地祇と対話することの必要性を思う

台風4号の大雨被害に遭われた皆様には、ここでお見舞い申し上げると共に、早いご本復を心からお祈り申し上げる次第です。
自然災害というものは、住居する場所のコンディションによって被害の度合いが決まることが多いわけですが、考えてみれば不公平な自然の仕打ちとも思える場合がほとんどです。
そんなとき、自然のすることだからどうしようもないとお思いになる痛切な心情、お察し申し上げざるをえないわけです。
皆さんの願いが自然の摂理にさえも届くなら、どれほど世界も魅力的であるか分かりません。
人の生活のほとんどの局面で、破壊的な事象を招いているのが自然の猛威。人為的被害なら、自らの過失が招いたと思えるものも、諦めしか抱けないのが、天災の場合です。
では、何か方法はないのかというと、決してないわけではないのですが、誰しも認めたがらないところに手段があったりして、対処の方法がないと諦めてしまわれているように思うのです。
いや、まだこの方法に効果が本当にあったかどうかの確証はまったくないのですが、今回二度目の試技をしてみて、なるほどと思えたため、少し報告しておこうかと思いました。
かつて私は、S氏から、神を呼び出すための道満の術を教わりました。この方法は、知っている方も多いかも知れません。
神を何のために呼び出すのか。それは交渉することが主かと思います。もちろん氏からは、闘う方法をその先に教わったわけですが、そこまで至らぬまでに、交渉、談判、それでだめなら恫喝、最後は戦うという展開までがあるというわけです。
前回の台風撃退実験では、2005年9月の台風14号に対して行い、その結果、恫喝段階で風神地祇には涙を呑んでもらったようなことでした。
いや、もちろん、偶然そうなったのかも知れません。しかし私には、地祇が泣きながら去っていく後姿が見えて、逆に申し訳ないという気になったものです。なぜなら、彼らも人間の所作に対して遺恨を持っていて、人類の横暴に対して地祇を代表して制裁しにやってきているから、本来は加減してくれるようなものでないのです。
しかし、ここは交渉次第で応じてくれるという次第。
ただ問題は、彼らには何をどう加減すればいいかが分かっているわけではないということ。アクションとコントロール自体が大雑把なために適切な判断が利かず、先達の踏まえたルールを守ることでよしとする傾向にあること。よって、いつも台風被害に遭うところは偏ってしまう、というようなことになるようです。
そこで、こちらから、具体的な顕わし方を指定してやるということが必要になるわけです。
いや、決して違うルートに切り替えさせるというのではなく、彼がしようと思えば、まず強さを加減できるし、被害を少なくする考慮をしたルート変更といったこともできるのです。
しかし、こちらから具体的に要求するということが必要になります。
今回も、台風4号の神を呼び出して交渉しました。
すると、前回の神とは違って非常に紳士的で、交渉段階で済ますことができたのです。
というのも、彼には人類に対する恨みのようなものがそれほどなく、ただ予定通り流していくといったことのようでした。被害を与えようという意図はなくも、彼が生まれただけで被害は出てくるもの。それが台風というものかも知れません。
しかし、彼の品格はとても高いもののように思いました。
むしろ私のほうこそ、打算的に臨んだことが否めません。というのは、ささやかな家庭菜園がだめになることがどうしても嫌だったのです。
前回は、その前年に親戚の家が床上浸水の被害に遭ったため、また同じ被害が想定された台風14号を追い払ってしまったわけです。今回は、親の丹精込めて作った菜園でした。申し訳ないですが、動機は個人的なものでした。
道満の術で呼び出したのは、台風の場所が九州と四国の間くらいのときでした。
交渉段階としては、「北上しては困る。このまま洋上を東進してほしい」と頼みました。拒まれれば、むろん恫喝などに進んだでしょう。
ところが、少しの間に「いいでしょう」との返事がありました。いちおう、北上すれば、人々がせっかく築いたものが壊されてしまうからという善意の建前でしたが、私のごく個人的な本心が伝わったかと思います。
すると、進路予想天気図の赤丸が接するかどうかのすれすれのところまでで止めて、そのまま東進してくれました。
そして驚異的だったのは、まったく無風だったこと。雨もさほど降らず、彼が去った後のほうが、よく風が吹いていました。こんなことがふつうあるかどうか。そのときでも950hpsありました。
モルダーさんが、私の計画を察知されたようで、台風にはそれなりの役目がある場合があるから(地震を防ぐという)、無理に変更してはならないと諭されました。しかし、打算でやってしまいました。
朝になって、東の空を見れば、あの風神がふんどし一丁で筋骨隆々たる背中を見せながら格好よく歩いていました。私は、思わず手を合わさざるを得ませんでした。
夕刻に再び術で呼び出して、一献手向けながらお礼を伝えるとともに、「あなたやあなたの眷属がこの日本にくるときは、手加減したり、遠目のコースを通るなりして、人々の暮らしに配慮して欲しいのですが」と頼みました。そして、前回の14号へのお詫びを託しました。
すると彼は、このたびの役目は果せたこと、および台風の心情と、個別に要求するにもタイミングのあることなどを語ってくれました。
台風も不惑の歳になれば、決めたコースを変えることはようしない。その直前までに指示すれば、考慮できるとの事。ただし、少年期から青年期までは、勢いと憤激の度合いが強いため、逆に歯向かうこともあるから注意と。
つまり、台風が向きを変えるために滞留しているときから、曲がりきったころまでが指示できるタイミングだというのです。
こうして今回は、風神の品格もさることながら、ぎりぎりのところで間に合ったようなわけでした。

「地祇と対話することの必要性を思う」への1件のフィードバック

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    今、新しい記事を読みました。凄いですね。貴方は未来を変化をさせる力があるんですか?色々勉強したいのでお話を聞かせて欲しいです。

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