表にできない事情・・・尼崎脱線事故に思う

これはあくまでも仮説である。
一部事実に基づくも、仮説部分の多いことをお断りする。
知り合いから聞いた話。
彼は元JRの下請け的な会社で、車両運転士の資格をとっていたそうだ。
彼の場合外部団体なので、比較的楽に資格も取れたそうだが、JR社員には厳しいように思えたとの事。
彼の会社にJRから中年男性が出向させられてきた。その人にJRで何をしていたか聞いたら、表情を暗くして、「草むしり」をしていたと答えたそうだ。
JRでは技量的に満たない人や、社の意に沿わない人を、現業に就けず、懲罰的な仕事を負わせており、そうやって気分的にいじけさせて、自分から辞めていくように仕向けているのだとか。
それはもう昔のことらしいのだが、どうやら民営化前の国労時代の組合への弾圧の懲罰システムがそのまま持ち越されているらしいという。
運転士や車掌というれっきとした仕事と、草むしりの差はあまりにもありすぎで、夏場に草が生えてきたから自発的にする場合はともかくも上の命令でやらされる者にとっては、屈辱以外の何物でもないとの事である。
また、列車は少しでもオーバーランしたものを元に戻そうとするのに、ギヤを入れ替えてバックしようとするにも、車のように俊敏にはいかず、勾配などの具合によっては、動かすこともできないそうだ。
だから、あのT運転手の焦りはたいへんなものであっただろうと想像されるという。
ここからは想像上の物語となる。
伊丹駅以前に30秒の遅れを出していて、それを取り戻そうとしていた
そうだ。かなり取り戻せたと思った時点で、スピードが出すぎてオーバーラン。
それを取り戻そうとまた走る。過密ダイヤをごり押しされているような中で、耐えて耐えてしていたTだったろう。
みながみな運転士はそうだから、その体制には服従しなくてはならない。
しかしおそらく、前の駅辺りで、年寄りのわがままか何かで、余分に
停車せざるをえなくなり(一駅15秒で乗降させるらしい)、彼としては矛盾紛々たる怒りを抱きながら、発車していたのではなかろうか。
そこで問題のオーバーラン。
待つは懲罰。律儀な運転手といえども、少なからず破滅的思いが混じってはいなかっただろうか。
そして魔のカーブへのギャンブルを敢行。脱線を意識したとき、ブレーキをかけるも、おおきく傾きながら宙に浮いた。
そのとき、Tは重苦しいレールの敷かれた人生で、初めてレールを逸脱したのだった。そこにどんな想いがよぎったかは想像に難くない。
貧富の差。権力階級差。勝ち組負け組。
ヒーローやヒロインだけがもてはやされてやまない社会。
その有様を羨ましげにテレビや週刊誌で見つめる不満を抱えた門外漢たち。
忍耐のなさ。キレやすさ。多動性。原因は添加物だらけの食生活にあるとも指摘されているが、
世界を見渡せば、犯罪やテロの温床は貧困と人間としてのプライドにあると気付く。
人間はロボットにあらず。
心の反逆の時代の到来。


現在に至って、未解明のこととして、T運転手の心の中に踏み込もうとしているようだが、未だ解明されていないとの報道。
それはそうだ。これを報道することは永久にできない。社会が慄然とする。

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