琵琶湖周航の歌6・・・琵琶湖湖底遺跡の謎

琵琶湖湖底遺跡の箇所は非常にたくさんあるらしい。
そのほとんどにおいて地すべり説が有力視されているようだ。
というのも、湖底にある砂の層の上に生活圏の土地が乗っかっている状態で見つかっているからだという。
それだけ水辺の土地は緩んでいるから、地震防災に気をつけねばならないとまで言われている。
果たしてそうなのだろうか。それなら、海岸べりにおいても同様だろうが、町や村ごと海中に滑り落ちるほどの規模になった例があるだろうか。
琵琶湖の水は容易に土木工事で疎水を作り、抜くことも、塞き止めて満たすこともできるわけである。
水のないときでも湿地帯の状態に長くあったに違いない。すると生活するとなれば、干拓するときのような方法で盛り土を行うのではあるまいか。つまり湖底の砂の層の上に生活圏の土砂が乗るわけだ。
ここにも弥生人ごときに何ができるという先入観があると思えてならない。
そもそも、竹生島、沖島、多景島は人工島であると私は考える。
水の中に土砂を運び込むことは不可能に近い。
だが、水のない間になら、土木工事は可能だ。
古墳をも造り出すエネルギーを弥生人といえども持っていた。
当然そのときには、いま水深の浅めのところには、都市集落もあったことだろう。
稲作の集落と土木事業のための都市集落があったはずだ。
その頃には、都市の間を川が流れていて、大阪湾まで繋がっていただろう。
そして政策的に水を塞き止め、満たす段になると、集落はおのずとせりあがっていく。
より新しい集落が岸辺近くに長く留まり、あたかも地すべりでそうなったかのような様子を呈するに至ったのではなかったか。
もっと琵琶湖中心部の泥の堆積の下を詳しく探ってほしいところだ。

「琵琶湖周航の歌6・・・琵琶湖湖底遺跡の謎」への4件のフィードバック

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    みなさんに申し上げたい弱音があります。
    最近は視力が弱り、画面に映ずる文字サイズが小さいものを読もうとすれば、遠近両用メガネに老眼鏡をセットしているような有様。
    また、文章が多いと字面だけ追っている感じになり、理解に結びつかない有様。
    こうしたことから、私はかねてより自分に対する新しい情報のインプットをあえて狭めています。
    新しいことを教えて下さるのはありがたいのですが、私自身が消化して差し上げられなくなっています。
    しかし、いろんなことが分かってきているものだと仰天しているようなしだいです。
    私には限界でも、みなさんならやれること。
    理解できること、すなわち道が開いている証です。
    私は反応できなくなっても、みなさんで理解し合っていってほしく思います。
    前にもこんなこと書いたような・・はて。
    また、みなさんのせっかくのいい情報に対して、私は自分の情報にシンクロしたものは私なりに噛み砕いているつもりです。
    しかし、固定された回路がついてしまっているのか、新しい局面への発展が難しいのです。
    みなさんの情報が善意の意図のものなのに、解釈がみなさんの期待に反するようなことがあります。
    一方では申し訳ないなと思いつつも、書くことが他になければ突っ走るということも往々にあるというわけで、
    まあ、こうしたことが起きたら、ああまたビョーキが出たかと思って笑って見ていただけたらと思います。

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    奥人様
    なるほど、自分も感じていたのは、何故琵琶湖の水深がこんなに浅いものなのか?ということです。
    それとご指摘の湖底遺跡については、確かにダム湖に沈む村々の跡の如くですね。土木工事により水中に沈みましたと。
    地質もさることながら、コンタ(等高線)がどうなっているか?ですよね。竹生島の周辺は、急峻な気がします。なので、水が干上がったら、立派な独立峰として姿を現すかなと。
    沖島に 宝来嶽(ほうらいだけ?と呼ぶのか不明、ネットでも判別不能)という山があり、蓬莱山とほぼ同緯度。意識してますね。奥津島神社という神社があり、対岸の近江八幡市島町にも同名の神社あり。これと白髭神社が直線上に配列されるようです。
    大きな視点で見ると、伊吹・その裏側の白山等から来る、ククリ姫系列の神々の力=龍脈 を 水の流れにて大阪湾に引き込み、その後に都市として発展することを予定していた、京都・大阪 の為に琵琶湖を堰き止め、まさに大きな湖というだけでなく、「大河」として形成した というのが神々のお考えではないか などと考えてみました。

  3. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    奥人様
    自分は、まだ中年ですけど、似たようなところがあります。皆がこのブログを好きなのは、わからなくても字面を追うことを決してやめない、「誠意の御霊・奥人神官」を偲んでのことであるように思います。特にわけのわからん多弁を展開する私の言説を中心として、あまりお気になされませんように。
    実は、自分も正直言うと、あんまり突飛な話や世迷い事のような悲観的オカルト情報については、大変申し訳ないですが、「阿呆ちゃうけ?」と思ってスルーさせて頂いているような次第です。(関西人なのでそのような言葉を用いてしまい、他地域の方々にはご迷惑をおかけします。)「暗い」「オタッキー」「非常識」「空論」「地に足が付いていない言説」が嫌いです。「オッパッピー」な感じが好きです。んな感じで参りたいと思います。

  4. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    Pさん
    >指摘の湖底遺跡については、確かにダム湖に沈む村々の跡の如くですね
    うちの近所にもダム湖がありまして、何年か前に渇水がひどくて集落の跡が出てきたんです。小川がそのときは流れていて、人の渡るていどの木橋が朽ち果てているものの壊れずに現れていて、その上に地元の人でしょう、佇んでいました。
    もとは小さな川があっただけ。それを塞き止めれば巨大な湖にもなるよとの驚きの思いでした。
    現代だからダムが作れるというのではないと思います。仁徳陵も今なら建設重機で簡単かもしれませんが、当時でも人海戦術でやっていたんですね。
    何か出口付近に大規模な盛り土の跡はないものかと思います。
    Pさん、あまり調べられなくていいですからね。こんな話に振り回されていたら、それこそたいへんです。
    >沖島に 宝来嶽(ほうらいだけ?と呼ぶのか不明、ネットでも判別不能)という山があり、蓬莱山とほぼ同緯度。意識してますね。奥津島神社という神社があり、対岸の近江八幡市島町にも同名の神社あり。これと白髭神社が直線上に配列されるようです。
    私は蓬莱山と沖島が等緯度とは地図で分かりましたが、”宝来嶽”があるとは知りませんでした。
    それに”奥津島神社”の存在も。沖島の名ゆえに奥津島姫を祭る島だろうと推定していたのです。
    白髭神社-沖島-近江八幡の奥津島神社が直線上となれば古代の神仙思想を示す幾何学と言えるでしょう。こうしたシンクロにはぞくぞくします。
    きっとあなたのおっしゃるように、白山方面からの力がかかっているのかと思いますし、調査せよとのくくり姫からの催促かもしれないとさえ思えます。
    神仙には山の神と水の神が必須要素ですからね。

奥人 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です