新神話の素材・・・御伽草子は素材の宝庫

抜粋
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我々人の身体は器であり、場である。霊魂の宿る器であり、霊魂の集う場なのだ。身体を主体的に支配するのは自らの魂。その器として身体がある。だが、身体は様々な神霊の集う場でもある。それは何も巫女だけに限らない。巫女は訓練してそうなったこともあり、神霊の訪問を受け易くなっているだけである。
その人の思いに従って、相応しい神霊がかかる。そして神霊は、この場を借りなくては会えないような神霊と出会うために、人をして奇遇な縁を用意して出会わせるのである。◎◎◎や○○○○○のように、一人で複数の神霊の集う場となることもある。様々な神話におけるペアーとなる神々が、一つのペアーの身体にひしめくように集まり、合コンさながらの盛況になることもある。雛形に素質があればあるほど賑やかなものとなり、また人が新たに資質を獲得して、不思議なことが続々展開するようにもなるのである。
人は神霊にかかられたときから、神の神話を演ずる者となる。古来よりシャーマンが至ろうとした境地はこれであり、そのときシャーマンは人並みはずれた神々しさを見せるのである。神の容れ物となるとき、人はおのずと清められる。人にとっても神にとっても利他となっている。
人は神の依頼、神懸りを受けて、地上で神話の雛形の舞いを舞う。逆に、神は人の作った神話に則って神界で神話の舞いを舞う。地上の歴史はさながら、神霊と人霊の意図のおりなす綾の如くなり。
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神話のテクスト例
天橋立の成相観音、久世戸文殊の縁起はこればかりではない。
御伽草子の「梵天国」において、両神が対置されるに至った神話が描かれ、天橋立の本地ともされている。
それによると-
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五条の右大臣高藤の子は、観音析願の授かり子玉若君を大変可愛がり二歳の時四位の侍従の位を得て、丹後但馬の国を与えられた。小さい時から笛を上手に吹いて居られたが十三歳で父母を亡くし孝行な子であっだので、一週間笛を吹いて供養していた。その笛の音を聞いた梵天国の王(仏教の主護神)が、「吾が姫を嫁に差上げよう」と云い、美しく心の優しい姫君を妻に迎え人れられた。此の話を聞かれた天皇が羨まれて「おまえの妻を内裏に参らせよ」それが出来ねば……と無理難題を申出されたが二人のカで総て叶えられた。最後の難題「梵天国王直々の御判が欲しい」との事。中納言は父君に当る梵王国に行き食事を与えられだ時、側で人でも鬼でもない飢えた骸骨の様なものが食事を求めた。慈悲深い中納言は哀れに思い御飯を与えた。すると一粒千人力と云う米を食べて鎖を切り大空へ飛んて行った。これが羅刹国のはくもん王(悪鬼)てあった。はくもん王は邪恋していた中納言の妻を奪い羅刹国へ帰った。中納言は御判を頂いて帰ったが、妻の居ない家や世の無常を感じお髭を切り家出して願を掛け妻を助けられる様析った。中納言は単身羅刹国へ入り、はくもん王の宮殿に密かに潜入し、妻と再会。警備の手薄になった隙を見て、御車に乗って二人して逃げ出す。それを知ったはくもん王は、はるかに走力において勝る御車で追いかけ、まさに追いつこうとするとき、梵天国から差し向けられた孔雀と迦陵頻伽が、はくもん王の御車を蹴飛ばし、奈落の底に突き落とした。中納言はこうして、妻を救い出し都へ帰ったが、都の生活を嫌い丹後へ下られ、妻は成相の観音様となり、中納言は久世戸の文珠となられた。そして一切の生活をお救いなされたとか。成相観音は美人観音、美人になれる観音様として名高い。
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梵天国の王とは梵天王であり、その姫には弁財天の意趣が馨る。そして文殊は、梵天王の縁戚として列せられたことが分かるだろう。
また、愛する妻を救うために夫が冥界遊行する話は、御伽草子「毘沙門の本地」にも見られる。
それによると-
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天竺瞿婁国の千載王が九十歳、妃が六十歳の時、申し子をして天大玉姫を得た。姫が生まれると王は二十歳、妃は十七~八歳ほどに若返った。乳母も五十歳から十七~八歳ほどになり、その他、民百姓にいたるまで、姫を拝んだ人は皆若返った。
天大玉姫は、強要されて、摩耶国へ嫁ぐこととなるが、道中で維縵国の金色太子と出会い契りを結ぶ。太子は摩耶国の大王を討ちに出かけ、姫は瞿婁国へ戻る。「三年待て」と太子は姫に言い置く。しかし、約束の時が過ぎても太子は帰らず、姫は悲しみのうちに他界する。
金色太子は肉身のまま天界・地獄界を旅し、大梵王宮に転生した亡妻天大玉姫と再会する。太子は現世の人、姫は冥界の人ゆえ、そのままでは添い遂げることができないので、大梵王のはからいで、二人は福徳山に毘沙門天王・吉祥天女となって顕れ、永遠の契りを結んだ。
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ここでも梵天は、毘沙門天と吉祥天の仲をとりもち、神縁の深さが築かれている。
また、前記同様に、添い遂げるべき男女神のなれそめに始まる神話が、御伽草子「浦の嶋子」(浦島太郎)の異界遊行である。話の中身は衆知のことゆえ詳しくしないが、その締めくくりは、蓬莱島の鶴(浦嶋)と亀(乙姫)となり、仲睦まじく暮らす夫婦の範とされたことである。そしてこの蓬莱島もまた梵天の主宰する万国永世中立の場であった。
一介の漁師・浦の嶋子は人の身で神となった古代の英雄であり、庶民の憧れであった。
この物語の原型はかなり旧いものであるらしく、古事記のホホデミノミコト(山幸)の綿津見の宮遊行の話に投影され、神武東征を道案内するヤマトスクネがその英雄伝説に倣おうとしたほか、陰陽師の安倍晴明も類伝を伝えて英雄ぶりを披露している。
古代から庶民に語り継がれた神々の物語は、神話として集合無意識を動かすものとなり、歴史的英雄は物語の主人公になりきることで、集合無意識を操ろうとしていたことが窺えるだろう。

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