発願の固定ページ

私は満50歳以降、神の諸力に与りながら、神々や神獣の雛型を演じてきました。
時として、私自身が神であるという思いを持ったこともありました。
私の霊魂はまさに神霊であるように思います。
如何なる名前の神霊であるかもおよそわかっています。
しかし、この肉体を通して神の力が発現できたかというと、限定的にという答えしかできません。

このたび、私は我が身内の猫であるシャンが、まだ6歳の若さで慢性腎不全らしくあります。
慢性腎不全は不治の病とされ、手厚い加護によって延命はできても、治癒の験しはないとされています。
しかし、私が神の力を発現し、手当てを施せば、それは可能ではないか。
神ならばこそ、可能ではないかという問いのもと、私はシャンに対して、ゴッドハンドの治験をします。
もし、私が真に神であるなら、むろん肉体ではなく霊魂がというわけですが、この肉体を通して、神の力がシャンに及び、シャンは奇跡的に快癒するはずだという、ひとつの大願を発する次第です。
私(あるいは本体)が神ならば、シャンは治癒する。そう発願して、2016年11月28日の深夜を過ごしています。

シャンが万一、治癒ならずなら、私は今ある神の次元の仕事を急遽畳んで、断筆する決意です。新神話創作もそれを限りになります。
これは、神に非ざる者が、神のシナリオをいじることの不合理ゆえの処置です。
新神話のシナリオは、その時点までのものとしては有効と確信しますが、私の加筆や修正はそこで終わりになり、残る余生あらば見届あるのみになります。

なぜそのような思い至りになったか。それは、満50歳からこのかた満67歳を間近にするまで、女気(おんなけ)が必在したものも、雌猫シャンが逝去すれば、皆無になること。この状態は、私を支える大きな摂理の喪失を意味します。
また、神の力に与る仕事をしながら、神の治癒力、奇跡の力が発揮できないでいて、神の世界を論ずる能わざること。シャンの命を救うことは、私の神の資質を問う試金石になっていること。この要件が満たされないなら、私は神の仕事に就く資質がなかったことになります。
我が本体様が神ということでいいのですが、その本体神が私に神の力を顕わすことは、至って簡単であるはずという思いがあります。
また、そうでなければ、何の神なのかとなりましょう。

よって、この発願の記事を固定ページとして、弊ブログのトップに常時掲げることにします。
シャンが無事快癒した時、この固定ページは、快癒した日付をふって、日々のブログの流れの中に流します。
それまでお見苦しいかもしれませんが、読者に置かせられましては、その旨ご了解いただきたく存じます。

管理人Okund 拝