気になる差

さて、次も映像に関するものとは言うものの、純粋な気持ちの吐露ですよ。CGIとごっちゃにしないでくださいね。
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たまたま自分で44444のキリ番を踏んだときに見ていたこの記事は、2005/10/13に六甲山鉢巻展望台にて、Gの嵐の諸君の司会で、2005/11に放映のための取材ロケをしていたときの様子です。
この収録の最後のほうで、この方角とは逆の山の上、六甲山ホテルの上空に20機ほどの球体UFOが出現し、これをかろうじて捉えていたテレビカメラによってそのデーターが、番組の中で十秒ほど放映されました。
私が見たつもりだったのは、桃の実色の球体でしたが、電子機器にはもろに実体が映り込んだようで、星のように光る白球型UFOとして放映されていました。
気になるのは、この差なのです。といっても、この場合は、見え方に誤差があるということです。
私の目には、立体感ある球体として見え、ビデオにはよく出る白球発光UFOとして映っていました。
UFOがそのように、人に応じて変えて見せる技術を持っているから、見る人には見え、見えない人には見えないこともありえているということかと思います。(UFOもトリックを使って惑わすかどうかは、ここでは考えないことにしますよ)
私は、古事記から、「桃の実」をUFOとしてましたから、淡い黄橙色の桃の実のような色に見せてくれたのかも知れません。しかし、あの場所でそこまで気付くのはたいへんで、咄嗟にどこかのイベントで打ち上げたアドバルーンかと思ってしまったのです。
しかし、あの位置にはデパートもなければ、人気の施設もありません。半信半疑でしばらくやってきて、放映データーを見て、やっとUFOだったと得心したといったわけです。
UFO側の配慮も、逆に誤解のもとかも知れないですね。しかし、もろに出てこられたら、腰を抜かしていたとはいかぬまでも、もっと場の雰囲気が変わっただろうし、テレビでの取り上げ方も別の考慮がなされたかも知れません。あれでは未だに嵐のお二人も納得できていないかも知れない。
しかし、それがもし、個々人の心のフィルター掛けの度合いによるものならば、どうしようもないこと。
その差から推測するに、日本人はUFOにはあまり関われないのかもしれないような気がします。
そこで、今後どん詰まりの時代に立ち至ったときのUFOとのかかわりを、おそらくは体験できないみなさんのために、シミュレーション物語にしてみようと思い立ちました。
物語の主人公のいるところは南米ということにします。もちろんそのとき、私はそこにはいませんが、物語の進行役を務めるため、仮出演させてもらうということで。
では、どんなふうになるやら、次なる記事にご期待を。
その記事(ざれ事(1))

中南米は白球型UFOの大量飛来にフィーバー中

当ブログにコメントをお寄せくださるモルダー龍馬氏より、
「また、大群!今度はペルー!」とのタイトルで、YouTube映像の
紹介がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=dkNdXncScmY

出現はつい先日2007/5/21の午前8時。
UFOはよく満天の星のごとく現れるタイプの白球型。
母船に乗せられて遠足にやってきたZAQのひよこの団体なのか、
それとも何かのシミュレーションに早々やってきたUFOなのか。

地元民の喜ぶ笑顔。まるでお祭りです。
このくったくのない感動ぶりが、宇宙の訪問客を安心させているのですね。
みんな見ています。見れています。誰一人として、見えていない人は
いません。
この違い、分かりますか。
長時間彼らは滞空しているものなので、ビデオに撮る余裕が十分にあるのです。

いやー、中南米は見込まれてますね。

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天井裏の怪異

どこからか、こんな会話が聞こえてきた。窓の外から聞こえているのか、すぐ傍で聞こえているのか、最近は耳が遠くなったせいかよく分からない。
「たまちゃん。もうあまりでかけなくていいよ。ぼくのところにずっといればいい。しばらく休憩だ。そう。一ヶ月ぐらいではどう?」
「もごもご・・・」
「戻ったときに、取り返しがつかなくなってるって? だが、君はいま病気にかかっている。せめてぼくの懐を病院だと思って、すごしておくれ」
「もごもご・・・」
「よくないよ。賛成できない。ぼくに考えがあるんだ。一ヶ月といわずに、これから向こう7年間、休養して欲しい」
「もごもご・・・」
「おっおっ、怒らないでよ。何でそうするか説明するよ。それぐらい放っとけば、君の身体を悪くしているムシが出て行ってしまうはずだからさ」
「もごもご・・・」
「分かるよ。アオたちも君の育てている大切な生き物だからね。しかし、ムシはぜったい別だぞ。アオの皮をかぶって混じっているから、選り分けてつまみ出せない。だからこの際、ぜんぶまとめて煙でいぶすんだ。君が手入れさえしなければ、あちこちから煙が自然に立ちこめてくるはずだ。ほんもののアオは必ずそこから煙の少ないところを見つけて這い出してくる。けど、ムシは煙のいちばんたまったところで集まって死に絶えるはずだよ」
「もごもご・・・」
「大丈夫。ムシは、全部いっしょに死に絶えるのを見て喜ぶ性質の生き物だからさ。だから必ず煙のいちばん濃いところに集まることが分かっているんだ。君や生き物までが、巻き添えを食うことはない。ムシの目の留まらないところに逃げて、誰もいないように装うんだ。そうすれば追ってこない。
ことに君が死んでしまったりしたら、この先、生き物を育てられなくなる。それはいちばん悲しいことだ」
「もごもご・・・」
「そんなに悲観するなよ。たまちゃんの将来については、考えてあげる」
「もごもご・・・」
「何を言ってるの。器量は少しも悪くないよ。ぼくは大好きだ」
「もごもご・・・」
「うっ。わ、わかったよ。でもぼくは川ちゃんと約束してるからなあ。それでもいいか。川ちゃんも容認するようなことを言ってたし、君も誰かの側室になりそうになってたこともある。ぼくはどっちが正でどっちが副なんて考えない。君とは、陸の子孫を創り、川ちゃんとは海や川の子孫を創る。とならば、君の身体の上はどこもかしこも、ぼくの子孫でいっぱいになるわけだ。みんな仲良くできるように、うまくまとめとくれよ」
どうやら天井裏に住み着いた妖怪の、豊かでのんびりした生活のひとコマらしかった。
ちょっと、下で暮らす者から一言、言わせてもらっていいかな?
「深夜にあんまり暴れんでくれよ」
---25日の追加記事----------------
25日朝5時、夜があけてきたころ、にわかに天井裏が騒がしくなった。
「うるさいぞ」と怒鳴ってやったら、一瞬物音はやんだものの、今度は「たまちゃんがいない、たまちゃんがいない」と叫びながら、またバタバタやりだした。
「どうしたのか」と問えば、「たまちゃん、ぼくのことを嫌いになったのかもしれない」と言う。
いつも飛びつくように、チューしてくるというのだが、昨晩は顔をしげしげと見るだけで、なにか警戒しているようで、懐に抱いて寝たものの、朝になったらいなくなっていたというのだ。
「探しにいったらどうなの」と言ってやれば、「ぼくが悪いんだ」と言い始める。
「たまちゃんは、律儀で仕事熱心で、ぼくが無理に仕事を休めと言ったものだから」
「でもあんた。たまちゃんの身体を按じてのことでしょ?だったら、気に病むことないよ」
「いや、そうじゃないんだ。たまちゃんはねえ、病気の原因のムシも同じようにかわいがってるんだ。みんなここに生まれた生き物だなんて言って。ぼくが変な提案したものだから、怒ってしまったんだ」
「そうか・・・だったら、悪かったって、話すべきだなあ」
「呼びかけてみる」
妖怪はそう言うと、私の部屋の窓を開けて、外に向かって叫ぶかのようだった。そう思ったので、「おいおい、人がまだ寝てるんだから、大声はだめだぞ」と制止した。
だが、窓を開けたとたんに、雨が吹き込んできた。
「たまちゃん、悲しんでる」
「そうか。雨だからか。しかし、きっとまた戻ってくるよ」
妖怪は天井の蓋を閉めて、閉じこもってしまった。
さて、その晩のこと。つまりこの記事を書いているつい1時間前のことだ。
背丈60Cmくらいの小太りで修道女姿のたまちゃんらしい影が窓を通過して入ってきた。
私は、「おっ。たまちゃんか?」と言うと、影帽子は気がついて、こちらを振り返った。
私は、「彼氏、反省してるぞ」と天井を指差し、笑顔で囁くと、彼女は気恥ずかしそうに、急いで天井の蓋をカタッとあけて入ってしまった。
しばらくして、キャッキャッと笑い声が聞こえた。
ああ、丸く収まったか。今夜はちょっと騒がしかろうが、気を楽にして眠るか。
ああ、だめだ。今日はまるでついてなかった。イチゴも昼間っからナメクジが涌いて、ぐちゃぐちゃだ。たまちゃんの気持ちは分からないでもないが、いろいろ考えると、憂鬱で眠れんよ。
やっぱ焼酎ひっかけるかな。
(25日20:25追加)
---26日の追加記事----------------
今朝6時になって、ようやく天井裏で物音がし始めた。
ドスドスとテケテケの二人分の足音がする。
今朝はずいぶんと遅いじゃないの。
しっかりお疲れさんして、眠ったんだろうな。
と、カタッと音がして天井の蓋が開いて、お二人さんが降りてきた。
見ていると、たまちゃんのほうが先導するように、窓からベランダへ出た。
フェンスのほうが背が高いので、プランター置き台に上がるや、妖怪に目配せしながら、土手のほうを指差している。
よく見れば、チョウチョが飛んでいるではないか。雨後のこんな時分にか。卵を産み付ける場所を探しているのだろうな。これはやばい。
が、たまちゃんなにやら、妖怪に説明している。
妖怪は素直にも、逐一頷いているではないか。(ははあ、先はかかあ天下かもな)
ここからでは二人が何を話しているかは分からないが、おそらくこんなことではないかと推測した。
昨日、妖怪が言っていたムシというのは、芋虫や与党虫などのこと。
たまちゃんという娘は、自分の背中でガーデニングをしているのだが、こうした害虫に皮膚が食い荒らされて、重い病気というわけだ。
私も、「さつまいもと芋虫」という童話を作ったことがある。
私は芋虫を良くないもののように書いたが、たまちゃんは、チョウチョやガ、ひいては芋虫などの食害する虫の立場を弁明してやっているのだ。
彼女には、チョウチョもガも、ガーデニングの一部なのだ。
羽化登仙する宿命を持って生まれた者は幸福者だ。
無知でいても、荒れ果てたガーデンを後にすることができるから。
しかし、もしガーデンが、全体で我が家の家庭菜園規模なら、農夫も野菜作りを諦めて、次に卵を産み付けるところさえ見出せなくなるだろうに。
そんな発想は、土着の老いぼれ農夫のすることかな。
だが私としては、今のうちに、チョウチョやガの先生たちに、野菜のどの部分を節約して食べ別けするか、議論を深めてもらいたく思うのだ。
そうすれば、たまちゃんは死んだりしない。元気を取り戻すだろう。
そして、この老いぼれ農夫も、妖怪も、心からチョウチョやガを容認することだろう。
なんせ、たまちゃんは妖怪の側室だから、もし死なせたりしたら、この妖怪なら宇宙さえも灰にしてしまうぞ。
あとが怖いから、言ってるわけ。分かってくれよ、みなの衆。
(26日7:15追加)
---6月6日の追加記事----------------
たまちゃん、妖怪との間に子供ができたらしい。おなかの中に宿ってるんだとさ。おめでとう、妖怪、たまちゃん。天晴れ、天晴れ。
妖怪よ、これからはたまちゃんに真剣に向き合わなきゃいけないね。
幸せにしてあげるんだぞ。
(6日20:15追加)

宇宙の知性と交わされた約束

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上の幾何学図形群を発見するまでには、長い経過がある。最初は、古事記の神話が暗号であると考え、暗号解きに着手したことが始まりだった。そして、その中間くらいにある「ヤマタノオロチ」の段の解釈において、当時海外でブームになっていたレイラインの考えを導入してみようと考えたことがきっかけとなっている。
私の住居は西日本にある。行動もそちらの方面が多い。となれば、ものの序でに関係ありそうな場所を見てくることもできる。
そして、日本地図上の探索が主体となっていた。
レイライナーの予告どおり、西日本の都市(古代には集落)、祭祀霊場、信仰を集める遺跡や大山が一直線上に並ぶ様子が容易に見出せた。それが次の図である。(読者は先の図形群が、この中から見出されていることをお気づきになろう)
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その線表はまさに、垣根の如き感があった。そこでふと気付くのは、ヤマタノオロチの段の出雲八重垣という垣根である。もしかすると・・・。
そもそもは、オロチを退治した設備、出雲八重垣とはいったい何なのか、何を象徴化した物語なのか、という荒唐無稽かつ途方もないテーマの推敲から始まったのだ。
物語ではスサノヲが、毎年のようにやってくるヤマタノオロチに困り果てている地元民の窮状を知り、その対策を講じてやるわけだ。ところが、単なる民話ならそこまで詳しくせずともよいだろうにと思えるほど、祭祀関連事物を使って、そのありようを懸命に伝えようとしているように思えたのである。
その対策の全体名は「出雲八重垣」。具体的には、酒を盛ったサズキを垣根の門ごとに置くという、呪術的結界のことが語られている。
凶悪なオロチは、そこにやってくると、頭の数だけある杯の酒を呑んでしまい、酔いつぶれて、その隙にスサノヲが斬り殺してしまうという筋である。
私は、古事記の神話解釈にあたり、すでに最初の段から地球規模のスケール性を見ていたことと、これ以降の面白そうな「国譲り」や「天降」の段に辿り着くためにも、「ヤマタノオロチ」の段は超えねばならないハードルとして立ちはだかっていたのだ。
オロチの被害者は「櫛灘姫」という少女である。意味は「櫛」が「霊し」(霊妙)とか、櫛の形状から連想される感触、そして「灘」もしくは「名田」に篭められた、日本のリアス式海岸のような複雑に入り組んだ地形と、そこに農耕して生活拠点としなければならない地元民の嘆き顔というイメージが涌いた。
そこでオロチとは・・・地球規模の大スケールでなくてはならないというわけで、自然に思いついたのが火山帯や地震帯なのであった。
幸いにも同時並行的に、ギリシャ神話のチターン神族とオロチに類義性を見ていたので、その方向からも、この解釈は妥当なものに思えたのである。
チターンとは、大地の獰猛な神々である。サイクロプスは一つ目巨人。これは台風の一つ目ともとれるが、チターンとは大地の子という意味があり、火山の一つ目火口のほうが合っている。ヘカトンケイレスは百足巨人。これは前者が火口なら、隠された内部のマグマの様子というわけだ。彼らはゼウスと戦い、最後にはタルタロス(幽冥の地底)に幽閉されるとなっているので、居場所もちょうど都合のいい場所となる。百足とヤマタ(たくさんの股)を持つ大蛇とは、形の上で似ていよう。こうして、オロチとは地変を起こす源である火山帯や地震帯、さらにその原因たる現在で言えばプレートやマントル対流の不気味な動きというしだいになるわけだ。
こうした自然のものは、人間の手に負えるものではない。その辺は神々の話をしているだけに、神でなくては鎮圧も制御もできない代物である。いやしくも人間に地上を任せるとなれば、初期の環境設定だけはしておいてやらねばならない。その一環でこの「出雲八重垣」事業が行われたと推測できたのだ。
出雲八重垣は地元民に指図して作らせている。スサノヲはあくまでもその原理を説き、ここに何を設置せよと指図して地元民に作らせているのである。その構造を説く叙述に、また念が入っている。一見すれば祭壇を築く要領のようだ。だが、問題はそれが社殿の中だけで事足りるものかどうかである。大スケールの相手に対して、あまりにも規模が違いすぎる。
実は、その発想も一瞬にもたらされたのであるが、大地の問題に対しては大地の規模で対抗するすべがあることに気がついた。
そして、実際に調べに車で走り回った。
すると、あるはあるは・・・。秀麗な山や、古来から神体山として崇められた山、あるいは巨石を組んだ巖倉といった形で、いくらでも存在した。それが数十年前には、まだたくさん壊れずにあった。山がわざとその目的のために整形されているふうもあった。巨石組みなど、地元民にちょっと重力制御の呪法を授ければ、意外と短期間で作り上げることも可能だろう。セコンドはスサノヲという神だから可能に違いない。
秀麗な神体山がまず目に留まった。ドライブのたびに、新たに二つや三つ探し当ててきた。はじめは山が呼んでいるという感じだった。山の気の流れのせいだろう、意気が高揚してきて、エンドルフィンが放出されるせいか、とても心地よくなる。山はわが友という感じだった。なぜそうなるのか。それは先の線表のライン上に偏ったふうに集落などができるのかと同じ効果なのである。それは、八重垣システムで「変換された後の」効用。生命賦活のエネルギーの強さに起因するのである。イヤシロチ、ケガレチというのを聞いたことがあるだろう。それは出雲八重垣の効用としておのずと現れる効果だ。
しかし、私はやがて八重垣の謎の究明のために形ばかりを追いかけるようになり、せっかくの感性も衰えて今日がある。その代わりに、明らかに加工された感のある山が、意外と古代の祭祀拠点であることが次々と分かり、出雲八重垣の推理と密接に繋がっていくこととなった。
スサノヲが物語の中で作らせたものは、ある種の「祭壇」だったのである。だが、相手が地底に数百数千キロも伸びる怪物では、陰陽師がやっていたような社殿の中の祭壇ていどで務まるわけもない。大地には大地に対応した、土と石の構造物が必要だったのだ。
ピラミッド、マウンド、巨石組み、それらを組み合わせた古代山城などがそれである。この呪術的結界を作動させるための祭祀のあり方も、物語を見るに、当時の地元民に授けてスサノヲは去っていることになっている。
現代にまで残る神道の祭祀は日本古来のもの。この中には、渡来系も含めいろんな祭り事が習合されていると考えられるが、スサノヲの国土鎮護の祭祀も含まれているに違いない。神道の神官しかおそらくその意趣が理解できないであろうから、彼らの伝承の命脈が途絶えることのないようにしなくてはならないわけである。
出雲八重垣の衰えが招く凶事
2004年12月26日にスマトラ沖で発生した大地震。このときの津波で20万人もの犠牲者が出たことで有名だ。ところが、読者の中にこんなことがあったことを見た人はいないだろうか。それより10日前、16日の午後9時頃のことである。私は会社の仲間たちの間でもUFO見の第一人者だったので、その日も余興にと眺めたのだ。それを見た社長が、「また見とるのか。出てきよるか」と社長自身空を見上げて、「おっ、あれは何や」と指さしている。
「うおっ」と息を呑んだ。真っ暗な空を背景にするとはいえ、やや明るい気味の帯雲が太くくっきりと、北東から南西方向(日本列島縦断の方向)に、こっちの地平から向こうの地平まで途切れることなしに、一直線に伸びていた。
「これ、地震雲いうんとちゃうんか」と社長。
「そうかも知れんですね」「気持ち悪いもんやなあ」
このようなやりとりを交わしたものだった。しかし、その後何事も起こらず、忘れかけていた矢先に、スマトラ沖地震が起きたのだ。世界地図を見てもらえば、列島の伸びる方向に震源地が位置していることがお分かりになるだろう。
あれだけの、それこそ果てしない長さの大蛇のような雲だった。日本のどこかであるに違いないという読みは外れた。しかし、あれが「地震雲」なら、ものすごいエネルギーを感じさせるに十分だった。
真っ暗な時間帯だが、午後9時だから寝静まっていることもあるまい。もし発見していた人がいたなら、コメントをいただきたい。
さて、地震雲は、地震の前触れとして存在が一般的に認められるようになった。だが、それは必ずしも地震があるゆえに、地震雲ありきなのではない。
それには地震雲の発生メカニズムが理解されなくてはならないのだが、地震雲は大地の呪術的結界の作動の結果が、空に反映されて出てきているのである。
すなわち、よく地震雲に見られる、東西、あるいは列島方向、その垂直方向といったパターンは、出雲八重垣の垣根のパターンなのだ。
地底の火山エネルギーの動きに従い、大地に刻まれたエネルギー整流装置が働き、それをエネルギー変換している。その立ち昇る有様を見て、スサノヲが詠んだ歌が、古事記の歌謡第一番として残っている。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る この八重垣を」
ああ、何と言う壮大で慈愛にあふれる神の御心。
そう感じ入るに足るすばらしい歌である。これこそ、人類の守護神、地球の守護神の御心と言わずして何としよう。
一首の中に繰り返し三度も用いられている「八重垣」の句。ここまで強調されていて、しかも歌謡第一番。古代版レコード大賞のトップと言ってもいいものだ。そこでここまで語り込まれているこの言葉。ほんとうにもったいない。涙すら出てきてしまう。暗号解きマンにおいて、この意味を解き明かそうという気が起きないほうが不思議なくらいだ。
ただしそのためには、巨石文明に関する基礎知識や、古代のシャーマニズムのイロハぐらいは知っておかねばなるまい。その中で繋がりをつけていく作業が暗号解きの仕事となる。
この八重垣の原理は、様々なシャーマニズムによって用いられた呪術結界のルーツと言ってもいいものである。その稼動には、必ず意識ある者の介入が要る。それがなくなってしまえば、残留想念によって一時的に維持されるとしても、やがて結界は消失する。八重垣の結界の稼動にも、古来のシャーマンがその任に当たっていた。スサノヲの頃には、アシナヅチを神殿の宮主に据えて、須賀の八耳という名を負わせている。その伝承が祭祀の方法と共に、日本では神道に伝えられていたはずなのだ。
だが、神道は古来から秘密主義だった。一般人を門外漢として扱って、知識をすべての人に伝えてこなかった。世界においては、世界各地の部族のシャーマニズムの中に生きていたが、これも唯一神の預言者信仰勢力によって滅ぼされてしまった。今の時代になってしまえば見えもしないものは認めるなという科学万能主義が幅を利かせることとなる。
こうして世界的に八重垣の意趣が廃れてしまったとしても、歴史の必然というものになるのだろう。
さて、それゆえに、八重垣の節理が順調に稼動していれば、地震雲としての顕著な現れ方が予兆として出れば出るほど、地震発生は軽減されることになる・・・という原理となる。
地震エネルギーがよほど大きいなら、防御しきることは難しいかも知れない。スマトラの場合で、地震雲があれほど強く出たということは、相当なエネルギー規模を物語り、封じ切ることができなかったと解釈される。
また、八重垣の力が衰えるようなことがあれば、逆に地震雲として現れる度合いが小さくなるから、予知には使えなくなってくる可能性がある。と同時に、地震エネルギーの清算が思わしくなくなり、蓄積していく一方となり、巨大地震や噴火を起こしやすくなる。小さな地震エネルギーであっても大きな地震として出てくる、といったことが起きるようになるだろう。
能登の地震、三重の地震において、地震雲の発生が巷で囁かれてはいなかった。私も毎朝のように主として南の空の様子を見るが、2006年までは毎日のように程度の大小こそあれ見られたものが、最近はまったく見なくなっている。この理由は何か。地震エネルギーの蓄積がさほどない、というよりは、八重垣の稼動不良のほうを疑うのである。
出雲八重垣による大地の安定、まずありき
結界として機能する垣根は、できるだけ秩序整然としていたほうが、見た目だけでなく、その前に威儀を糾すことが必須となる呪術においては、重要性の認識と共に効果の大きさも予想することができたであろう。籠目の結界はその点、非常に強いものと考えられた。籠目にも節々を形作る幾何学によって幾種類もある。三角、四角、五角、五芒星、六芒星、さらにはもっと高度な意識的仕組みの生命の木など。
黎明期の人類のもとには、頻繁に地球外知性が訪れていた。そして、国の運営に関わる核心部分で、広域結界に関する祭り事の意義の再認識を為政者に求めていたのだ。というのも、地球という惑星は、生命にとって荒ぶれた苛酷な環境であると、地球外からも見られていたからに他ならない。
古事記の「御諸の山の神」の段は、神自ら秀麗な神体山に鎮まることによって、祭り事の本義を再認識させていたとみられる。それは、国の運営者が、スサノヲの頃からすでに遠く隔たっていて、国難が増大していたゆえだろう。国の運営に当たっての心細さすらのぞかせている大国主の頼りない言葉からも窺える。スクナビコナの神が去った後、「私一人でどうやって国を作っていこう。次は、どの神と共にうまくやっていこうか」と。それに呼応して現れるのが、海を照らしながらやってくる御諸の山の神で、当然このときにも、山の神自ら神体山の頂上に鎮まることによって、祭り事の原理を再教育しているのである。
ミステリーサークルは反応を見るためのメッセージ
昨今ミステリーサークルが話題になったが、描かれる図形に何の意図があるのかさっぱり分からないのは現代人だけである。
これは地球外知性が、過去にも古代人にメッセージを送り、感受できる資質を試してきたようなことを、今また行っているのである。
すなわち、結界の図柄を描くことにより、もしそれを見て分かるのなら、地球メンテナンスの祭祀を行うようにとの督促だったのだ。そうしなければ、いずれ大地はコントロールが効かなくなるからと。
ところが、当然ながら現代人は、頸を傾げるだけで何のアクションも執らなかった。かつてストーンヘンジをメンテナンスした部族が未だ残っているなら分かるはずのことなのだが。地球外知性は、古代と同じ反応が返ってくるかどうかを、ミステリーサークルを描くことによって反応を見たが、古代の知恵をなくしてしまった現代人には、さっぱり意味がつかめなかった。これでは彼らもあてはずれで、がっかりしたことだろう。
結局、最低限必要な地変鎮静のメンテナンスも行えない種族ばかりになってしまったため、宇宙では滅びもやむをえないという判断が下されているというのが目下のところか。
それはそうだろう。地球の使用権、管理権を、取扱説明書やメンテナンスのやり方を添えてリースしたのに、メンテナンスは放棄し、山は削るわ、海川は埋めるわ、無茶苦茶をしだしたのだから。いったいこれは、最初の契約をどう考えているのか、ということになるだろう。昔の祭祀を知る者はみんな問答無用の迫害をされて残っていない。とくれば、現代人がいくら無知といえども、許されざる者となってしまうことは必定だ。
結局、ミステリーサークルの謎を解いたのも私しかいないとは・・。その私が、こんな連中もう滅ぼしていいよと彼らに伝えたら、一も二もなく即刻やってくれるといったことにならないか。それほど嘆かわしい気分だ。
地球温暖化問題は、現代人にも分かる方便として提示されているのであり、ほんとうは地球のメンテナンスが必要ということなのだ。
そうは言っても、どうすればいいかなど、説明書のない今では分からないね。そこで相談だ。
蛇の生殺しのようにして2043年までじわじわ痛めつけられるより、さっさと済ませてもらったほうが良くないか。
これも一般人向けフィクションである。一般人は、ゆめ、本気になられぬよう。