宇宙の知性と出雲八重垣

org1.jpg

上の幾何学図形群を発見するまでには、長い経過がある。最初は、古事記の神話が暗号であると考え、暗号解きに着手したことが始まりだった。そして、その中間くらいにある「ヤマタノオロチ」の段の解釈において、当時海外でブームになっていたレイラインの考えを導入してみようと考えたことがきっかけとなっている。
私の住居は西日本にある。行動もそちらの方面が多い。となれば、ものの序でに関係ありそうな場所を見てくることもできる。
そして、日本地図上の探索が主体となっていた。
レイライナーの予告どおり、西日本の都市(古代には集落)、祭祀霊場、信仰を集める遺跡や大山が一直線上に並ぶ様子が容易に見出せた。それが次の図である。(読者は先の図形群が、この中から見出されていることをお気づきになろう)
U8.jpg

その線表はまさに、垣根の如き感があった。そこでふと気付くのは、ヤマタノオロチの段の出雲八重垣という垣根である。もしかすると・・・。
そもそもは、オロチを退治した設備、出雲八重垣とはいったい何なのか、何を象徴化した物語なのか、という荒唐無稽かつ途方もないテーマの推敲から始まったのだ。
物語ではスサノヲが、毎年のようにやってくるヤマタノオロチに困り果てている地元民の窮状を知り、その対策を講じてやるわけだ。ところが、単なる民話ならそこまで詳しくせずともよいだろうにと思えるほど、祭祀関連事物を使って、そのありようを懸命に伝えようとしているように思えたのである。
その対策の全体名は「出雲八重垣」。具体的には、酒を盛ったサズキを垣根の門ごとに置くという、呪術的結界のことが語られている。
凶悪なオロチは、そこにやってくると、頭の数だけある杯の酒を呑んでしまい、酔いつぶれて、その隙にスサノヲが斬り殺してしまうという筋である。
私は、古事記の神話解釈にあたり、すでに最初の段から地球規模のスケール性を見ていたことと、これ以降の面白そうな「国譲り」や「天降」の段に辿り着くためにも、「ヤマタノオロチ」の段は超えねばならないハードルとして立ちはだかっていたのだ。
オロチの被害者は「櫛灘姫」という少女である。意味は「櫛」が「霊し」(霊妙)とか、櫛の形状から連想される感触、そして「灘」もしくは「名田」に篭められた、日本のリアス式海岸のような複雑に入り組んだ地形と、そこに農耕して生活拠点としなければならない地元民の嘆き顔というイメージが涌いた。
そこでオロチとは・・・地球規模の大スケールでなくてはならないというわけで、自然に思いついたのが火山帯や地震帯なのであった。
幸いにも同時並行的に、ギリシャ神話のチターン神族とオロチに類義性を見ていたので、その方向からも、この解釈は妥当なものに思えたのである。
チターンとは、大地の獰猛な神々である。サイクロプスは一つ目巨人。これは台風の一つ目ともとれるが、チターンとは大地の子という意味があり、火山の一つ目火口のほうが合っている。ヘカトンケイレスは百足巨人。これは前者が火口なら、隠された内部のマグマの様子というわけだ。彼らはゼウスと戦い、最後にはタルタロス(幽冥の地底)に幽閉されるとなっているので、居場所もちょうど都合のいい場所となる。百足とヤマタ(たくさんの股)を持つ大蛇とは、形の上で似ていよう。こうして、オロチとは地変を起こす源である火山帯や地震帯、さらにその原因たる現在で言えばプレートやマントル対流の不気味な動きというしだいになるわけだ。
こうした自然のものは、人間の手に負えるものではない。その辺は神々の話をしているだけに、神でなくては鎮圧も制御もできない代物である。いやしくも人間に地上を任せるとなれば、初期の環境設定だけはしておいてやらねばならない。その一環でこの「出雲八重垣」事業が行われたと推測できたのだ。
出雲八重垣は地元民に指図して作らせている。スサノヲはあくまでもその原理を説き、ここに何を設置せよと指図して地元民に作らせているのである。その構造を説く叙述に、また念が入っている。一見すれば祭壇を築く要領のようだ。だが、問題はそれが社殿の中だけで事足りるものかどうかである。大スケールの相手に対して、あまりにも格が違いすぎる。
実は、その発想も一瞬にもたらされたのであるが、大地の問題に対しては大地の規模で対抗するすべがあることに気がついた。
そして、実際に調べに回った。
すると、あるはあるは・・・。秀麗な山や、古来から神体山として崇められた山、あるいは巨石を組んだ巖倉といった形で、いくらでも存在した。それが数十年前には、まだたくさん壊れずにあった。山がわざとその目的のために整形されているふうもあった。巨石組みなど、地元民にちょっと重力制御の呪法を授ければ、意外と短期間で作り上げることも可能だろう。セコンドはスサノヲという神だからだ。
秀麗な神体山がまず目に留まった。ドライブのたびに、新たに二つや三つ探し当ててくる。はじめは山が呼んでいるという感じだった。山の気の流れのせいだろう、意気が高揚してきて、エンドルフィンが放出されるせいか、とても心地よくなる。山はわが友という感じだった。なぜそうなるのか。それは先の線表のライン上に偏ったふうに集落などができるのかと同じ効果なのである。それは、八重垣システムで「変換された後の」効用。生命賦活のエネルギーの強さに起因するのである。イヤシロチ、ケガレチというのを聞いたことがあるだろう。それは出雲八重垣の効用としておのずと現れる効果なのだ。
しかし、私はやがて八重垣の謎の究明のために形ばかりを追いかけるようになり、せっかくの感性も衰えて今日がある。その代わりに、明らかに加工された感のある山が、意外と古代の祭祀拠点であることが次々と分かり、出雲八重垣の推理と密接に繋がっていくこととなった。
スサノヲが物語の中で作らせたものは、ある種の「祭壇」だったのである。だが、相手が地底に数百数千キロも伸びる怪物では、陰陽師がやっていたような社殿の中の祭壇ていどで務まるわけもない。大地には大地に対応した、土と石の構造物が必要だったのだ。
ピラミッド、マウンド、巨石組み、それらを組み合わせた古代山城などがそれである。この呪術的結界を作動させるための祭祀のあり方も、物語を見るに、当時の地元民に授けてスサノヲは去っていることになっている。
現代にまで残る神道の祭祀は日本古来のもの。この中には、渡来系も含めいろんな祭り事が習合されていると考えられるが、スサノヲの国土鎮護の祭祀も含まれているに違いない。神道の神官しかおそらくその意趣が理解できないであろうから、彼らの伝承の命脈が途絶えることのないようにしなくてはならないわけである。
出雲八重垣の衰えが招く凶事
2004年12月26日にスマトラ沖で発生した大地震。このときの津波で20万人もの犠牲者が出たことで有名だ。ところが、読者の中にこんなことがあったことを見た人はいないだろうか。それより10日前、16日の午後9時頃のことである。私は会社の仲間たちの間でもUFO見の第一人者だったので、その日も余興にと眺めたのだ。それを見た社長が、「また見とるのか。出てきよるか」と社長自身空を見上げて、「おっ、あれは何や」と指さしている。
「うおっ」と息を呑んだ。真っ暗な空を背景にするとはいえ、やや明るい気味の帯雲が太くくっきりと、北東から南西方向(日本列島縦断の方向)に、こっちの地平から向こうの地平まで途切れることなしに、一直線に伸びていた。
「これ、地震雲いうんとちゃうんか」と社長。
「そうかも知れんですね」「気持ち悪いもんやなあ」
このようなやりとりを交わしたものだった。しかし、その後何事も起こらず、忘れかけていた矢先に、スマトラ沖地震が起きたのだ。世界地図を見てもらえば、列島の伸びる方向に震源地が位置していることがお分かりになるだろう。
あれだけの、それこそ果てしない長さの大蛇のような雲だった。日本のどこかであるに違いないという読みは外れた。しかし、あれが「地震雲」なら、ものすごいエネルギーを感じさせるに十分だった。
真っ暗な時間帯だが、午後9時だから寝静まっていることもあるまい。もし発見していた人がいたなら、コメントをいただきたい。
さて、地震雲は、地震の前触れとして存在が一般的に認められるようになった。だが、それは必ずしも地震があるゆえに、地震雲ありきなのではない。
それには地震雲の発生メカニズムが理解されなくてはならないのだ。
地震雲は、大地の呪術的結界の作動の結果が、空に反映されて出てきていることに注意が要る。
すなわち、よく地震雲に見られる、東西、あるいは列島方向、その垂直方向といったパターンは、出雲八重垣の垣根のパターンなのである。
地底の火山エネルギーの動きに従い、大地に刻まれたエネルギー整流装置が働き、それをエネルギー変換している。その立ち昇る有様を見て、スサノヲが詠んだ歌が、古事記の歌謡第一番として残っている。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る この八重垣を」
ああ、何と言う壮大で慈愛にあふれる神の御心。
そう感じ入るに足るすばらしい歌である。これこそ、人類の守護神、地球の守護神の御心と言わずして何としよう。
一首の中に繰り返し三度も用いられている「八重垣」の句。ここまで強調されていて、しかも歌謡第一番。古代版レコード大賞のトップと言ってもいいものだ。そこでここまで語り込まれているこの言葉。ほんとうにもったいない。涙すら出てきてしまう。暗号解きにおいて、この意味を解き明かそうという気が起きないほうが不思議なくらいだ。
ただしそのためには、巨石文明に関する基礎知識や、古代のシャーマニズムのイロハぐらいは知っておかねばなるまい。その中で繋がりをつけていく作業が暗号解きの仕事となる。
この八重垣の原理は、様々なシャーマニズムによって用いられた呪術結界のルーツと言ってもいいものである。その稼動には、必ず意識ある者の介入が要る。それがなくなってしまえば、残留想念によって一時的に維持されるとしても、やがて結界は消失する。八重垣の結界の稼動にも、古来のシャーマンがその任に当たっていた。スサノヲの頃には、アシナヅチを神殿の宮主に据えて、須賀の八耳という名を負わせている。その伝承が祭祀の方法と共に、日本では神道に伝えられていたはずなのだ。
だが、神道は古来から秘密主義だった。一般人を門外漢として扱って、知識をすべての人に伝えてこなかった。世界においては、世界各地の部族のシャーマニズムの中に生きていたが、これも唯一神の預言者信仰勢力によって滅ぼされてしまった。今の時代になってしまえば見えないものは認めない科学万能主義が幅を利かせる。世界的に八重垣の意趣が廃れてしまったとしても、歴史の成行の必然というものになるのだろう。
さて、それゆえに、八重垣の節理が順調に稼動していれば、地震雲としての顕著な現れ方が予兆として出れば出るほど、地震発生は軽減されることになる・・・という原理となる。
地震エネルギーがよほど大きいなら、防御しきることは難しいかも知れない。スマトラの場合で、地震雲があれほど強く出たということは、相当なエネルギー規模を物語り、封じ切ることができなかったと解釈される。
また、八重垣の力が衰えるようなことがあれば、逆に地震雲として現れる度合いが小さくなるから、予知には使えなくなってくる可能性がある。と同時に、地震エネルギーの清算が思わしくなくなり、蓄積していく一方となり、巨大地震や噴火を起こしやすくなる。小さな地震エネルギーであっても大きな地震として出てくる、といったことが起きるようになるだろう。
能登の地震、三重の地震において、地震雲の発生が巷で囁かれてはいなかった。私も毎朝のように主として南の空の様子を見るが、2006年までは毎日のように程度の大小こそあれ見られたものが、最近はまったく見なくなっている。この理由は何か。地震エネルギーの蓄積がさほどない、というよりは、八重垣の稼動不足のほうを疑うのである。
いやはや、荒唐無稽な仮説の上にまた上塗りするような話をしてしまった。最後に糊塗の上に糊塗を重ねて宙に浮いた塗料の分厚い膜が、まとめてバリッとはがれないかと心配になる。事の序でにもう少し上塗りさせていただこう。
出雲八重垣、まずありき
結界として機能する垣根は、できるだけ秩序整然としていたほうが、見た目だけでなく、その前に威儀を糾すことが必須となる呪術においては、重要性の認識と共に効果の大きさも予想することができたであろう。籠目の結界はその点、非常に強いものと考えられた。籠目にも節々を形作る幾何学によって幾種類もある。三角、四角、五角、五芒星、六芒星、さらにはもっと高度な意識的仕組みの生命の木など。ミステリーサークルに描かれる図形は、何の意図、何の意味で出現するのか不明だとされているが、古来から地球外知性が、地球人に対して働きかけていたのは、結界に関する知識の付与や、忘れた頃の再認識の促しだったことは、誰かお気づきだろうか。
だから、彼らはモロにその結界を地面に描いて、我々の反応の如何なるかを測っていたとしても、古代からの意図が廃れてしまった今では、さっぱり見当がつかないといったことになる。
黎明期の人類のもとには、頻繁に地球外知性が訪れていた。そして、国の運営に関わる核心部分で、祭り事の意義の再認識を為政者に求めていたのだ。というのも、地球という惑星は、生命にとってかなり苛酷な環境と、地球外から見られていたからに他ならない。
古事記の「御諸の山の神」の段は、神自ら秀麗な神体山に鎮まることによって、祭り事の本義を付与し、再認識させていたとみられるのだ。それは、国の運営者が、スサノヲの頃からすでに遠く隔たっていて、国難が頻繁化していたゆえだろう。国の運営に当たっての心細さすらのぞかせている大国主の頼りない言葉からも窺える。スクナビコナの神が去った後、「私一人でどうやって国を作っていこう。次は、どの神と共にうまくやっていこうか」と。それに呼応して現れるのが、海を照らしながらやってくる御諸の山の神だった。
当然このときにも、祭り事の原理も併せて再教育されているはずだ。古代において場違いな、高空から鳥瞰したような精巧な地図が、教科書の中に挟まれていたのではないだろうか。私は、それを前図で、読者に再現して見せたように思っている。
おそらく大陸から次第に日本列島を目指し、九州に根拠をしっかり構えた卑弥呼の時代には、そのような地図が手元にあり、あとは磁石や測量機を使い、地形と照らして、ポイントごとに布石を(といってもスサノヲ時代の遺構がすでに施してあっただろう)打っていったことと思われる。地図やコンパスも使われただろう。二十五部の物部が、密偵よろしく西日本各地に散ったことだろう。
そして、機が熟したとして、ヤマトからは男王が東征の旅に出る。もちろんその原動力となる動機は、地図の中に認められていた。その地こそが、約束の地であると確信するほどの意気込みであったと解される。そのときに九州の地の留守を任され、共立されたのが女王卑弥呼だったというわけだ。
八重垣のもともとの秩序整然たる様は、地球幾何学が根底にあったのだ。それは最初から宇宙の知性(スサノヲ)によって設計されていたのだ。あとはその地図に任意の結界図形を描き、実地に布石して応用するのみである。こうして、畿内には一緯度長の採用された図形やピラミッド幾何学が投射されたわけだ。神聖な図形をあつらえることで結界に対しての威儀を保ち、そのパワーを高めるための手法をいかんなく駆使していたと言えるだろう。
しかるに、現代においては
科学万能主義というものの徹底によって、歴史的遺物の価値は文化的価値以上のものではなくなってしまった。その範疇からも逸脱したいわゆるオーパーツ的遺物に至っては、無視するしか決め込む手段はなくなるというわけだ。
それでもいいのだ。祭祀の根底あるものを理解し実践するキャリアーが幾分かでも残っていて、そうした祭祀を続けているなら問題はないのだ。だが、巷の文化との乖離ははなはだしく、世俗に呑みこまれるといったことも進んでいたりしないだろうか。最近はその道の専門家がその力をもとに、世俗の宝を得ようというむきに動いているようだ。機能が果せなくなりそうなら、一般人に祭りの本義を教えておくことも必要になるだろう。今の時代においては、神棚に向かう人もさほどいまい。戦前であれば、神々への崇拝は義務であった。そのやり方が、決して完璧でなくとも、説明を受け容れる下地はあっただろう。そこに神職がちゃんと教授すれば・・・今となってはとても難しかろうか。
そこで、天の神々のこんな会話が聞こえてくるように思えた。
「ミステリーサークルとして、結界パターン第三十六と三十八を描いてまいりましたが、その後半年経ても、祭祀の力に何の変化もありません」
「いよいよ、G地点の結界は消失するな」
「地球上の結界の明滅が頻繁になっています。あっ、今もひとつ消えました」
「やがて真っ暗闇になるのも時間の問題か。これでは、地磁場も消失するし、降りかかる災難のほどいかばかりか。いったいちゃんと人間たちに伝わっているのか?」
「いいえ。それは無理というものです。彼らは目に見えるものだけを対象とした分析の科学しか有しておりません」
「我々の威光を知らしめているはずではないのか」
「残念ながら、彼らは一生懸命に、人騒がせな故意だとか、幻覚だとか思い込もうとしています」
「我々のことを何だと思っているのだ。見込みがないなら、しかたあるまい。哀れな人類の迷いを解くために、手術をするしかない」
「ちょっと待ってください。相模(さがみ)屋が出向いているにしては、どうしてこの辺に偏っているのでしょう。結界を再認識しそうなところにはまったくといっていいほど・・」
「なに?それはほんとうか。おい、相模屋、そちもワルよのう」
「へっへっへ、お代官様。やっかいなお手わずらわせをこれ以上と思いまして・・」
「そうか。うーん。ま、そちの真心から出たことゆえ、よかろうということにしようかの」
などと聞こえてくるような気がしたのも、私がサルタヒコ系の者であるからだろうか。そのようなわけだから、サルタヒコ様は、人類のこともしっかり考えておられ、慣れないことではたいへんだろうと、天神様との仲介役に当たりたいとのご意向じゃ。ひとつ忠告は、相手がいかに天神様といえども、油断めさるなということ。軽はずみな行動は慎み、両方の界に明るいサルタヒコとその系統にお任せあれというわけじゃああ。
サルタヒコ出陣はもう間近
サルタヒコ様は全国の天狗の大総帥であられる。全国の支部に御神影を祭る祭祀天狗を配置したのだが、鎌倉時代くらいまでにことごとく超能力者によって封じられてしまった。最も近しい例では、神戸の摩耶山にあって、分霊様が共の祭祀天狗を連れておいでだが、いかんせん、祭祀天狗が鉢の中に封じられたままになっていて、やや結界が解けかかったものの、鉢ごと空を飛ばねばならん状態じゃ。その様は、摩耶山天狗系UFOとしてすでにお見せしている。が、まるでこれでは道化だ。ひとコマひとコマに身体が分解されて部分として現れているのだからな。被せられた鉢の法力が中途半端であるだけに。
だが、それも一斉に解けるときが来る。
そのとき、隠れた秘所におわしたサルタヒコ様が最大の霊力を伴って復権なさり、この地上に真の理想国家を築かんと、再来なさるのじゃ。そう、かつてこの地に居られ、地上の楽園、黄金時代を謳歌した頃があった。そこをカリユガの闇が包み、やや明るくなったと思えば、みなして結界の中に封じられていたと言うわけじゃ。
誰がそのようなことをしたか。それは言わずと知れたこと。
これも時来たらばこその、神一厘の大芝居になると言うわけじゃああ。
変なものに入り込まれたようになってしまったあああ。
ぎゃあーーー・・・・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です