虫の報せをだいじに

漠然とした不安。何か良くないことが起きそうな予感。
こうした場合には、たいがいそのように事が成っていってしまうもの。そして感が当たったとか思いがち。
ここまでは誰にでもある虫の報せというものだ。
問題はそこからの対応にある。
動物なら、その予感されることから遠ざかる方法しか採ることはできない。そしてその方法でのみ、自らを助けている。
だが、人間の場合は思考能力があり、それが予感を封じてしまう弱点となったりもするわけだが、それ以上の積極的対応を採ることのできる可能性にこそ、人間の真価があるものと思われる。(自信がなければ逃避行動でいい)
それは、予感の漠然とした中味を分析して、ありうるパターンのすべてを模倣(シミュレーション)してしまうというやり方だ。こうすることで、漠然とした不安を具体的に浮き上がらせるだけでなく、予期しなかった隙や油断の箇所を見つけ出し、先手を打って、その不安の隙間を埋めてしまうことができるのである。
こうしてその人は、しだいに抱いた不安の予感が消え去っていくのを感じるだろう。真に予感の原点に辿り着いたなら、加えて対策が取れた暁には、不安が全く消えることになる。
それでまだなお不安が残るときにこそ、この恐怖には敵わぬものとしての撤退行動を採るという手順へと進むわけだ。
つまり、動物よりは、いっそう進化した行動を取れるのが人間というわけである。(自信がなければ逃避行動)
他の予知情報をあさるように読んで、不安に駆られるというのは、いただけたものではない。それは単に洗脳状態になっているだけ。虫の報せなどではない。
他の情報は、あくまでも参考程度のものでしかなく、ぴたっときた場合にのみ、内的なものが共感を返してくるだろう。それが虫の報せとなる場合がある。シンクロしたと思えるような感動を伴うこともある。
そして上述したような、先手先手の隙間解消法を実行することだ。
どこにも抜かりのない態勢を常に心がけておくことが、これからのサバイバルには欠かせないものとなるだろう。
ただし、態勢にがんじがらめになってもよくない。どうしてもというときには、百計あっても逃げる計に如かず、が原則であることは言うまでもない。ためらわず動物になるべき時はなる。そして感をフルに働かすこともだいじというわけだ。

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