武良氏UFO映像また・また・・

たびたびのお知らせです。
サイクルも頻繁になってきております。
ご存知、武良氏のUFO映像が、
来たる3月1日午後7時~ TBS毎日系放送の
「世界の恐怖映像2008!本当にコワい絶叫スクープ50連発大放出SP」
において放映される予定です。
UFOが果たして恐いのか。それともUFOが人間を恐がっているのか。
何で「恐怖映像」???  意味が分からんなあ。
来たらいいじゃな~い。
宇宙旅行に連れてってもらいましょう。
ただし、いろんなものを採取されるかもよ。

琵琶湖周航の歌4・・・神々の能舞台

いよー、ポン
いよー、ポン
ここはあふみの能舞台
永くかはらぬ風情なれ
四季おりおりの作り物
揃えてみなを楽します
思ひをまねく春霞
舞台に映える神々の
舞ぞ近くに見えるとぞ
夏の高津日逢ひ引きの
男神女神の吐息ゆへ
暑き光と気吹きなれ
四海波の頂に
おのもおのもの神坐す
はやす囃子の秋祭り
冬のおろしははや来たり
時改めの伊吹神
かける神世の白装束
春の芽吹きのふきのとう
土手に佇むねこやなぎ
廻る出会いの季節なれ
かかるあふみの豊かさよ
神は神話の舞を舞ふ
愛でる心ぞ豊かなれ
能の何たるかも知らぬ下手な構文でありますが、万葉人の心にあやかってみようとの思いから、一席ぶってみました。
Pさん、メイさん、琵琶湖関係の記事の制作への写真面、発想面の協力、ありがとうございます。

琵琶湖周航の歌3・・・蓬莱山神仙物語

Pさんが提供くださった琵琶湖周辺の景観写真を見てまいりたく思います。
まず、野洲川から見た三上山(御上山)です。近江富士と呼ばれるにふさわしい秀麗な神体山です。
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【湖東平野に悠然とした雄姿の三上山(432m)は別名近江富士といわれ古来神が宿る山、即ち御神山(三神山)と呼ばれ俵藤太の百足退治の伝説に因んでムカデ山とも呼ばれている。社記によると人皇第7代孝霊天皇6年(296年)6月18日天照大神の御孫天御影神(あめのみかげのかみ)が参上に御降臨になったので神孫の御上祝(みかみのはふり=神主)等は三上山を清浄な地とし神体山と崇め祀った。
頂上の奥宮の正面にある磐盤は奥津磐座(おくついわくら)と呼んで神宿る神磐といわれている。山中に水を蓄えているので氏子等は竜王様と称し信仰の聖地となっている。毎年6月18日未明祭神御降臨の日に登頂し神迎えの山上祭がある。弧峯に見える三上山も近くでは男山女山の二峯から成り山麓の御上神社とともに歴史的に名高い。】

男山女山で成るとすると、山影が重なっているのでしょう。
前の記事は、この山頂からの眺望写真でした。
次は琵琶湖の西にある蓬莱山からの眺望写真です。琵琶湖の形がしっかり捉えられています。
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神仙の蓬莱山は竜宮とも同定され、山の神と水の神のロマンの舞台であります。
浦の嶋子と乙姫の物語は古事記のホホデミノミコトとトヨタマビメの物語と同根で、山神と海神の異界ロマンの物語です。
蓬莱山でこの二人は鶴亀となって、共に仲睦まじく暮らしているとのこと。
その故事を古代人が地形に投射していないはずがなく、琵琶湖西の蓬莱山は奥津島姫を祭ると思われる沖島とは等緯度で、どうも意識している模様。
奥津島姫は姉弁天であり、ロマンの相手は大峰山系・弥山の山の神。弥山は須弥山のことなので、如何神なのかおよそ分かります。
日本調では烏帽子狩衣八の字髭で太刀を佩いたりりしい姿。されどかなづちときているゆえ、麓の天川に弁天逗留のはなれを用意してあるとか。
男女神の醸す情熱の気は峰峯に充満し、たえず潤い生態系の営みはどこよりも豊かに営まれているとか。
三上山は沖島-弥山の途中にあって雄山雌山で成るということは、この両神の仲立ちを果たすことの意であり、頂上の龍頭は弥山の方角(やや西よりの南)を向いていると推察するわけですが如何でありましょう。
Pさん、磐座を龍頭と見立てたときに、その向きはどっちを向いていたか分かりませんでしょうかね。
さて、そのようなとき、今度はメイさんが謎のキーワードを持参されました。
夢の中で訪問せねばならない山があるとか。男の人は白山に向かったが、女人は豊橋から北東のいずこかの山に向かうべしとのこと。
果たしてその山とは。
私は現時点の話題の流れからすれば、蓬莱山しか浮かんでこなかったので、そう申しました。
しかし、メイさんご自身が確信(確心)を持てなければ、間違いであるに違いないのです。
その原則は念頭に置きつつも、私は豊橋の北東を地図で調べてみました。
すると隣の新城市に鳳来寺山という山がありました。が、神社がない模様。
神社があるということが要件ですから、ここではありません。
さらに北東に辿ること数百キロ。栃木県佐野市に蓬莱山があるようです。
ここには蓬莱山神社があり、その謂れでは、この地の蓬莱山は西と東の両峰があり、西は市杵島姫を祭り、東は大山祇命を祭るとのこと。
あまたある神々をさしおいて、水の神と山の神が水入らずで寄り添っている様子。これが海のものと山のものが併在する神話ロマンなのであります。
しかしこのお山がそうだと申すわけでなく、また行ってみてほしいと言うものでもありません。
メイさんの心の赴くままです。
次はPさんの修行場の写真です。こんなところにカマクラ作って瞑想修行!? 
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さて、私はたまに神話モードになったときだけ作動するイミテーション山の神でして、なぜかこんなふうなことが勝手に脳裏に浮かんだりして皆さんを混乱させております。
イミテーションは雛形ともいい、たまに神人形になったふりして神話の域を脱しない範囲の何かをやらかしてしまうというわけで、普段はIQ100あるかないかの凡人なのでありまして、狡猾な邪神の目を欺くための十重二十重の仕掛けがなされているようなことかもしれぬとは思うものの、やってる本人あまりに阿呆な人生に、空を眺めて阿呆ーとカラスの鳴き真似をして暮らしているようなしだいであります。
変な想像かきたてられるようなら、ご容赦のほど。

琵琶湖周航の歌 2・・・躍動する琵琶湖

琵琶湖は大昔からそのサイズや形を変えたことであろう。その辺の話は地質学者さんから聞いてほしい。
私が語ろうとする琵琶湖の躍動とは、地質学的というほどに昔ではなくも、琵琶湖周辺に起居した人々の心象風景の中で様々に躍動したであろう琵琶湖のことである。
前の記事で、古代人が神話の天の真名井に琵琶湖を喩えて、その上空で巨大な姉弟神が雷のような声で言い合いをしている様を見ているかのように想像してきた。
「天を奪いに来たか」「男の俺が継ぐべきとは思うが、そこまでの思いはない。ただ挨拶にまかりこした」
「そうではあるまい。二心があるに違いない」「ならば、持ち物から何が生まれるかで証を立てようではありませんか」
こうしてお互いの持ち物を砕いて天の真名井に降り注がせたとき、弟の太刀からは三姉妹神が生まれたとされる。
三姉妹神はいわゆる弁天さんであり、インドではサラスワティー、ガヤトリー、サヴィトリーの三姉妹である。
神仙を夢見た近江の住人たちは、「では、こうあらねばおかしいだろう」と竹生島、沖島、多景島を築いたのではあるまいか。
時は縄文時代とされる頃、住人たちとは巨人族であり、この時代の黎明期に神々の下働きとして住み着いた者達だった。
スサノヲの連れてきたアシナヅチ、テナヅチという種族が、先祖がスサノヲの指示によりオロチ退治の構造物を作り効果を見た幾世代か後に、在りし日のスサノヲ神の功績を偲んで築造し祭ったのではあるまいか。
琵琶湖はそのとき、在りし日の神々が出会い、渡り合ったパノラマ空間であったことだろう。
そのさらに後、普通の我々に似た人々が根拠した。弥生人である。
彼らは神々を祭る神体島や神体山に対して、王族の人魂にも神の威光を見て、古墳を築造した。
当時の伝承に、より古代の大土木事業が行われた事実が伝えられていて、矮小人類といえども、人海戦術によって達成可能と量られたのではあるまいか。
つまり古墳は、過去の人々にできて、なぜ自分たちにできないだろうかという発想から生まれたのではないかというわけだ。
巨人族のことやら、宇宙人の重力制御技術のことなどを、ここでは論ずるつもりはない。
ただこのときも、より古代への理想の投射から、大事業がなされたのであることを申しておきたいのだ。
またさらに時は下って、鍛治と窯業の技術から、銅鐸が作られるようになった。
当時の人々は、もはや大土木事業による理想の達成よりも、小さな見立ての芸術作品によって祭りを代替できるという思潮を起こしていた。
銅鐸の形は秀麗な神体山を模倣しており、銅の成分が害虫よけになるなどの効能からも、地力の象徴と考えられ、祭祀に用いられたかもしれない。
名づけて、「ウツシクニタマ」。豊穣をもたらすだろう祭器であった。
こうして巨大構築物よりも銅に霊験を認める思潮が大勢的となり、古墳時代から飛鳥時代へと移っていく。
さらに祭器、武器としての銅の全盛期が終わると、鉄器の時代となる。
さて、渡来人にもいろいろあった。
ある種の渡来人は、琵琶湖をどう見ただろうか。
琵琶湖と呼ばれるようになったのは、いつごろからだったか。
古くは「あふみ」「あはうみ」と呼ばれ、近つ「近江」と当て字されて今になる。
琵琶湖との呼称は、その形が琵琶に似るからというのは、やや困難がある。
琵琶の形に合うのはむしろ淡路島であり、「あはぢ」の対偶に形や大きさの似た「あふみ」があったがゆえに、琵琶湖と名づけられたのではあるまいか。
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(図中ピンク丸:古都の位置 いずれも平安の都を目指したものだった)
では琵琶湖の形はというと、むしろ中東、ヨーロッパの竪琴にこそ似ている。
ところが渡来人たちは、日本に同じ楽器を見出せなかった。それで最も似ていた楽器の琵琶にしたようなことではなかったか。
そこにもうひとつ、神話のイザナミの尊容の場としての「比婆」が琵琶との語呂的親和で、このように定着させてしまった感がなくはない。
さて、この想像逞しい渡来人とはユダヤ人であっただろう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1d/Aerial_jordan.jpg
イスラエルにある淡水のガリラヤ湖は、古くはキネレト湖と呼ばれ、竪琴を意味する「キノル」に由来している。
そこから下ヨルダン川によって死海に注ぐ流れは、ちょうど琵琶湖疎水から淀川を経由し浪速津の海に注ぐ流れに似ている。
というより、彼らがもし政権の中枢にあったなら、大土木事業してでも類似させたことであろう。
それほど、こんなところにと思える所に、洋の東西における相似像は存在しているのだ。
伊吹山から、あるいは比叡山や比良山系、あるいは三上山から見下ろす琵琶湖は、渡来人たちにとって故郷の地を偲ばせるに十分だったはずだ。
キノルでなくとも琵琶で以て涙を噛み締める古代人の姿が思い浮かばないというなら嘘であろう。
彼らの想像する琵琶湖は、また更なる古代人とはちがったふくらみを持っていたのである。
渡来人たちは残念ながら、商魂と戦略に長けた豪族たちを都に上らせはしたが、精神世界に生きる道を選んだ者たちには苛酷なものとなった。
山岳地帯に入り込んだ彼らは、霊力並ならぬ者とはなったが、物の怪の類と見なされ、天狗と呼ばれ、鬼と呼ばれ、よくて山人、さらに仏教帰依の修験者として人格を与えられるに留まった。
都の権力に入り込んだ者たちはこの仲間たちのことをどう考えたのだろうか。現代のユダヤ人の姿に似ていないだろうか。
死海北西のクムラン洞窟に相似する位置を畿内に求めれば、六甲山系が該当するだろう。
地形的こだわりの多い彼らが、六甲天狗となった可能性は高い。
が、当ブログ記事で取り上げたことのある、摩耶山天上寺伝説によると、当山の天狗は麓から上がってきた僧によって三角護摩壇法とかで岩の下に封印されてしまったとか。
また、伊吹山、大江山、遠敷に根拠した鬼の一族も、荒くれた東人の兵団によって討伐されたもようである。
仏教や陰陽道などの大陸文化が、時の権力を使役して、先に入ってきていた渡来文化を駆逐したわけであった。
しかし先のユダヤ的祭祀は、山岳修験道だけでなく、都に入った者たちによって神道祭祀に色濃く反映しているというわけである。
近江商人の商魂は、かの民族の商魂に似ていると言われる。両者のルーツが同じとすれば、ああ、遺伝子のなせる業かと思われるのではなかろうか。
あれから現代となってはいるが、琵琶湖周辺はさほど古代の風景と変わっていないのではないだろうか。
Pさんの撮られた三上山からの眺望写真は、あまりにも晴れやかで、のどかな時代のよすがを留めているように思ったことか。

お知らせと琵琶湖周辺霊場周航の歌

まずお知らせから。
本日午後7時からのフジテレビ系放送の
「脳内エステIQサプリ」怪現象ミステリーSP衝撃!UFO映像公開未確認生物&すごい技ガチャピン 
において、坂本さんのUFOビデオ映像が紹介されるとのことです。
ゴールデンタイムなので、夕食を摂りながらご覧になってください。
また、さる20日のローカルラジオ放送・AM神戸の谷五郎のラジ関アフタヌーンで
武良さんがUFOコメンテーターとして電話生出演されたそうです。
M総研さんは求道者によく見られる身の周りのシンクロが幾多起きているようです。
整理がつくまでブログを更新なさらないようです。
再開のときは、表示記事数をもう少し減らしてページを軽くするようお願いします。
(私のPCは限界です)
みんな活躍の時期がきているように思います。
さて、今回の記事は上記お知らせだけではありません。
前記事に続き、琵琶湖周辺霊場周航の歌を少し歌わせていただこうと思います。
古事記の「誓約」の段は、天照大神とスサノヲが相互の身の潔白を証そうとして、それぞれの持ち物から子供を生む物語であります。
その舞台になるのは、神話世界の天の真名井の上空となるわけですが、古代人はそれを現実の空間に投影させて、琵琶湖を真名井になぞらえて、自ら住居する空間に神仙の息吹を感じ取って生活していたようなんですね。
おそらく古代人の居住環境にはすでに土地の性状を織り込んだスケールの大きい神話伝承が語られていたと考えられます。
スサノヲの持ち物の太刀は三段に折られて三貴姫が生まれ、竹生島をはじめとする島々を貴姫の御神体とする信仰を生みました。
天照大神の持ち物の珠を噛み砕いたものからは、オシホミミ、天津日子根などの五柱の男神が生まれ、天皇家を補佐する豪族たちは積極的に神々を戴祖して、自家の格式を神に連なる者としての権威と格付けを図っていきました。
むろん御神体としての身体を持った男神もいました。天津日子根の子・天の御影神は近江富士と讃えられる三上山に鎮まりました。この神は鍛治の神とのことです。
火の神や鍛治に関係する神名には、およそ「みか」の言葉が使われています。タケミカヅチ、ミカハヤヒは火の神であるとともに鍛治の神、そして戦神です。ミカゲも火と鍛治を司り、天津日子根の意味する錬金術科学の系譜としてふさわしい流れとなっています。天津日子根神も湖東の彦根の地名として残るわけで、土地が御神体となっているわけです。
三上山も三つの上(神)の山とするなら、その三つとは何なのかを調べねばなりませんが、ミカの山すなわち錬金鍛治のいわれとするなら、分かりやすくなります。
また近隣の伊賀の地名も、「みか」⇒「いか」の転であり(mが抜けたのね)、このあたり一帯が鍛治や窯業を行っていたことによるわけでしょう。設楽焼きなどの窯業はやはり火を使う、当時の錬金術科学です。
また、天の御影神は天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)に同じとされるようです。この神は目がひとつしかない神で、やはり鍛治や窯業の様子を表しています。また、ギリシャ神話に言うキュクロプス(サイクロプス)というチターン神族の鍛治の神そっくりです。
しかし、そればかりか古代人は火山もイメージしました。
鍛治の赤々とした坩堝と火山の噴火口はスケールは違っても似ています。古代人の得意な相似像イメージングがここで生きてくるわけです。
キュクロプスなどは、神々の支配の交替期に呼び出されて使役されて、また地底に幽閉されているわけで、哀れといえばそうですが、火山のマグマならしかたないです。つまり、地上の生態系の変貌をもたらした摂理とさえ理解されていたんです。
これは一つ目ということから、さらに台風の目を想像させ、活火山や台風として、この神の存在意義が規模を大きくし拡大されていくわけです。
近江地方の古代人は、ギリシャにおける詩人がオリムポスの神々の臨在感を抱いていたのと同様に、高天原の神仙境にあることを自覚していたのでしょう。万葉人の心のおおらかさはこうして作られていったようなんですね。
また神話の比良坂は、歴史が坂道が上り詰める究極の時代を意味しています。比良山という山に見立てて、きっと比良の上り坂の峠の先にイザナギが作るであろう輝かしい青空の時代を夢見ていたのでしょう。
まだまだ続きますよ。今回はここまで。