不食の話、ふたたび

またM総合研究所さんのところから話のネタを拝借と相成った。
実は以前にも「不食」の話題を、超古代的ココロを土台にして一席ぶったのだったが、
M総合研究所さんのところでは、人間誰しも有する「松果体」との連携による、未解明な
人間固有の能力について語っている点で、太陽礼拝をひとつの方法として揚げられている。
私は”岩窟に落ちた子供が、空腹を癒すために、たまたま同じ窟にいた亀がときおり口を
虚空に向けてぱくぱくやっていたので、同じことをして何ヶ月も生き続けることができた”
という話を聞き知っていたため、太陽射さぬ中でも「不食」は可能で、科学的な解釈として、
体内にみごとな生命循環のサイクルを築いた結果ではないかと考えてきたしだい。
つまり、腸内に光合成をも可能にするような細菌群が常在し、宿主である人体と絶妙の
コンビネーションによって互いが互いを生かしていくシステムが完備していて、およそ
生命体にとっての純粋理想状態が実現しているというふうに考えたわけである。
それは地球という生命体の中における生態系の絶妙のバランスにおいても言えることで、
地球と人体は、マクロコスモスとミクロコスモスの照応関係が成り立つとすれば、
何も不思議なことではないはずではないのか。
地球のバランスの維持を困難ならしめたのは、ひとえに人類の登場によってであり、
地球と同じ病気にかかって苦しんでいるのも人類という相似像が見て取れるように
思うのである。
つまり、どちらも天然からの乖離によって、不幸な状態になっているということ。
天然から乖離させたのは、果たしてどこかの神話に言うように、人間の過失だったのか。
そこが疑問だったのである。
世の中には多くのUFO研究家がいる。だが、えてして間違いに陥りがちなのは、
我々よりもはるかに進んだ乗り物を見せられて、直ちに善いものが来たと思い、
ついていってしまうことであるように思う。
ホピもそうだ。UFOをマサウウの再来と捉えてしまったりする。いやきっと
マサウウはUFOに乗って現れるのだろう。しかし、それが人類のためになる神かどうか。
地球にとって問題ない神なのかどうか、全く以て神話や伝承に頼るしかないというのも
不可解かつ心もとない話である。
そこは、地球に最初からいて、人類の興亡を幾度となく見てきた地祇の談話が欲しいところ。
「おい、妖怪よ。ちょっとこの辺のこと、コメントしてえな」
「なんの妖怪」
「いや、だから、いつもさばさばした解答をよこすやないの。それを一発ぶってほしいの」
「どこが怪異の」
「違う。痒いんじゃないよ。見てなかったの」
「分かってるよ。でもいま、たまちゃんの看病してるんだ。後回し」
というわけで、面倒なことは後回しとなったしだい。
しかし、私は思うに、「松果体」という、超能力の源泉とも言えそうな器官の存在によって、
人間が未知の能力を発揮し、その中に「不食」の実現も含みつつ、より高度な
超人への道を進む可能性はきっとあるだろう。
体内の生態系のバランスは崩れていても、そういう実現の方法もあろうかと思うのだ。
同様のことが地球においても相似的に起き得るなら、地球も再び理想状態に還る
のではないだろうか。
UFOと同じ節理が地球に備わっているのは、このためか。
病んだ地球を超能力的節理で蘇らせよう。
「そんなもん、邪道じゃ」
「こらこら」