(もっと面白い迫真の仮説を思いついたので、次の記事にしよう。横道はここまで)
話を元に戻して、
母も同様に、ほんらい向こうの世界に生きるはずだったのだが、こちらの世界にどうしてもあちらの世界にとって必要なアイテムがあって、それを手に入れに来たのではあるまいか。そのアイテムも、なにも金属物体である必要はない。母はよくニュースを見ながら怒り、そして黙するのが常だったが、為政の失敗例など、テレビで把握できるものだけで、露骨にたくさんある。
母はきっとたくさんのアイテムを手に入れたのだと思う。
私が呪縛の偈を含む般若心経を朝昼晩唱えていたために、なかなか向こうに戻れなかったようだ。
それをやめて水とお茶と簡単な挨拶に代えてからは、母の夢見もなくなった。
適時にPさんを通じていろんなことが教えられたこと。これはやはり、そのプロジェクトからの神々の要請であったと思う。
世界をあらゆる局面において救おうという試みが、どんなパラレルワールドにおいても行われているとするなら、こんな心強いことはない。その救われた者たちが、今度は別の絶望的な世界を救おうとやってくることもあるだろう。彼らはタイムマシンとUFOを合体させたようなマシンに乗ってやってくる。それが真の博愛というものである。
歴史の進化した段階でしか現れないタイムマシンやUFOは、それぞれの世界における未来への希望を繋ぐための有用なマシンとして、フル活用されて然るべきものとなる。
ハラー・ブルザティー。盂蘭盆会。古代人が山のかなたからときおりやってくる祖霊たちの祭りを欠かさなかったのも、自分たちが一種の漂流状態にあることを思ってのことであり、安全無事な国からの救助を請う祭りであったのかも知れないと、お釣り的思いに浸る。