琵琶湖周航の歌5・・・白髭神社思索

Pさんの雪山を自在にこなす健脚はいったいどこから来たのであろう。
仮説 : 彼は過去世に比良三国の山野を駆け廻った天狗さんではないか。
それを修行と心得る態度にも共通のものを見るのである。
そう考えたとき、次の写真集の意義が掴めてくるのではないか。
  場所  白髭神社(滋賀県高島郡鵜川)
  撮影者 Pさん
湖上の白髭鳥居から沖島を望む
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白髭神社-白髭鳥居-沖島は一望のうちに
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白髭神社本殿
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高台から琵琶湖方向を望む
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吉祥の神験か、湯気に煙る高良社
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撮影者Pさんのコメント------------
3/1(土)は、曇天と雨の混じる変な天気だったのですが、白髭神社に着いて撮影しようと思った瞬間、晴れ間がさしました。最近はこんなことがしょっちゅうです。封印され、現世利益ばかり求められてきた神々はどうも、神を理解し広めようと言うブログに掲載される場合には、天気をもコントロールするのか?と思いました。本殿参拝の後、階段を上り3社祀られている内の一番左側の「高良社」では面白い現象がありました。一瞬晴れ間の刺した日光が、銅葺きの屋根にあたり、冷たい雨に濡れた水分を蒸発させ、白い水蒸気となって蒸発していたのです。吉祥な光景と思わず写真に収めました。
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比良三国山系を修行の場とした古代の天狗たち。女人断ちした彼らが心の中で慕う聖女の姿は、ときおり山駆ける木々の間から見える琵琶湖の中の弁天島。
守護神である猿田彦が愛した天のうずめと重ね観て、またあるいは生みの母の似姿と重ね観て、募る思慕の心を癒したのではあるまいか。
荒魂の比良山を御神体とする和魂の祭社・白髭神社は、猿田彦命が妻天のうずめを思慕する心を表わし、湖上の鳥居で逢引の道をつけて、神の心を慰めたとものと思える。
ここからは奥人の勝手気ままな仮説である。
水上になぜ鳥居があるのか。
古事記には、「猿田彦命、アザカに坐ししとき、比良部貝に手を食い合わさへて潮に溺れたまひき」とされている。つまり、水底に沈む伝説が反映されているのではないだろうか。
また、猿田とは去る田であり、土地をなくすという意味である。比良部は選定の意。貝に・・合わさへ、とは貝合わせを連想する。すなわち、形を同じものにそろえるわけであり、幾何学的な意味あいの強い意味がある。
そこでやはり想像してしまうのは、盆地としての土地のあった低地から出る川をせき止めるかして、琵琶湖にしてしまったのではないかということだ。淡路島が相手の貝となる。
このとき、「あはぢ」に対して「あふみ」という阿吽、陰陽の呼応になる地名が生まれたというわけだ。
そのとき、奈良盆地にあった湖を、疎水工事して逆に干上がらせて、都を置くための土地に変えるようなこともあったのではないだろうか。
高良社はけっこう各地に見られるようだが、「こうら」とは「かわら」の転であるとされる。「かわら」とはどこか「カバラ」を思わせる。先修験者である天狗は、修行に身を費やした古流のユダヤ教徒だったと私は仮説しているが、その観点からすると、カバラを神格化した社が天狗の総帥・猿田彦命(比良大明神)の社に並び祭られてもおかしくはないと思える。
カバラはこのほか、桑原、瓦木(生命の木)といった地名や、日干し煉瓦のような中東のよすがを留める「瓦」といった実用品にその名残をとどめていると観られる。
純粋に神に近づくための修行をしていた先修験者・天狗たち。それとは別に市井に入り、為政者に組して歴史の流れを陰からコントロールしようとしたユダヤの一派があった。
世間ではこちらの歴史のほうが鮮明だが、もとより陰からという意図に従う限りは、隠された謎のほうが大きいだろう。天狗は歴史の流れから異端として追い遣られてしまい、いっそう謎を深めることになるわけだが。
私はニギハヤヒノ命に、秘教組織の特徴を見た。九州から東征に出た神武天皇に河内大和をあっさり譲渡している。銅鐸の製作者でもあると考えている。
銅鐸につけられた名称。これは未だ知られていないが、私は古事記に神名の出る「ウツシクニタマ」であると考えている。銅鐸の形は秀麗な神体山を模しており、その表面に描かれる図柄は稲作農耕の灌漑に関するものが多い。それはおそらく、ニギハヤヒ以前の弥生文化の農耕科学は、山々に関連付けられた信仰のような形をとっていたのであろう。イヤシロチや、龍脈などの大地のエネルギー状態を合理的に測る科学があったと思われる。
だが、中東初発の科学が道教的な大地のエネルギー工学を理解できたかどうか。むしろ、錬金術に命脈を持ったカバラの科学を前面に立てて、得意な金属分野で先住民族を魅了する方法を考えたのではあるまいか。日本の統一という目的の前には手段の如何はこの際関係ない。
こうして先住民の前に、祭祀道具としての神秘的輝きを見せる銅鐸「ウツシクニタマ」(秀麗な神体山を写し取った国津神の魂)を披露したのではなかったか。
あるいは、かの中東で名高い死者を蘇らせた男の例に倣い、回春の秘術で奇跡を起こして人心を掌握していったのではあるまいか。
ニギハヤヒは天目一箇命の第四子とされる。また天目一箇命は天御影神と同一とされる。かの三上山(近江富士)の祭神だ。その一帯は古くから窯業の中心地だ。鍛治・窯業ともに錬金術である。天目一箇命・天御影神は火・鍛治の神とされる。目一箇とは炉の中で赤く熔けた青銅を連想させるが、むしろ、もしかすると彼らのシンボルでありはしなかったか。
すると、古来から最近まで彼らを示すのに同じシンボルが使われていることになろう。ピラミッドに一つ目のことだ。三上山はその秀麗さからピラミッドとする説もあるからなにかシンクロする。
では、三上の意味は何か。御神であるならそれはそれ。三神とすれば、三位一体の神ということではないのか。そこにユダヤ・キリスト思想を観るわけだ。
彼らは歴史の表に立とうとすることは避けてきたようだが、自己顕示欲はあったようだ。一歩踏み込んだ者には分かるようにしてあるのだ。彼らは為政者の裏方に甘んじたが、知る者にはそれとなく知らしめようとした。
たぶんそれは、彼らの背後にある神も同じ寂寥感を持っていたからではなかっただろうか。世界を支配しコントロールしても、見えない者には見えず、ただ警告を発して注意を引くことしかできない。それも関心がいまいちとなれば、誰か知る者の思いの中に、自らへの理解を求めるようにもなる。そうした存在が、私には今の支配神であるような気がする。
しかし、彼が警告を与えた末、いざ最後の手を下ろそうとするや、私が真っ向から邪神呼ばわりしてしまった。それに驚き、振り上げた手をいったん引っ込めねばならなくなったのでは。
千と千尋の神隠しの坊やみたいな神だなと思えてきた。こうなれば、彼の手を引く千になってやることも必要か。
支配神が金太郎腹巻の坊やであると分かってしまえば、ユダヤの市井に展開した別派の時代は終わったも同然となる。賢いようだが、精神性は稚拙そのもの。それが世界に知れるなら。
かつて山岳に展開した秘密部隊が、これに代わって、時空を超えてこの歴史の現時点に集結しているというのも、シンクロと言うべきことだ。
知られなかった山岳の彼らの手に人類存続の鍵が握られている。ばらばらに見えて、その実は見えない意図で繋がれて、適材適所・天の配材として陸海空に展開している。
いまこの病んだ時空にある有情を救おうと、未来から、パラレル宇宙から、他惑星から救助の手が集まっている。
日本の天狗さんたち。こんどは君たちが猿田彦となり、彼ら救助者を地上に先導する番が待っている。
比良三国山系はとくに畿内の生命の木の原理図の中ではダート(暗間)に相当する。ダートがいよいよ表に出てくるとき、それは世界が一変するときである。
陰にあることを社是としていた秘密結社が秘密を暴露されつつある。その急衰退に反比例して、ダートにあったとてつもないものが台頭してくるだろう。
PさんやMさんには、いざ鎌倉の気でいてほしいものだ。