聖書は読めないが

私は聖書は好きではない。読んでも何が書いてあるのかよく分から
ないし、正式な信者の方たちの考えているような解釈がどうにも
できないからだ。
しかし、預言書であるために、非常に興味があったことは確かで、
伝道者の人などに聞いたりもした。
するといちばん分かり易い書物として、黙示録の解釈本をくれた。
そこには一巻に渡って、イラストがふんだんに分かり易くされていた。
旧約聖書の預言者のビジョンも、終末にターゲットを絞っている
ようなことを聞いている。
だから、解説書として黙示録をベースに、聖書の言う終末預言を
参考にするようになったわけだ。
私は聖書はよう読めない。字が小さすぎるし。
しかし、ポイントになる言葉はどうも気になって、周囲の筋と
照らして、暗号のようにして扱い、解釈してしまうのが常だ。
古事記の解釈もそうやってきて、けっこう自己完結的解答を得ること
ができているから、もしかして聖書においても、千古から名だたる
解釈者や宗祖がしてきた解釈以外の解答も自分なりに見つかるかも
知れないと、トライしてみるわけだ。
気になった言葉のひとつに「偶像崇拝」という言葉があった。
これは「偶像」がまず暗号だ。
偶像とは、金銀銅石木でできた像であり、それを神であるかの
ように崇め祭ることを偶像崇拝と言う。
・・・そう私は捉えているが、間違いないだろうか。
解釈本によると、偶像崇拝しているのは、けっこう巷にある宗教の
ことで、たとえば仏教徒のように、木や銅でできた仏像などを拝む
ことを言うようなことが書かれてあったように思う。
さらには、同じ教祖から生まれたカトリック宗派ですら偶像崇拝だ
と言っているようだ。それもなんだかややこしい理屈付けがなされて
いた。同族なら、ちいさなことでいがみ合ってほしくはない。
だが・・・そのようなことではないのではないか・・・と、私は
「偶像」と「偶像崇拝」について考えたわけだ。
「金銀銅石木でできた像」ということから、私は直感的に、
これを「お金(貨幣)」と捉えてしまった。すると、
その筋からいけば、偶像崇拝とは「拝金主義」、そのやや程度の
軽い「利益主義」、個人レベルにおける「利己主義」という解釈
となる。
しかも、この場合の「偶像」は、この世、特に現代において、
100%誰からも、神のように崇められているものだ。
その魔力によって、どんなものでも動かすことができるとされている。
紙幣は木でできている。金銀銅はコインになっている。石でできた
貨幣もセラミック貨幣として登場しているから、この預言には
びっくりするほどだ。むろん石の貨幣を蓄えている部族もある
ようだが。
現代社会は、資本主義社会といい、金が人を支配する社会である。
悪魔が金という偶像を介して、自らを崇めさせているという、
まさにそのとおりの解釈が成り立つ。
金の大小が、人の勝ち負けを決定付けるから、人はこの獲得の
ために、昼に夜を接いで休みがない。都会のビル群は不夜城の如く
であり、まさに聖書の預言どおりではないか。
人は企業に過労死で殺害されても、金を余分に積まれて納得する。
自動車にぶつけられて死ねば、保険で病死よりもたくさん金が入る
から過失致死でまけてやれとか。
一般人の命は、何千万とだいたい決まっている。
天からもらった命は、お金に換算されるのだ。
森林火災が起きれば、何億円の損害とか表現する。
原油流出による海洋汚染がいかに広範囲でも、保険会社が算定して
何十億円の損害とか言いのけてしまう。
どんな環境破壊の対価でも、求まってしまうというのだから
あきれてしまう。
金に換算して言えば、なんだ家の何軒分だけのことかと錯覚させられ
るのが我々だ。
何でもかんでも、お金の額に換算されることに感覚は麻痺して
しまい、深層で何が起きているかに理解が及ばなくなるのだ。
海洋を棲息の場にする生き物のことは何ら考慮されていない。
地球温暖化の進展も、エアコンやら何やらで体感することもない。
被害を受けているのは、第三世界の人々だと相場が決まっている。
だから、われ関せず。著しい映像で示されても、そんなことは
どこのバーチャル世界の話?なのだとなる。
お金の魔力に麻痺してしまった人類。
お金がすべてを支配する神のように崇められていることすら
気付くことのなくなった世界。
悪魔は、偶像を仕立てて、人々にそれを崇拝させるという。
人々は、それ以外のものが目に入らなくなってしまうのだ。
拝金主義、金儲け主義を偶像崇拝と言わずして何としよう。
それに浴しているのは、資本主義社会に生きる法人個人をはじめ、
某教徒ならほとんど該当者だろう。ホームレスの某教徒というのは
あまり聞いたことがない。
額に獣の印を打たれていれば、お金の奴隷として働く代わりに、
日々の糧を得ることができるというわけで、教条的に言うなら、
ホームレスや雲水以外に救われる者などいないことになる。
あのときの伝道者にはいい啓発を感謝するが、見つかった解釈は
ちょっと忘恩に過ぎたかもしれないことをお詫びしたい。
いま某大手自動車会社のベースアップのニュースが流れた。
地球温暖化促進の先鋒ともいうべき企業。莫大な利益が上がって
いるとか。
あと幾ばくも残されていないという情報が有識者から叫ばれている
ときゆえ、足元の危機に早く気付いて欲しいものだと思う。
しかし、悪魔の仕掛けた魔力は強いから、困難だろうな。
だが、唯一、こうした偶像崇拝者(私も含め)が救われる道がある。
それは悔い改めることだと思うのだがいかがだろう。
悔い改めとは懺悔だけして、心を改めたと自らを合理化することではない。ましてや、悔い改めのシンボルの前や中でするものでもない。それはむしろ免罪符的偶像の崇拝でしかない。
崇拝してきたお金の偶像には、確かに力があると認めた上で、それを利己から利他に改めて行動することだ。
溜めに溜めた偶像の山を、世の貧しい人々のために施したり、環境保護や地球美化の方向に使用することだ。
利を生む起業にしてきたほどの注意深い配慮と努力があるなら、利他のための効果的なシステム作りもできるだろう。
団塊の世代の大量退職。
それは莫大な富の有効活用の場となるだろう。
利己目的に一部回すとしても、利他のために多くを使いたい。
NPOを立ち上げるなど、システム的に利用する方法を考えるのはどうだろう。ただし、群がる拝金主義のヤカラに注意しつつ。
利他の利用が図られるとき、築いたお金の山は、偶像から真の富へと変わることだろう。
富とは、人類の行く末を照らすものである。
企業経営者にひとこと言いたい。
労働者に給料という生活の資を与えてきたことを利他とするのは、もう過去のこと。
なぜなら、利潤追求のための道具としてしか労働者を見れなくなっているだろう。
そのような利己主義の塔から早々に離れ、真の利他主義の塔を打ち建てたまえ。
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一般の人にこの問題を理解させ、その解決に向け行動させることは容易ではない。人類は何としてでも天然資源の使い方を大幅に変える必要があるが、大規模な社会変化を浸透させるのは困難だ。避けようのない悲劇的な災害が発生して初めて改革の動きが始まるのが常となっている。
 あげくの果てに、社会では物事を考えられる期間が一層短くなってきている。テレビが一般人の集中力の持続する時間を短くしてきた。今や政治家らは一晩の世論調査に集中している。また金融アナリストらは、ますます短い期間で見通しを立てている。未来はあまり注目されない。(ゴア氏の発言より)

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