講釈・・・未来を変える

詳しいことを事細かにする時間はあまり残されていないように思う。
何となれば、黙示録の神が自ら地上世界の支配を告げたこと。(これはシナリオだからいつかくることになっていた)
そしてジュセさんの警告のタイムリミットが間もなくであること。(これは警告しても見込みのないことの前提に立っている)
そしていくつもの兆候が出揃ったこと。(三千年に一度の優曇華(神の目)、桃の実(UFO)とイザナギ出現など)
さて、今回は奥人流未来変更ノウハウについて語りたい。といっても、何か現世利益が得られるというものではないし、信憑性の保証も何もないから、特許も新案登録もするつもりはない。(著作権は主張する)これはいけると思った人は、これで企業化でも宗教化でもなさればよい。それよりも個人努力が必要であって、時間つぶししている間などないと思う。
さて、それでは、眉唾的講釈をいっぱつカマそう。なに?臭い? それは芋食って腹が張っていた後の私の屁じゃ。どうじゃ、白檀の香りがするじゃろ。なに?タクアンの香り?
プログラム時空論は、予め言語により作成されたプログラムが存在しているという前提であった。この宇宙に限ったとしても、そのブート部の開始から最後を締めくくる命令語まで変更の利かないものとして、予め作られているわけである。
ところが、そのプログラムは、未実行分も含めて、選択肢として分岐していくべきあらゆる場合を網羅している。
よって、プログラムの実行方向が慣性方向にあるのみなら、先の未来に破断があるとしても、進行方向を変えることにより、破断のないプログラムへと進行先を変えることができるわけである。
逆を言えば、我々は、もう少し以前であれば、先行きの問題ないプログラムを慣性的に実行していたかもしれない。それをわざわざ方向を変えてまで、いずれ先の破断する(アボートする)プログラムへと舵を切ってしまった可能性もあるわけだ。(アボートとは流産のこと。あんたら嫁さんに無理させて流産させようとしとるんじゃ。馬鹿モノが)
そう気が付いたならば、どこかでレールの架け替えをすればいい道理であろう。
しかし、ふつう、人はそのような方法が分かるわけがない。万能とされる科学は逆に無知で教えることができないからだ。むしろ科学は、安全神話と隠蔽による安心の演出にやっきになるばかりで、これでは突然、アボートしそうな局面にきて、いきなりパニックを引き起こしてしまうだろう。そんなときに専門知識を持ち出されても役立つことはない。
そこで、観測界面のことしか教えない科学に成り代わって、本質を扱う真の科学によって、どんなふうに鮮やかに未来を変えてしまうかについて語りたいわけである。(本質を扱う科学??ああ、わしがするものはみな眉唾にキマットルわい)
仏教に、小乗と大乗の二通りの救済法があるという。小乗とは、個人の努力で個人単位で救済に預かる方法だ。この方法について、ジュセリーノ氏は、自ら未来を担うに相応しい精神資質の獲得によって可能であると説いているふうに見受けられる。(バロメーターの地球温暖化阻止というのは比喩じゃ)
心の性向が変われば、突然周囲の環境まで変化したような気持ちになることがある。このとき、人は自らの観測するプログラムを変化させた可能性がある。それをそのまま安定的に維持できたなら、レールが完全に変わるだろう。維持できずふらつく時は、また元のレールが相応しいものとなって戻ってしまうようなことにもなる。
私が高説をぶっている時空は、未だにレールは変わっていない。私が説教じみたことを書かなくなっていれば、レールが問題ない方向に変わったに違いないと、目安に思ってくれたらいい。(おいそれと謙虚になるつもりはない)
ぜひ、個々人レベルで、破断のない時空に逃れていただきたい。(個別でいい。早うこの列車から下りな。まだ途中駅はよおけあるでな)
さて、もうひとつ、大乗の救済法がある。これは、現在の人類が保持している破断に至ることを必然とする集合無意識を、問題ない性質のものへと変えてしまうことによる。今は集合無意識が人類全体の未来を滅びへとレール付けしてしまっているからである。
古来から多くの人々によって累積されてきた、”人類はいずれ滅びねばならない”という抑圧された意識が存在している。多くの場合、犯してしまったことの罪の意識。それがいずれ償われるから、今現在どんなに不完全でも良いという精神によって、滅びへの必然性が熟成されてしまっているのである。それをサポートし、誘導しているのは、神話だ。
我々には、人口の大半が発し続けてきた集合無意識へのインプットの流れを変えることはできない。なぜなら、あまたの予言は神話を裏打ちするように、いっそう人類の滅び志向を印象付けつつあるからである。それを逆回しにすることなど今さらできようか。もはや大衆教化という方法で太刀打ちできたりしない。(これは崩壊する相場の流れに対して、逆張りで応戦するようなもの)
ところが、人類の心を初動付けし、滅びの路線に導いてきたマニュアルである神話のほうを換えてしまうことはできる。つまり、火の元のガス栓を止めるわけである。
幸い、神話は、人々の理解するところではない。むしろ神話は、神々への捧げものであり、神々が神界においてどのような歴史顕現の舞を踊るかを規定するものである。このため、誰知ることない神話によるシナリオの書き換えによって、神々の側から下界の歴史を変更することが可能になるのである。すなわち、神に頼むのではなく、神に仕事をしてもらうのである。
神話のうちでも、聖書はずいぶんと人々の理解するところとなった。そして、その中に盛られる滅亡志向の思想を合理的かつ陶酔的なものとしてしまっている。滅亡への必然は、みなの心に希望の火として点灯しているほどだ。これを変えることはすでに無理である。
だが、数の論理が通用する部分はそれほど大きくはない。人間のする支離滅裂な思考形態は、ノイズばかりで力がほとんどないからだ。
日本の古事記について、ほぼ理解する人がいないのに、そこに書かれるシナリオどおりに歴史が進行しているのはなぜか。
歴史顕現の神話の舞を踊るのが、神々だからである。古事記がメインの神話として奉納されただけで、それが神々を図書館書士にして、相応しいプログラムを引っ張ってきて、実行のタイムテーブルに載せているからである。
古事記に書かれることなど、おそらく神職も知りはしない。だが、神々は神名と筋書きの言霊が理解できるから、古代の時点で全体のシナリオ載せが完了されていると見てよい。
それを今頃になって、別の新しい神話を奉納する効果があるのかどうか。ある。ただし、神々の目を覚まさせることによってのみ、新神話は生きてくる。
神々にとっても目の覚めるような啓発に満ちた新神話は、すでに完成しており、ご上覧いただいて、オーソライズが済んでいるという具合である。
誰知らずにする大乗の救済法。最も合理的かつ効果的に運ぶのではないかと思いつつ、事態の進行を見守っているところである。
稀有壮大な独りよがりにすぎる眉唾講釈。天晴れ天晴れ。むふふ